帝国劇場大正三年四月興行時代劇
(鏡山旧錦絵)尾上部屋の場 |
奥庭仕返しの場
大正七年五月帝国劇場
(生写朝顔日記)
龍太(長十郎)次郎左衛門(宗之助)
朝顔(嘉久子) |
資料がないので推測になるが、恐らくは、町の有力者でもある株主は「悪所」である劇場をつくる免罪符を「大典紀念」に求めたのであろうし、逆にいえば、自らの劇場建設によって大正天皇の即位を記憶し新しい時代の誕生を祝おうとの意識もはたらいたと考えられる。この大正四年の「大典」は、日本において近代社会が形成されてはじめてのものであり、各地の祭礼など何もかもがかなり狂騒的におこなわれたのであったにせよ、「大典紀念」として建設された施設は、長崎県立図書館(一九一五年)や早稲田大学図書館(一九一五年計画、一九二五年完成)を代表として、札幌の一小学校である豊水小学校の「大典記念文庫」(図書室、一九一七年)などにいたるまで図書館などの施設、丸山公園(福岡県甘木市)、見付公園(静岡県磐田市)などの公園、最上川両岸の桜並木などの植樹等々、教育的文化的施設が多かった。劇場を何とか教育的文化的な存在として認知してほしいという思いも感じられよう。
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