日本財団 図書館


世界観と信仰・・・皆川隆一
一、世界観
 ヤミ族の伝統的世界観では、この世は幾層かの天界と地上界・地下界から成り立っている。そして、その最下層では、何本かの宇宙樹が世界をがっちりと支えている。これがヤミ族の世界観である。その世界観を具象化した絵が、〈図(1)〉である。
 
図(1)ヤミ族の世界観
 
 Arundel Del Reが"CREATION MYTHS OF THE FORMOSAN NATIVES"(北星堂 一九五一)中で紹介した宇宙図である。III層左脇に「シヤマトマヌ」(または「シヤマトママ」であろうか。)という片仮名が読みとれる。Arundel Del Reの文章中には、この図の描き手について単に「Native Drawing」としか説明していないが、この片仮名表記は、描き手自身の手になる自署名なのではないだろうか。戦前の植民地時代、ヤミ族の島紅頭嶼(現在は蘭嶼)にも蕃童教育所という日本語教育施設が設けられていた。そこで日本語教育を受けた世代ならば片仮名での自署名は可能なはずである。〈図(1)〉は、素姓はつまびらかではないが、そのシャマトマヌ(正しくはシャマン・トマヌであろう)という人が、Arundel Del Reのために描いた宇宙図であろう。筆者自身は、シャマン・トマヌと同世代(蕃童教育所にて日本語教育を受けた世代。現在では七五才〜八〇才代)の老人を数多く知っている。しかし、これほどにヤミ族の世界観を具象化し得る人は知らない。極めて貴重な資料である。
 ヤミ文化では、一般的に、天界はタオ・ド・ト(tao do to)の居所と考えられている。タオは人、ドは場所を表す前置詞である。トの原義は不明だが、タオ・ド・トのことをタオ・ド・アギッツ(angitは空・天の意味である)、あるいは、タオ・ド・ティガト(tingatoは山の頂や、斜面上位部を指す語である)と称することから考えて、天界(angit)、上の世界(tingato)と類似の概念を表す語であろう。天界=アギッツは、いくつかの層(tapilan(タピラン))に分かれている。五層と言う者もいれば、六層と言う者もいる。〈図(1)〉ではArundel Del Re自身の書き込みであるが、天界がI・II・III・IVと区分されている。シャマン・トマヌは天界を四層からなると考えていたのであろう。
 V層には船が描かれている。地上の海辺の景であり、生者たちの世界である。
 VI層に描かれている、蓬髪で下腹の膨れあがった餓鬼のような姿は、地上の野山を彷徨う死霊(アニト)たちである。
 VII層の上半分にも死霊(アニト)が描かれている。おそらく墓地の中のアニトを表しているのだろう。
 VII層下半分はジムアゴ伝説で語り伝えられる地下世界を表している。そこの住人達の姿はII層の住人のふくよかな姿とよく似ている。ヤミ族の地下は天界に似たユートピア世界なのである。
 そのユートピア世界について、イモロッド村では、継母に虐められながらも健気に生きた娘が辿り着いた世界として語り継がれている。哀れなその娘は、前の晩に見た不思議な夢の教えに従って、翌朝ジムアゴ辺りの草地へ((1))と向かう。そこには、いつもは気が付かなかった地下(tirahenm(ティラウンム))世界への入り口がぽっかりと口を開けていた。地上(tingato(ティガト))世界で毎日辛い思いをしているよりはと、不安ながらも思い切ってその穴の中へ足を踏み入れてみる。すると、そこには、夢の通りの豊かな美しい世界が広がっていた。地下世界の人々は皆、その哀れな娘に優しく親切であった。娘は、やがて、その地下(tirahenm(ティラウンム))世界の青年に見染められ、幸せな結婚生活を送ったという伝承がジムアゴのユートピア伝説である。
 
地下世界への入口、ジムアゴ辺(⇒の辺)
 
 その下のVIII層には、この世の最下層が描かれている。蛇がからみついた巨大な樹木の幹が何本か描かれている。世界を支える樹木である。
 
二、タオ・ド・ト
 ヤミ文化では、地上世界の住人とそれに超越する天界の存在とが未分化である。タオ・ド・トは、神のごとき超人間的な信仰対象である。しかし、超人間的存在であるにもかかわらず、地上の人間を表すタオと同じ語で言い表されている。ヤミ族のタオ・ド・ト信仰を語ろうとするとき、いつもこのことが気に掛かる。今もってうまく説明できないことの一つである。
 天界(angit・tingato)は、タオ・ド・ト(tao do to)が住む世界だと述べた。そのタオ・ド・トは一人ではない。〈図(1)〉の第II層にはふくよかな姿をした二人のタオ・ド・トが描かれている。下段には、その二人の名前がシモラポ、シモミマだと注記してある。正しくは、シ・ムラパオ、シ・オミマという名前であろう。タオ・ド・トの名前はその二人の他にも数多く伝えられている。天界の各層(tapilan(タピラン))ごとに、美しい村と野山と海がある。数居るタオ・ド・トの中でも殊に尊敬を集めるのがシ・アカイ・ド・トである。シ・アカイはお爺さんという意味である。シ・アカイ・ド・トは、長老のタオ・ド・トということになる。そのシ・アカイ・ド・トは天界最上層に君臨すると考えられている。私の調査では、その最高存在の名前をシ・マニチョと答える人が多かった。〈図(1)〉の第II層では、上半身だけ大きく描かれている右側のタオ・ド・トが、そのシ・アカイ・ド・トに当たるのであろう。
 しかし、最上層ということならば、第II層の上の第I層が〈図(1)〉では一番上になる。だが、第I層の存在の姿は、第III層第VI層で描かれている姿に似て、蓬髪で下腹が膨れあがった餓鬼の姿をしている。黄金の家に住み、働かなくても決して飢える事の無いタオ・ド・トが、餓鬼の姿とは不自然である。この第I層について、Arundel Del Reは、「天界を横切る怠け者の息子」と下段で注書きしているが、本文中では、雨を降らせ(I層とII層を区切る黒いドーム状の境は、雨を象徴したものと述べている。)雷鳴を轟かせ稲妻を光らせる仕事を担った「神のような死霊(アニト)」という解説を施している。また、天界の第III層の存在について、下段注書では「Anito Gods(アニトの神)としている。
 天界には善なる神だけでなく、餓鬼の姿をした「神のような死霊(アニト」や「Anito Gods(死霊の神)」も共存するということになるのだろうか。すでに、現代のヤミ族社会には、貨幣経済が定着し、文字教育が行き渡っている。伝統的観念も大きく変容したはずである。その意味で私自身の調査にも限界があろうが、天界には、シ・アカイ・ド・ト(シ・マニチョ)のような地位高いタオ・ド・トと、その命令を人間に伝える使い走りの地位低いタオ・ド・トがいると聞いている。神鳴りは、そうした地位低いタオ・ド・トの為業なのだという。また、火星の赤い瞬きをアニトだとして人々が恐れることも知っている。しかし、第III層のようにアニトの住む層が天界にあるという考えはほとんど聞いたことがない。そもそも天界のタオは地上のタオと違って不死の存在だというのが一般的通念である。年を取って皮膚がたるんでくると蟹のように脱皮して変若ち(おち)返るのだという。とすれば、第III層の餓鬼の姿はけっしてタオ・ド・トの死後の姿を描いたというのではない。天の世界は永遠の齢と富と豊饒・平和が満ちる世界であり、労働を必要としない世界であり、死とは殆ど無縁の世界なのである。
 ただ、霊的能力に長けたロミヤックと呼ばれる人達(現在では七人か八人しかいない)だけが、「神のようなアニト」や「アニトの神」の存在を伺わせるような稀な伝承を伝えている。
 ロミヤックには二種類ある。タオ・ド・トが憑依するロミヤックと、死霊アニトが憑依するロミヤックである。衛生所が開設される以前は、重病人が出た時、前者のロミヤックに相談するのが常であったという。前者がより本格的なロミヤックと見られている。その本格的なロミヤック(現在では一人)は、巫病の初期段階にあって霊魂が天界を訪問したという経験を持つ。つまり、ヤミ族社会でもっとも天界の情報に詳しい者は、天界の飛翔経験を持つロミヤックと、その見聞譚を伝え聞く機会のあるロミヤックの家族達なのである。
 そうしたロミヤックのうちのある者は、死後、天界に赴くことがあるという。天界へ赴いて、タオ・ド・トの末席に連なるのである。とすれば、III層の餓鬼のような姿に零落するはずはないであろう。
 
(2)
木の孫と石の孫の天降った地
ジパブトック(⇒の辺)
 
(3)海岸辺の林投の藪
 
 では、天界に描かれた餓鬼の正体は何なのであろうか。
 こんな話をロミヤックから聞いたことがある。「自分の霊魂が天界に連れて行かれた時、タオ・ド・トはあちこちを案内してくれたが、ある所で怖い話をしてくれた。タオ・ド・トは色白で汗の臭いの無い人達なのだが、そこには、『赤い肌の、頭に角の生えた、いつも刀を携帯した恐ろしいイリラウが住んで居る。もし、地上の人間の臭いがしようものなら、イリラウはすぐにその刀を抜いて人間を殺してしまうだろう。』と教えてくれた。」というのである。ロミヤックは、こうも話を続けた。「タオ・ド・ト達の村から遠く離れた所に、鉄条網に囲まれた出入り禁止の地区があった。その敷地内には、タオ・ド・ト達の黄金でできた家々と違って、地上のタオと同じ粗末な家があった。そこは、悪いことをした地上の人間の霊魂を閉じこめておく場所だった。そこからは、呻き声が漏れ聞こえていた。悪いことをした地上のタオの霊魂が飢えに苦しむ声だった。苦しみの果て、運悪く死んでしまう霊魂もあるという。死んでしまった霊魂は鉄条網の先の断崖絶壁から地上へと突き落とされることになる。そうなれば、その二〜三日後に地上のタオも必ずや命絶えることになる。」と言うのである。
 こうした、天界の暗黒面を克明に語る伝承は、一般の人々の口からはまず聞き出すことができない。〈図(1)〉のように、死霊(アニト)の住む層が天界にもあるとする考えは、決して一般的世界観とは言い難い。普通の人々の霊魂が死後天界に赴くという観念は無い。例外が、選ばれたる特別なロミヤックの霊魂なのである。もし、〈図(1)〉の描き手がロミヤックの血筋の若者であったとしたら、第III層のような住人を天界に想望したとしても不思議はない。第III層の住人の姿は、イリラウや悪しき地上のタオの生き霊を具象化したものであろう。
 タオ・ド・トの中のタオ・ド・ト、シ・アカイ・ド・トはあらゆる物質的幸福の体現者であると同時に、あらゆる道徳の源泉でもある。敬い懼れる者には惜しみなく恵みを授け、軽んじ、規範を逸脱する生き霊には罰を与える。タオ・ド・トの使徒とも言うべきロミヤックが、天界をそうした光明と暗黒の両義的世界として捉えたとしても、何の矛盾もないだろう。
 地上のタオ=ヤミ族は、実は、このシ・アカイを祖先とする神話を持っている。遙かな昔、シ・アカイ・ド・トはある時地上世界を見下ろした。記紀神話で言えば、国見である。緑豊かな美しい島が目に入った。ヤミ族の住む島蘭嶼である。あんな美しい島に誰も住んでいないのはもったいないと国褒めし、天界から自分の孫に木と石の姿に変えて投げ下ろした(2)。地上のタオ=ヤミ族はその末裔であるという神話である。ヤミ族もまた、天孫降臨の一族だったのである。天の存在と地上の存在が血筋で結ばれているということは、神←→人と敢えて分節化する必要が無かったのかも知れない。
(註−IV層の小さな人がたはミニパラガラガウと呼ばれる子授けの女神達である。)
 
三、アニト
 日本神話における天孫ニニギのミコトは、死後、結局、葦原中国に葬られるしかなかった。島に天降ったシ・アカイの孫も同じである。地上に降りたシ・アカイの子孫達は、死ぬと海岸べりの林投(アダンの樹)(3))の藪の中に埋葬される。埋葬された後、霊魂はどうなるのか。
 ヤミ族の伝統的な観念では、霊魂の数は七個ある。頭に一個、両肩・両肘・両膝に各一個の計七個である。もっとも、人によっては、踝にもあると言う。それら複数の霊魂の中で、一番大事なのが頭に宿る霊魂である。これが遊離したまま頭に戻らなければ、人は死ぬ。肉体を離れた頭の霊魂は、遥か東南海上の赤い死者の島(jimalangbang a pongso(ジマランバン ア ポンソ))へと旅立つ。他の一段弱い霊魂はどうなるのか。肉体を離れた後、タオの島=蘭嶼の野山を餓鬼の姿で彷徨うことになる。〈図(1)〉のVIが、野山を彷徨う死霊=アニトの姿である。アニトを見た者の話では、「白目だけでこちらを見やったかと思うと、さっと影のように姿を隠した」とか、「ざんばら髪で痩せ細った赤い体をしていた」、「赫々と光る赤い目をしていた」などと語られている。が、そのアニトが、我々生者の行き着くべき果てではない。アニトは、アニトとしての人生を五回繰り返す。アニトも死ぬのである。そして、五回目の生を終えた時、鬼茅の茎内部に生える繊毛(人によっては鬼茅の穂になると言う。)に生まれ変わり、そこで、はじめて永遠の安らぎを得る。ヤミ族の死生観にあって、死者の霊魂はけっして不滅ではないのである。これが、ヤミ族の死にまつわる哲学である。
 アニトは、生前と同様に、タロイモを栽培し魚を捕って暮らしていると言う。しかし、その暮らしぶりは、生者とは比べものにならない程苦しい。痩せ細った餓鬼の姿、生者のタロイモや魚を盗み山羊や豚に細竹を突き刺してその生き血を吸うといった話も、アニトの世界の苦しさを垣間見せている。しかし、アニトの恐ろしさは、その姿や生者の食べ物を略奪するということにあるのではない。生者の霊魂を連れ去って、生者に病や死をもたらすことにある。そうした禍もたらすアニトは、決して見ず知らずのアニトなのではない。身内のアニトなのである。
 近親者のアニトを他と区別して特にコミリン・ア・アニトという。主に縦の系譜軸の祖父母・両親・兄弟・子・孫までの範囲(人によっては、叔父叔母・従兄弟・甥姪の範囲まで指す)をいう。ヤミ文化に顕著なアニト恐怖とは、主としてこのコミリン・ア・アニトヘの恐怖である。
 例えば、生前大事にされなかった老父のアニトは、我が子の不孝を恨んで、病に罹らせたり、怪我をさせたり、あるいは、また、子が獲った魚を盗み食いしたり、するという。しかし、必ずしも恨みを持ったアニトだけが禍を為すわけではない。ヤミ族にあって生者と死者の優劣関係は明瞭である。生者はただ生者であるというだけで、アニトにとって羨望の対象となる。羨望を越えて、しばしば、妬み(イキナナウット)の対象となる。ある老人の話である。「若くして世を去った兄のコミリンが、自分の人生は貧しく、寿命も短かった。なのに、弟のお前は親の財産をそのまま譲り受け、何不自由なく幸せに暮らしている。時には、アニトとなった哀れな自分の事も考えてくれ。」などと妬み(イキナナウット)の念にかられて、生きている弟に禍を為すのだという。勿論、コミリンが子孫の難を救う話もある。が、稀な話である。概して、コミリン・ア・アニトは生者を妬み、禍を為す。
 ヤミ社会の死霊は、祖霊や祖先神にと昇華することはないが、世代の隔たりとともに、やはり、恐怖のイメージは薄らいでいく。曾祖父母以上(人によっては五代以上の隔たりという)のアニトはイナポ(inapo)と呼ぶ。イナポからは生々しい死霊の記憶が失われ、神話的伝説的存在として語られることが多くなる。一度の生者の人生を終え、五度のアニトの人生を閉じて鬼茅の穂となる頃である。
 詳しくは、拙稿「神の憐れみ・死者の妬み−ヤミ族の信仰生活」(平成二年三月桜楓社刊、南島研究と折口学』所収)を参照頂ければ幸いである。
・・・〈慶應義塾高校教諭〉







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION