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'04剣詩舞の研究(五)
一般の部
石川健次郎
 
剣舞「垓下の歌」
詩舞「峨眉山月の歌」
剣舞
「垓下(がいか)の歌(うた)」の研究
項籍(こうせき)作
 
(前奏)
力山(ちからやま)を抜き(ぬき)気世(きよ)を蓋う(おおう)
時(とき)に利(り)あらず騅(すい)逝かず(ゆかず)
騅(すい)の逝かざる(ゆかざる)奈何(いかん)すべき
虞(ぐ)や虞(ぐ)や若(なんじ)を奈伺(いかん)せん
(後奏)
 
鼎をもち上げる項羽『漢楚軍談』画
 
〈詩文解釈〉
 作者の項籍(こうせき)(紀元前二三二〜二〇二)は楚(そ)(江蘇省)の出身、本名よりも項羽(こうう)という字名(あざな)の方が一般的で、中国古典『史記』でおなじみの“項羽と劉邦(りゅうほう)”に登場する一方の武将である。
 さて項羽は秦(しん)の始皇帝が死んだ後、秦を亡ぼして天下を取ったが、劉邦(後の漢高祖)などに背かれて五年もの長期にわたる戦いが続き、ついに垓下(安徽省の地名)まで追われて、ここで劉邦の漢軍に囲まれてしまった。孤立無援の項羽は、夜ごと四方から聞えてくる故郷の楚の歌声を聞き、楚もすっかり漢軍の手に渡ってしまったものと嘆息した。この“歌声作戦”は漢の軍師張良によるものといわれているが、事実この歌は漢軍に降参した楚の兵士達が歌ったものである。
 この故事にもとずいて、周囲の反対などで孤立の状態に陥ることを「四面楚歌」というが、項羽は正にこの四面楚歌によって、最早これまでと愛妾虞美人と共に最後の酒宴を張り、この席でうたったのが“垓下の歌”である。
 詩の意味は『自分は山を引き抜く程の力もあり、また天下をおおい尽くす気力もあった。しかし運命は自分に味方せず、戦には敗れ、愛馬の騅(すい)も走ろうとはしない、一体これはどうしたことなのであろうか。それにもまして愛する虞美人よ、私はお前があわれでならないが、今はどうすることも出来ないのが悲しい』というものである。
 
〈構成・振付のポイント〉
 まず参考のために二つの事柄を述べておこう。京劇『覇王別姫(はおうべつき)』では、覇王の項羽が酒宴の席で杯を投げすててこの“垓下の歌”をうたう。すると虞美人は涙を流しながら悲憤の歌を聞き、やがて項羽の気持をなぐさめるために“剣の舞”を舞う。しかしこの時敵軍は攻撃をしかけて来たので、項羽は虞美人に一緒に囲み(かこみ)を破って脱出しようと云うが、彼女は自分が足手まといになるからこの場で殺して欲しいと懇願する。項羽は早まるなと諭す(さとす)が、虞美人は『漢兵すでに地を略し、四面は楚歌の声ばかり、君主の意気も尽き(つき)果つるに、われは何んで生きられよう』と唱い、項羽の剣を抜き取って自らの首を刺し自害すると云うドラマである。
 
京劇「覇王別姫」の虞美人(左)と項羽
 
 また杜牧の「烏江亭(うこうてい)に題す」によると、垓下から脱出した項羽は、再拳の勧めを断って運命に従うまでであると敵中に斬り込んで行き、最後には自殺して果てると云うもの。
 こうした逸話から察すると、項羽の性格はかなり運命に従順であった様だ。そこで詩文を中心にした剣舞構成の一例を述べてみよう。まず前奏から起句にかけては強いタッチの剣技を見せるが、途中から刀をすて、素手で相手を持上げて投げとばす様な振りを考える。事実彼は等身大の鼎(かなえ)を持ち上げる程の力を持っていた。承句からは取上げた刀を落すなどのアクシデントをポイントにして、手負いや負け戦の表情を見せる。転句は馬の手綱をとるが動こうともしないで困惑する様子などを見せ、結句は、手負いの虞美人を馬に乗せ脱出を計ろうとする進行振りで終る。
 演者が女性の場合の構成例として、転句から虞美人に役変りして王の刀を取り剣の舞を見せ最後に胸を刺して自決する型で終ることも出来る。
 
〈衣装・持ち道具〉
 悲愴感の溢れた作品だけに、衣装は、黒、茶などを基調にして、中国古代の雰囲気を袴の色や柄で工夫するとよい。演者が女性で、虞美人に役変りする振りならば、扇は振付に応じた色や柄を用いる。
 
詩舞
「峨眉山月(がびさんげつ)の歌(うた)」の研究
李白(りはく)作
 
(前奏)
峨眉山月半輪(がびさんげつはんりん)の秋(あき)
影(かげ)は平羌江水(へいきょうこうすい)に入って(いって)流る(ながる)
夜清渓(よるせいけい)を発して(はっして)三峡(さんきょう)に向う(むこう)
君(きみ)を思えども(おもえども)見えず(みえず)渝州(ゆしゅう)に下る(くだる)
(後奏)
 
三峡に向かう舟(イメージ)
 
〈詩文解釈〉
 作者の李白(七〇一〜七六二)は盛唐の詩人で詩仙と称されるにふさわしく、道家思想の影響が強い一方、自由奔放な作風にロマンチズムの傾向を見せる。
 この詩は、李白二十代の作と云われるが、作者が夜、清渓(四川省の地名)を出発して三峡に向かう舟の中で、峨眉山(四川省にある標高三千三十五メートルの名山)上の月を思って詠んだもので『峨眉山に半月がかかる秋の夜は、月の光が平羌江の水に映って流れていく。自分は夜、舟で清渓を出発して三峡に向ったが、途中で月を見たいと思いつつも山に遮られて見ることができず、舟は渝州(重慶)に向かって下って行った。』と云うもの。
 
〈構成・振付のポイント〉
 この詩舞のポイントは“月”を愛でる(めでる)すがすがしい雰囲気を展開したい。詩文構成の上で、起承句が三人称、転結句が一人称でかかれていることから、舞踊構成も前半は「山と月」「川の流れに映る月」の風景描写で表わす。起句は峨眉山の姿は“峨眉の如し”と云うから曲線的な形を扇や素手で表現したり、また月は扇で半月形にして動きを見せる。承句では月の光が川の流れに映った様子をポイントにして、動きとしては光のさざ波を扇の技で見せ場にする。なお月から川への空間の軌跡を示すのも効果がある。
 さて後半は作者の心情を中心に、舟中の情景と「月」への思いを表現する。転句は詩文とは関係なく舟を操つる様子を色々と見せる。結句は作者の心情で、例えば一心に頭上の月をさがすが、山にさえぎられて見えず、無念さを残して舟に揺られて行く。
 
〈衣装・持ち道具〉
 詩文から感じる色は「濃い青」と「白光」である。したがって、衣装としてはブルー系を基本にしたものがふさわしい。持ち道具の扇は、月を表わすためにも銀無地が適当である。







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