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表紙説明
名詩の周辺
 
彰義隊(向山黄村)
東京・上野寛永寺
 この詩は、明治元年(一八六八)戊辰戦争の時、江戸城無血開城後、上野の山にたてこもり、官軍と戦った彰義隊の行動と悲劇を詠じたものです。
 作者向山黄村は徳川幕府旗本武士で明治初期の漢詩人、彰義隊に寄せる思いはやはり強いものがあったと思われます。
 彰義隊がたてこもった寛永寺は現在は上野公園の北端東京芸術大学の裏にありますが、当時は現在の東京国立博物館が建っている辺りにありました。寛永二年(一六二五)天台宗の関東総本山として、江戸城鎮護の目的で創立されたこの寺は、江戸時代は118万8000m2の広大な寺城(現在の上野公園ほぼ全域)を持ち、五代将軍綱吉の建立による根本中堂を中心に堂塔36、子坊36坊を持つ大寺でした。江戸城無血開城に反発した旧幕臣らを中心とする彰義隊に官軍の総攻撃で下されたのは慶応四年五月十五日、上野寛永寺も戦火のため全焼しました。いま、上野公園には復興された根本中堂はじめ、多くの寛永寺関係の寺院や彰義隊に関する史跡、石碑等が数多く上野公園内に散在しています。
(彰義隊墓所及び上野寛永寺=JR山手線上野駅下車徒歩約5分〜10分)
 
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水六訓
一、あらゆる生物に生命力を与えるは水なり。
 
一、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。
 
一、如何なる障害をも克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。
 
一、自から清く他の汚れを洗い清濁併せ容るの糧あるは水なり。
 
一、動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い何等報いを求めざるは水なり。
 
一、大洋を充し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霰と化してもその性を失わざるは水なり。
 
 水を心とすることが平和と健康と長寿の妙薬であります。
 
笹川良一
 
OPINION
明日への提言
 
今は亡き笹川鎮江先生のご遺志を継いで吟剣詩舞道の発展のために尽くします
河田和良
人生(じんせい)は夢(ゆめ)の如く(ごとく)亦(また) 烟(けむり)の如し(ごとし)
君(きみ)逝いて(ゆいて)茫々(ぼうぼう) 転た(うたた)暗然(あんぜん)
髣髴(ほうふつ)たる温容(おんよう)呼べ(よべ)ども答えず(こたえず)
大空(たいくう)漠々(ばくばく) 恨み(うらみ)綿々(めんめん)
 三月十九日、上野の寛永寺輪王殿で執り行なわれた故笹川鎮江先生の葬儀において、この安達漢城の「追悼の詞」が、喪主を務められたご子息の衆議院議員笹川堯先生によって吟じられました。
 私を始め、葬儀に参列した財団役員並びに吟剣詩舞道会員全員が、心の中で、ご一緒にこの詩を唱和させていただきました。
 吟詠界の最高峰、笹川鎮江先生のご霊前で誰が「追悼の詞」を吟じるか、本当に迷うところでございましたが、これは願っても無い、最良の方法でありました。
 平成七年七月の財団創始会長笹川良一先生ご逝去に際して、お通夜の日に理事会が招集され、後任会長に笹川鎮江先生が選任されましたが、この時と同じく、鎮江先生のお通夜の日の三月十八日午後三時、財団の第八十八回理事会が開催され、僭越至極ながら私が後任の会長に選任され就任いたしました。
 もとより、微力ではございますが、偉大なご功績を残された財団創始会長笹川良一先生並びに前会長笹川鎮江先生のお心を継いで、財団と吟剣詩舞道の発展のため専心努力いたす所存でございます。
 財団創始会長笹川良一先生は「私は結果主義者だ、結果が良くなくては何の価値も無いと」おっしゃっておられました。
 これからは、このお言葉を心に銘記して、財団役員、会員一丸となって、吟剣詩舞道の発展のために尽くしていくことをお誓い申し上げます。
 笹川鎮江先生のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
「合掌」
 
笹川鎮江会長、ご逝去。
いつまでも心に生きる、会長の精神。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます
 
 吟剣詩舞の振興に全てをかけられ、多大なる功績を残された笹川鎮江財団法人日本吟剣詩舞振興会会長が多くの方に惜しまれつつ、去る三月十六日(日)ご逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
祭壇正面には、常陸宮、高松宮、三笠宮、各宮家から賜った生花が飾られた
 
葬儀式場となった輪王殿の正面
 
しめやかに読経が続く式場内。前列右から喪主、笹川堯氏、笹川陽平氏ご夫妻、河田和良財団会長
 
三月十九日に葬儀ならびに告別式
 笹川良一創始会長が昭和四十三年、大きな決意をもって財団法人日本吟剣詩舞振興会を創設なされて以来、創始会長に尽くされながら、三十五年の長きにわたり、吟剣詩舞道界の陣頭指揮をとられ、会長になられた平成七年からは、より精力的に吟剣詩舞道発展のため、精力的に事業と取り組まれ、吟剣詩舞の芸術性、音楽性の向上に努めてこられた笹川鎮江会長が、平成十五年三月十六日(日)午前十一時八分、急性心不全のため、東京・築地の聖路加国際病院においてご逝去されました。
 戒名は「靜凰院殿吟徳芳室鎭江清大姉」でした。
 通夜は三月十八日(火)午後六時から、葬儀ならびに告別式は翌日十九日(水)午前十一時三十分から、それぞれ東京・上野の寛永寺、輪王殿においてしめやかに執り行なわれました。両日あわせて約二千名の会葬者が訪れ、遺影と満堂の白い花々で飾られた会長のお棺の前を次々とご焼香されていました。







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