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図(6)宋の陳暘「楽書」に載る「雷鼓」
 
図(7)a 
四川省の後蜀の王建墓の「羯鼓を打つ」石刻図
 
図(7)b 
四川省の後蜀の王建墓の「毛員鼓楽伎」石刻図
 
図(8)a 太鼓
 
図(8)b 
河北省宣化の遼墓の壁画「遼代楽舞図」にみえる大太鼓と細腰鼓
 
 宋・元以後、中国の都市経済が盛んになるにつれて、太鼓を「首」とする各種の民間音楽も発展していった。あらゆる秧歌(おうか)(豊年祭など農民の祭礼の歌舞)や灯会(都市の灯籠祭)、書場)(演芸場)や戯院(劇場)、村祭や寺廟・道観(道教の寺院)の行事、祝祭日や婚礼・葬儀などに、音楽を用いるかぎりは、太鼓はなくてはならないものであった。そして社会生活の広範な必要から、表現の仕方が多方面に伸展して、自ずと太鼓の類別や鼓楽の種類の増加、鼓楽芸術の水準向上を促した。なかでも戯曲(昆劇や京劇など)と曲芸(民間に伝わる地方色豊かな大衆演芸。伴奏を伴う歌い語りの弾詞や、太鼓・拍板・三弦の伴奏に合せて語る語り物の大鼓・鼓書など。日本語の曲芸と語意が異なる)の両部門の総合芸術の形成と発展の過程で、太鼓と拍板などの打楽器もほとんどこれに歩調を合せて、重要な役割をなした。かつある種の管弦楽器とともに、劇の気分を際立たせ、舞台のリズムを制御して、全局面の精神を支配するまでになった(図(8)b)。少数民族地区でも、太鼓は同様に重要な楽器であり、一般の人々の心のなかでは高い位置におかれている。それはトーテムの象徴であったり、神を祭るためのものであったり、舞踏の道具であったり、祝日に興を添えたりして、民俗生活の隅々に行きわたっている。







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