■ひやしの呪的効果■
『おもろさうし』には「ひやし」を打ってオモロをうたい舞うさまがくりかえし現れる。女性祭司の神遊びを中心に例を挙げてみよう (註(4))。
(1)一 よゝせぎみの おれてあすべば ひやしうちあげれば きみもなよら・・・
9-9
〈よ寄せ君が天降りして遊べば、拍子を打ちあげれば、君たちも舞おう。・・・〉
(2)一 もゝとふみあがりや きみのふみあがりや あすぶきよらや
又 しもの世のぬしの おもいくわのきみの
又 がぢやのうらかみや よきなわねとて
又 しま中かみや まちらす ねとて
又 こくらのかみの こくせのかみの
又 あやてまめがたな よりてまめがたな
6-49
〈百度踏みあがりが、君の踏みあがりが[遊ぶさまの美しいことよ]、下の世の主の思い子である君の[〃]、我謝の浦の神々は、よきなわが音を取って[〃]、島中の神々は、まちらすが音を取って[〃]、大勢の神々の、沢山の神々の[〃]、美しい手を過つな、舞の手を過つな[〃]。〉
(3)一 くもこもりぐすく おわもりはてづて よまさるひやし うちちへみおやせ・・・
17-65
〈雲子杜城でおわもりが手を擦り祈って、よ勝る拍子を打って奉れ。〉
(1)は「よ寄せ君」が主宰する神遊びで、拍子を打ちあげるとその場に集うキミ達(上級祭司)も一斉に舞うと、女性祭司の集団舞踊のさまを叙べている。そういう集団の中心には音(ね)を取るリーダーがいた。(2)は名高い「百度踏みあがり」が主宰する神遊びで、広域から祭司達が集まっている。中城湾一帯の祭司グループ(我謝の浦神)は「よきなわ」という祭司が音を取り、島中地方のグループ(島中神)は「まちらす」が音を取って、大勢の祭司たちが美しい手、舞の手を揃えて集団で歌舞する情景を捉えている。「我謝の浦神・島中神」とあるが、祭司たちが憑霊して神々になって遊ぶ「神遊び」なのである。
祭司が打ち出す「ひやし」には、(3)の「よ勝るひやし」のように超自然的な効果が期待されていた。「よ」は豊饒を言い表す語で、それを根幹として成り立つ社会そのものをも指した。オモロのひやしを打つことは単にリズムを刻むだけでなく、より大きな豊饒を実現するといった超自然的な効果が期待される、呪術的なわざであった。
ほかに「よ寄せひやし」8-77、「よ持ちひやし」17-23、「百浦そわるひやし」2-30、「後勝るひやし」19-18などがある。よ(豊饒)を寄せる、よを保つ、多くの浦(村)を支配する、後世かけて繁栄するなど、拍子にはさまざまな願いがこめられ、打つことでその実現を信じたのである。
このような特別の力を持つ「ひやし」を打ってうたい舞うことから、その儀礼を「おもろみひやし」また単に「みひやし」と呼んだと考えることができる。
■オモロの楽器―つづみ■
そのような「ひやし」を打ち出す楽器には、「つづみ」「ひやしのつち」などがあった。『混効験集』に「おもろ仕候時つゞみにて拍子を打事也」「皷にておもろの拍子を打舞候風情の事なり」とあるように、つづみはオモロ奏楽の代表的な楽器だった。
(3)
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シヌグ舞いに参加する女性たちが祭司と太鼓の音を合わせる「チヂン合わせ」。沖縄本島本部町具志堅のシヌグ
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(4)
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天上からつるした太鼓を打ってウムイをうたう「立ちウムイ」。 沖縄本島東平良のウフウイミ
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『おもろさうし』に鼓はさまざまな異称(美称)をもって登場する。「寄せ打ち」8-63、「鳴り呼ぶ」17-28、「浦の鳴りとよみ」13-225、「島鎮め(たるめ)鳴るし」16-42、「鼓の按司鳴りがなし」2-41など。これらの異称は鼓が持つ呪的な効果を言い表したものが多い。
一 あかのこに よせうち もちゑとらちゑ よせうちしゆ しまはうちよせれ 又 ねはのこに なりよぶ もちゑとらちへ
8-63
〈阿嘉の子に寄せ打ち(鼓)を持ち取らせて[寄せ打ちこそ島をば打ち寄せよ。]饒波の子に鳴り呼ぶ(鼓)を持ち取らせて[〃]。〉
「阿嘉の子」は有名なオモロ歌唱者アカインコの別称とされる。祭司やオモロ歌唱者など特別の力ある人が鼓を打てば、シマ(一定の領域)を打ち寄せる効果が期待されたので、その鼓を「よせうち」と呼んだのである。他の異称も、浦々に鳴り響き、物や人や神霊を呼び寄せ、その結果シマを穏やかに鎮めるなど、鼓がもつ精妙な呪的機能を褒め讃える表現が多い。呪的な効果を持つ「ひやし」を打ち出す楽器そのものにも崇敬の念が向けられたのである。このような異称(美称)の一部は、現代の祭司にも伝承され、太鼓は「うちゅぶ(打ち呼ぶ)」「なゆぶ(鳴り呼ぶ)」などと、ウムイやクェーナ(祭式歌謡)の中で謡われている。
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