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日本ナショナルトラスト報 2003年4月号
Japan National Trust Magazine Apr 2003
 
連載 ゆれるアジアの町並み保存・その(1)
宇高 雄志
マレーシア科学大学研究員、広島大学建築学科助手
 
 いま、なぜ町並み保存か?アジア諸国でも最近、町並み保存は徐々に市民権を獲得しつつある。伝統と開発の調和のとれた国づくり。歴史を次の世代に伝えたい。著しい経済成長を経験する中、人々の視線は、再び伝統や遺産に向かいつつある。むろん、そんな「正論」とは裏腹に観光ビジネスや投機家の皮算用はとまらない。また、イデオロギーや、民族、宗教の狭間で、町並み保存を巡る、きな臭い一面も見えかくれする。
 おりしも時代は混乱の世紀。「美しいから残す。古いから優れている」。アジアの多くの町並みでは、そんなセンティメントは通用しない。グローバリズム、イスラム、民族。「文明が衝突する」世紀に、町並みは、遺産は、われわれに何を語りかけるのか。我々はどこにむかうのか?
 これから5回にわたり、アジア諸国の町並みの現場をリポートしたい。バリ、シンガポール、香港、マレーシア、そして日本。
 
バリ −長雨の爆破現場−
 今年1月、インドネシアのメガワティ大統領がバリを訪問した。目抜き通りは無数の真紅の政党旗がひるがえった。むろんこの訪問はバリ島クタ地区でおきた、昨年10月の爆弾テロ以降、いぜん影響の続く「観光の島」の安全を印象づけるためである。もちろんバリで最大の繁華街クタのほぼ中央、爆破テロの現場、ナイトクラブ「サリ・クラブ」跡地はきれいに片づけられ、すでに建設工事が始まっている。
 折しも雨期。バリの観光産業はローシーズンを迎えていた。ただでさえ観光客が少ない季節に、テロが追い打ちをかける。また、国内各地で繰り広げられるデモや紛争も、インドネシアとバリのイメージにくらい影を落としていた。爆破現場周辺には、いまもアンティークショップやカフェテリアが軒を連ねる。しかし、みな開店休業。廃業した店も目立つ。経済の悪化は、いかがわしいキャッチセールスの数を増やしている。通りをあるく人々はまばらだ。バリは爆弾テロ以降、いまだ土砂降りの雨。
 
演出された楽園
 バリの風景は美しい。美しい海とダイナミックな火山の景観。山麓には千枚田も無数にある。そしてバリの寺院。積み重ねられた歴史の風景。海に突き出す絶壁に立つ寺院と青い空のコントラスト。深い深い緑に咲くトロピカルな花々。生き続ける伝統。祈りの風景。
 しかし、バリを「本物」の楽園にしたのは、豊かな自然でも景観でも町並みでもない。1920年代にバリに滞在し、バリの魅力を世界に広めたドイツ人芸術家のシュピースである。シュピースは、ウブドゥに滞在しつつ土着のバリの文化へ働きかけ、絵画、舞踊、工芸など広い範囲で新しい表現を行った。現在の豊かなバリの芸術文化は彼の働きかけによって創出されたものであり、シュピースは現代バリ文化の父と言ってもよいだろう。また、彼のオリエンタリズムに支えられた、エキゾチックなコラムは世界を魅了した。こうしてバリの楽園神話は確立した。
 一方、シュピースの仕事がバリの文化を、西欧人の視線で再構成し、商品化し、変質させたとの批判もある。例えば、多くの男達が車座になって踊るケチャ・ダンスは、本来ならば何日にもわたるはずの宗教儀礼がわずか一時間程度にまとめられ、いまやスーパーケットやホテルでも上演される。呪術的な儀礼でさえもが商品化されるのである。
 しかしシュピースをひとり、演出されたバリの作り手として、賛美し、同時に責めるのは酷である。本当のバリの「演出」は戦後おこなわれる。独立以降、新生国家インドネシアは、スハルト大統領の強力な開発政策の下、バリは観光地として開発を受ける。空港は国際空港として再整備され、外資を積極的に導入してホテル産業を誘致する。ヌサ・ドゥア地区には国際観光地区が計画され、5つ星ホテルが軒を連ねる。こうした開発の成果が数字に表れるのは1980年代の後半である。観光客の入り込みは急増し、同時期にバリの観光産業は、バリの、いやインドネシアの国家経済を支える大セクターに成長する。
 
落日の楽園
 インドネシアの外国人観光客の年間入り込みは、テロ以前で500万人が見込まれた。バリはもちろん、ドル箱だ。我が国日本は、この中でも最大数の観光客を送り続けてきた。沖縄やハワイに飽きた日本人は、大挙してバリを訪れる。皮肉なことにこうした開発も、バリ人の伝統や文化のすべてを商品化することに向かったようだ。バリの町並みは一変する。
 いまや幹線道路には、日本語のカンバンが林立する。溢れるぎこちない日本語。なぜだか、バリ寺院を模したキッチュな銭湯やカンサイお好み焼き店まである。そこここに見られる神々をあしらった、無数の石像。しかし、これはセメント製のコテ細工。咲き乱れるブーゲンビリア。ここでも悲しいホンコン・フラワー(造花)。技巧を凝らした木彫工芸の原産地はジャワの寒村。いまや中国製も台頭している。バリは今や世界のアンティーク市場の一大集散地になりつつある。
 そんな、空前の観光景気の中の突然の惨劇。アメリカの対テロ戦争も相乗してか、バリの観光産業はじり貧。ホテルの稼働率は、多くで20%を切る。観光客の入り込みの減少もとまらない。リストラとレイオフの嵐。仕事にあぶれた目つきの鋭い男達がまちを徘徊する。バリは、インドネシアでも最も物価の高い地域になっている。インフレはテロ不況以降も続く。観光産業の低調は国内経済だけではなく、人々のこころにもくらい影を落としている。観光以外に産業はない悲しい海の美しさ。
 
神とツーリストの接点
 
ウブドゥ−消費された美しい村−
 バリの観光産業の低調は本当に爆破テロのみが理由なのだろうか?実は、バリの低落は少し前から始まっていた。統計を見ると、外国人観光客のなかでも西洋諸国からの観光客入り混みは、漸減を続けていた。逆に、シンガポールやホンコン、タイワンなどからの団体観光客は増えている。旅行者の単価も年々安くなっている。一方で明らかに、長期滞在パターンの多い西洋からのツーリストは、バリから離れていっていたのだ。なぜか?
 バリ島の中央部にウブドゥはある。ドイツ人芸術家のシュピースの愛した村は、今やバリ観光の目玉だ。ウブドゥは観光パンフレットに、こう紹介される。「芸術家の村。伝統音楽と、美しい絵画。緑のあふれる山中でリスや小鳥と遊べます。ライステラスが広がり、子供達ものんびり水遊び。かわいい雑貨もあふれています。のんびり、ゆっくりバリ・マッサージはいかがですか?」(原文英語)。
 王宮を中心にしたのどかな村。少し前までは、電灯ですら普及しなかった集落もあった。楽園のイメージをかき立てた美女の沐浴も、村の川では普通に見られた。猿は神のつかいとして、祈りは神のためにあった。村の中心にはホテルもそれほどなく、また店舗も村の人が村の人のために、つくり、使う物が商われていた。バリの夜の闇と緑の深さ。神の住まう自然は村の中でも感じられた。
 観光バブルはこの小さな村にも押し寄せた。わずか10年ほどで、軒並み、屋敷地の幹線道路に面した部分は土産物屋に変わった。歩いても歩いても、似たようなクラフト・ショップかカフェが続く。インターネット・カフェも完備だ。セメント・コテ細工の神々がここでも観光客を迎える。ほこりっぽい道路を、観光客を待ち受けるタクシーが行き来する。川は、絶望的なほど汚れている。皮肉なことに、巨大リゾート開発の結果、谷筋すべてを買い占めた5つ星ホテルだけが静寂をまもりとおしている。いまや開発は「本物」のウブドゥをもとめて、外へ外へと広がっている。押し寄せる観光客が落とす金は、村人を踊らせ狂わせたかに見える。それとは裏腹に一人歩きする、楽園としてのイメージ。
 テロの影響はこの村でも例外ではない。昼下がり。土産物屋の町並みを歩く人は少ない。うずたかく積み上げられ、ほこりをかぶったニセモノ民芸土産を前に、店主は昼寝をするしかない。くる日もくる日も長雨。まってもまっても客は来ない。
 
飽きられ忘れられる町並み
 観光客はこんなバリに飽きた。テロの起きたバリをおそれた。そして記憶の彼方に押しやった。「賢い」消費者としての観光客はネットワーク社会の成立により、観光地に行く前にコンピュータのディスプレーを通じてイメージを確立し消費する。バーゲンセールと同じ文脈で観光地としての町並みは、比較され、選別され、消費される。
 いま、アジア諸国では、町並み観光に異常な関心が払われている。NGOは保存の必要性を叫び続けているが、多くの諸国では依然として「町並み保存に払う金はない」のが現状なのである。そんな中、町並み保存を経済的にバックアップする観光産業は、地元の官界や産業界もあついまなざしを送っている。
 こんな現象はバリだけではない。アジア地域では、世界遺産関連で国際機関の関係者が、視察に訪れただけで観光振興に熱を上げ土産物屋が開店するほどだ。国際機関もこんなトレンドに一役買う。ある機関の幹部は「世界遺産指定によって観光客の入り込みが急増する」と気炎を上げる。アジア諸国では、町並み保存の名を借りたバーゲンセールが始まった。終わりのないイメージと演出の消費。そして消費され荒廃する町並みと人々の暮らしと心。
 
カルチャーショーと舞い降りる神々
 
神の国とこの世界
 観光地バリを出る前夜ケチャ・ダンスを見に行った。到着が少し早く、誰もいない客席で時間をつぶすことになった。バイパスのはずれの会場。陳腐な中国製のプラスチック椅子の並ぶ客席。ステージの安っぽいタイル。繰り返しバリの演出にならされた心では、ケチャ・ダンスそのものを見る前に、すでにそれは消費されている。正直なんの期待もない。
 少しうとうとしていると、ステージに突然、男が現れて、たいまつを焚き静かに儀礼をはじめる。彼は、80年も前にドイツ人によって演出された、つくられた舞踊に神に祈る。誰もいない客席。祈りが続く。続いて、踊り子達がバンに詰め込まれて送り届けられてきた。いよいよケチャ・ダンスがはじまる。太った男、やせた男。踊りの途上、褐色の背中に汗が噴き出る。男達の幾人かはトランス状態に入り恍惚の表情を見せる。
 最後はファイヤーダンスが予定されている。ステージにココナツが焼かれる。一人の男が、突然、火に飛び込む。男は恍惚の中で火炎を体にまとい、笑い戯れながら、燃えさかる炎の神と踊る。客席は騒然となる。視界からプラスチックの椅子もタイルも消えさる。デジタルカメラには収まらない炎と男の絶頂感。白い歯と血走った眼だけが浮かび上がる。
 バイパス横のケチャ・ダンス。毎日午後6時30分開演。入場料1人が5万ルピア。シビアな金と時間の現実。演出され消費される、世界の楽園。それでもこの男達は、毎日決まった時間に、トランスし神と戯れる。悲惨なテロや陰惨な謀略の溢れる、この俗世を、いとも簡単にとび超える日々。神々の楽園。決して消費されない説明できない、バリのもう一つの世界。
 ひとは多分、観光地バリのあまりに巧妙で、たえまのない演出に困惑するだろう。しかし、それでも消費しきれなかった少しの期待をかかえて、今曰もまた、旅人は神々の島バリをめざす。(会員)







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