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 鉄板の製作方法は大まかに言って二種類ある。
 一つは大きな銀貨を平たい石の上に置いて、鉄斬で二つに裁断する。それから鉄鋏で挟んで火の中に入れ加熱する。もし火勢が弱い場合は、椰子葉製の扇で火を煽る。普通燃料として用いる木材は、タイトウリュウガン(chay(チャイ))、アカテツ(vanisa(バニサ))、コウトウキナモドキ(oring(オリン))、コウトウナオタレ(vasango(バサゴ))など数種ある。銀板が赤く熱されたら、平石の上に置き、銀板に向かって祈祷を行う。即ち「我今よりそなたを鍛えんと欲す。宜しくこれに応ずべし。」と祈る。引き続き鉄杵で鍛えて、打ち延ばしていく。また銀板を土器の碗に張った水の中に入れて冷やす。それからこれを焼きと鍛え冷ましを繰り返す。銀板を鍛練する過程の中で、焼きと冷ましの二つの工程の回数が多すぎると、銀板は容易に砕けてでこぼこの小さい穴ができてしまう。焼きが終わったら、再び銀板を堅石砧の上に置き、石錘で軽く平らに押し、銀板の厚みをまんべんなく同じにする。続けて、銀板にさっと水を付けて、磨口で表面が光り輝くまで磨いていく。
 
(11)
金、銀を叩き打ち延ばす時に、金板、銀板を載せて叩く石の台(砧)
(イワギノ村)
 
(12)
金、銀を叩き伸ばす石鎚
(石錐)
(イワギノ村)
 
 もう一つの方法は、銀の鎔かし方である。先ず溶かす銀貨を坩堝に入れ、欠けた土器の壼か茶碗を取り出し、坩堝を其の中に入れる。その上から土器の坩堝又は丼をかぶせて、更にかけらの上に柴を置く。火を点けてこれを燃焼させる。銀貨を溶解させたら、鉄鋏で挟んで取り出せば、細い棒状の銀が得られるのである。
 銀の甲の製作に至っては、先ず銀板を打って長円の一枚ずつの薄い延べ型に成形する。それを木模の上に冠せて、下から上へと幾重にも巻付けていくと同時に銅線で銀の輪を固定していく。このようにして、円錐状の銀の甲に成形していくのである。その後、銀の甲の眼の部分に細長い孔を切っておく。冠った者がこの孔から外が見えるようにするのである。一般に長老級の老人のみ銀の甲の頭頂に鶏の尾の毛morong(モロン)を付けることができる。銀の甲が完成したら、吉日を選び、銀の甲を冠り盛装して、泉の涌く所へ行き、泉の水を汲み、銀の甲に水を注ぎながら、次の如き祈祷の言葉を述べるのである。「我にこの甲を永久に用いさせ給え。」家に帰ると、男子が毎年飛魚の呼び寄せの儀式を行う海辺へ行き、海水を銀の甲に注ぎ、祈祷の言葉を述べる。「我今海水を汝にかけたり。汝は多くの回遊魚を呼び寄せ給え。我に此れを捕らえさせ給え。」続けて豚を殺し、その豚の血を銀の甲に塗り付けて祈祷を行い、霊力を持たせる。「我汝に血を塗りたり。我に汝を永久に戴かせ給え。我に外より財宝を招来せよ。」一般的に、銀の甲を作る者は豚或いは、山羊を半分、多くの水芋の製作を委託した技術者に送り、謝礼することになっている。
 
(13)
銀板を甲に加工して、接合部分を合わすためた木型
(イワギノ村)
 
 平素銀の甲を冠らない時は、銀の甲を藤籠orisan(オリサン)の中にしまっておく。並びに藤籠に母屋の奥の部屋sarey do vahay(サリ ド ヴァアイ)に安置しておく。更に多数の∞字型銀板と∞字型銅板を串状にし、その間に些かの小さな金板∞字型胸飾りをあしらい、∞字型木箱(nichingeh a kavahayan o ovay(ニチグウ ア カバハヤン オ オヴアイ)にしまい、共に藤籠orisan(オリサン)に置いて安置しておく。
 
六、銀板の製作歌
 イララライ村に住むsira do nyoi(シラ ド ニョイ)リネージのsiyapen jyahamdaw(シヤプン ジャハムダウ)は銀貨を薄く打ち延ばして銀帽に巻き付ける銀板を作ろうと思った。彼の妻の兄はイヴァリヌ村に住みsira do ingato(シラ ド イガト)リネージのsiyapen kadezdez(シヤプン カドルドル)であった。彼は銀貨を鎔かし銀板を製作することができる技術者であった。そこで、siyapen jyahamdawはsiyapen kadezdezに道具を持たせ、イララライ村に呼んだ。彼は打ち延ばして銀板を作った。できあがってからsiyapen jyahamdawはanohod(アノウッル)調の歌を一曲歌った。
1 ano mina tatala kaoranan(アノ ミナ タタラ カオラナン)
もし(作った銀板で)一艘の小舟を造ったなら
2 miyan pa so rawayan pa sya(ミヤン パ ソ ラワヤン パ シャ)
幾らか見栄えの悪い疵(きず)がある
3 am kasalkasok ko jya pasakain(アム カサルカソック コ ジャ パサカイン)
だってあまりに急いで造ったから
4 so makarang a ni aiyan na tagakal(ソ マカラン ア ニ アイヤン ナ タガカル)
高脚の涼み台の下で鋳たが(銀板を作るのに、涼み台の下を鬼薄で囲ってしまい、悪霊anitoが仕事の邪魔をしに来るのを防ぐ
5 oya na jimamayoki do mata(オヤ ナ ジママヨキ ド マタ)
これ(銀板)も見てみるとみっともない疵がある
 イララライ村のsira do nyoiリネージのsiminaman mantak(シミナマン マンタック)はヤユ村のsiminaman pangagasen(シミナマン パガガスン)に銀貨で銀の甲の銀板の製作を託した。その後siminaman pangagasenはraod(ラウッル)調の歌を歌った。
1 kalamoadan ko ya jimakamaog so alonagen nam simangavozak mo mapi rawarawal(カラモアラン コ ヤ ジマカマオッグ アロナガン ナム シマガヴォラック モ マピ ラワラワル)
わしは心配じゃ、銀を鎔かしても薄く打ち延べられねば何としよう。祖霊anitoよ、何故に子孫等が銀板を打つのに焼き餅を焼くのじゃ。(祖霊anitoは焼き餅を焼き、嫉妬して、仕事を妨害する)
2 mapi rawarawal ta jinato jyarilawan o jinalaong do cinalamat mo omzowazobob(マピ ラワラワル タ ジナト ジヤリラワン オ ジナラオン ド チナラマット モ オムロワロポナ)祖霊anitoよ。何故に焼き餅を焼くのじゃ、我等子孫を不憫に思わんのか。若し仕事を邪魔するなら)折角銀板を数多集め来しも、銀の甲が作られぬ。
 
 イモロッド村のsira do rarahan(シラ ド ララハン)リネージのsiminaman makazo(シミナマン マカロ)はイラタイ村のsiminaman vengayan(シミナマン ヴガヤン)に銀貨で銀の甲の銀板を製作を託した。その後siminaman makazoはraod調の歌を歌った。
1 alonagen na ori o mina latalataw do kalomidmana icya totoyon da lagolagoviyan(アロナグン ナ オリ オ ミナ ラタラタウ ド カロミルマナ イチャ トトヨン ダ ラゴラゴヴィヤン)
銀の海に浮かぶ舟に乗ってこちらへやってきた。わたしは銀を打って銀板にし、銀の甲を作りたい。
2 icya totoyon da imo wa palaglagpiten da do maji no vavoi no misalag so inyangalo(イチャ トトヨン ダ モ ア パラグラクピィトゥン ダ ド マジ ノ ヴァヴォイ ノ ミサラッグ ソ イニヤガロ
山羊と、牙(犬歯)を剥き出しにした大きな豚を殺し、その血をそなた(銀の甲)にかけて捧げたい。
 
七、金銀の物質分析
 ヤミ族が祖先より受け継いできた金、それはその外観の色沢をよく見てみると微かに白色を帯びている。一九七八年六月に筆者はイララライ村にて取得せし細かな金板を三井金属金属礦業KK中央研究所、銀板をC.M.C社品質分析室に持参し、化学的分析を委託した。その結果は以下の通りである。
金板の厚さ:100ミクロン。
重量:85・9ミリグラム
分析値:Au(金)の含有率44・3パーセント
  Ag(銀)の含有率46・4パーセント
  Cu(銅)の含有率1・65パーセント
 一般的に純金は二四Kであり、ヤミ族が伝えた金板は約一二Kである。その冶金法は品質から推定するに、混汞法(Amalgam系統に属す)である。製作方法は叩き延ばすやり方である。銀板の化学成分は、Ag七八・二パーセントで、Cuが一六・一パーセント、Ni(ニッケル)が〇・〇〇二パーセントである。
 一九四五年頃、東部にある商人がいた。アルミとステンレスで造ったまがい物の銀の甲で、ヤミ族と物々交換を専らにしていた。ヤミ族の人々は銀の甲が部落の儀式で極めて重要であることをよく認識しており、かつ、余所者が持ってきたものは贋の銀の甲であることを知りながら、この取り引きを長年行ってきた。その者は地元の人々からsi volangat(シ ヴォラガット)と呼ばれていた。その意は“銀の甲さん”である。近年大勢のヤミ族の若者が台湾に出稼ぎに出ている。そして、帰郷する際には貴金属店に行き、純金で∞字型金板を作り、父親に送っている。それを元々の。∞字型胸飾りにあしらっている。しかしながらヤミ族の老人の考え方には、先祖伝来の金板こそが真の金であるとの考えが支配的で、台湾から来た余所の金とは価値が違うと認識されている。
・・・〈南方俗民物資文化資料館〉
参考文献
鹿野忠雄 一九四六『東南亜細亜民族學先史學研究』第1冊 第2冊 東京 矢島書局
鹿野忠雄 瀬川孝吉 一九五六年《An Illustrated Ethnography of Formosan Aborigines》東京 丸善株式会社
鮑克蘭 一九六九 「蘭嶼雅美族的金銀工藝與銀」「中央研究院民族學研究所集刊』第27期 P.121-128
江樹生訳注 一九九九『熱蘭遮城(ゼエランティア城)日誌(一)』台南 台南市政府
江樹生訳注 二〇〇二『熱蘭遮城日誌(二)』台南 台南市政府
村上直次郎訳 一九三七『バタビヤ城日誌』第二巻 東京 日蘭交通史料研究会
皆川隆一 一九八六 五月二〇日『ヤミ族民俗資料I』







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