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島にないもの
 ヤミ族社会には、あってもよさそうなのに伝統的には存在しないものがいくつかある。それを列挙することで、ヤミ族文化の特徴、特異性を示したい。
 海岸近くの道路を歩けば、島の随所で、棚田の景観をみることができる。そこに栽培されているのはタロイモである。ヤミ族は、伝統的にイネを栽培してこなかった。アワは、儀礼上重要な作物とされ、その収穫祭ミバチはよく知られているが、毎日の食事で主食となるのはイモである。日常的にはワカイ(サツマイモ)の消費が多いが、その他のイモも栽培されている。ヤミ族は、自然界を左右できると考える超越神シャカイ・ド・トに対して、年に一度ミパルスと呼ばれる祭祀をおこなうが、この時シャカイ・ド・トに献上するは、カダイ(アワ)、ソリ(水田のタロイモ)、キイタン(畑のタロイモ)、ウビ(ヤマイモ)、パタン(トゲイモ)、豚肉であり、サツマイモは含まれていない。ヤミ族文化には、稲作以前のオーストロネシア系諸族の古層の文化の特質が示されているという指摘もされている。
 酒をつくらないというのも、ヤミ族文化の特異な点であろう。タバコも栽培せず、嗜好品としては、ビンロウジがあるだけだ。家の落成式でおこなわれるミパルク儀礼では、サトウキビを絞って壺にいれるが、これが、かつてヤミ族が酒をつくった可能性を示す唯一の例といわれる。台湾の中央研究院民族学研究所の元所長劉斌雄は、酒をつくらなくなったのは争いを忌避するためにとったヤミ族の適応の戦略であったと考える。島の富によって支えられる人口の規模では、お互いに抗争を続けることはできず、ヤミ族は様々な平和を維持するしくみを作り出したというのである。
 
タロイモで舟を覆い尽くすミヴァライ儀礼
(イララライ村1985年)
 
前庭アオロッドでおこなわれるミヴァチ儀礼
歌いながら粟を交替でついていく。
(イモロッド村1987年)
 
 強大な権力を持つ首長がいない、というのも、この平和を指向する民族としての特性といえるだろう。階級ばかりでなく、個人差を生み出すことになる専門職も、ヤミ族社会にはほとんどみられない。家や船をつくる大工すら存在しないのである。アジアの農村では、兼業であってもこうした専門職はたいていどの村にでも存在するものだ。しかし、ヤミ族では、生活財はことごとく自分でつくる。専門職とみなせるのは、銀帽などを作れる人や、ロミヤックと呼ばれる霊能力者ぐらいであろう。
 楽器もヤミ族にはみられない。儀礼や祭祀の場面でヤミ族が行うのは、歌を歌うことで、これは、上手い下手はあっても、誰もが参加できるものである。特定の専門家、専従者を必要とする楽器は、ヤミ族社会では好まれなかったようである。
 こうした共同体としての平等への指向は、漁にでたあとの魚の分配、儀礼における肉の分配の方法にも、如実に示されている。そうした平等のなかで、ヤミ族は、同じ世代同士が競争し、他より抜きん出るべく努力をするのである。良い船に乗るのも、立派な家に住むのも、たくさん魚をとるのも、すべて個人の能力次第だから、それをお互い競いあうのである。こうした競争のなかでもっとも重視されるのが、大盤振舞を伴うミヴァライ(マカググン)儀礼である。彫刻船やトモク(家の中心に据えられるバチ形の柱)のある家の完成時に行われるこの儀礼では、水田で栽培された大量のタロイモ、豚、山羊などの準備に数年を必要とした。他村からの祝賀客、村人を招待しておこなわれるミヴァライは、その主催者(ミヴァライ・ア・タオ)の人生における晴れ舞台であり、それを繰り返すことをヤミ族は誇りとしてきたのである。数年の努力の成果も、夜を徹しておこなわれる歌会のあと、ほとんどが一日のうちに霧散する。しかし、大仕事が終わり、徹夜明けでふらふらになったミヴァライ・ア・タオの頭に思い浮かぶのは、次のミヴァライの準備のことなのである。
 
豚肉の分配には細心の注意が必要
 
ミヴァライで分配される豚肉
 均等になるように、肉の各部分が細かく切り刻まれている。小石は、参会者の数を確認するためのもの。
(いずれもイモロッド村1987年)







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