中国の太鼓・・・喬建中
■土鼓と 鼓■
中国の太鼓は中国音楽史上、古くから登場する用途の広い楽器のひとつである。古代の文献には、太鼓は「衆楽の長」「衆器の首」として尊ばれ、人びとの間では「太鼓なくして楽ならず」の俗諺がある。これらは、太鼓が中国の人びとの音楽ひいては日常生活において、特殊かつ重要な位置にあることを示している。
中国の最古級の太鼓は、考古の発掘によって数多くもたらされている。それらはおもに二つに分類される。一つは陶鼓で、史書では「土鼓」とも記される。もう一つは、中空の木の胴に魚の皮をかぶせた太鼓、すなわち史書に記される「 鼓(だこ)」である。
図(1)
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甘粛省永登楽山坪出土の 新石器時代の彩陶鼓〈土鼓〉 |
図(2)
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山西省臨汾の陶寺遺址出土の「鼓」
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前者は青海省民和県陽山や甘粛省永登県河橋鎮楽山坪などの新石器時代遺跡にみられ、出土遺物には彩文陶器のものもあり、その基本的な形は、両端が太く、真ん中の腰が細く、一端が罐状、もう一端がラッパ状をなして、両端の口が通り、口の外縁に対称の耳環がある(図(1))。学問的には、これらは両端に皮をかぶせた古代の土鼓の胴とする説があり、紀元前二六〇〇年の遺物である。『礼記』「明堂位」に、「土鼓、 桴(かいふ)(土塊で太鼓を打つ棒としたもの)、葦籥(いやく)(葦でつくった笛)は伊耆(いき)氏の楽なり」とある土鼓がこの類の太鼓である。
後者は山西省臨汾の陶寺竜山文化遺跡にみられる。その胴は木の幹を中空となし、太鼓の皮に長江ワニの皮を用いたもので、出土時には皮は腐化していたが、周囲に鱗が散らばっていた。これはいまから四四〇〇年前の遺跡である(図(2))。現在までの資料では、これは「華夏(中国)最古の太鼓」といえる。『詩経』「大雅、霊台」に、「 鼓逢(ほう)逢(逢逢は太鼓の音)」とあるのは、まさにこの類の楽器である。しばらくして、中国最古の文字である甲骨文字にも「鼓」字がみられる。唐蘭の『殷墟文字記』には、同義字が四十余個収載される。その代表的字形は二通りに分類され、一つは上・中・下の構造で、上部は三つまたの装飾物のようなもの、真ん中は横に置いた長桶の太鼓の形であり、下部は鼓座である
〈 のような字形〉。
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もう一つは左右の構造で、左側は第一の類と同じであり、右側は人が一人立って打つ姿のようである。現在の漢字「鼓」は、この字から変化したもののようである
〈 のような字形〉。
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