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VI ハコモノでなく玉手箱へ
 我が国初のプロセニアム劇場の誕生がここに見られた。新富座にせよ歌舞伎座にせよ、舞台先端が一直線になり、舞台と客席をはっきりと分けて計画している点では、プロセニアム劇場に似通うものがあるが、断面に対する意識においては、全く異なった性質のものであった。帝国劇場が示した様々な先取り性は、これまで見たように建築・技術・運営など多くの関連分野に多大な影響を及ぼした。特に、劇場建築における防災計画の規範となったことは大変意義深い。帝国劇場が実践した内容は、後の法令に先んじただけでなく、むしろそのリード役となったところに大きな意義がある。防災や劇場椅子などに関する多くの規則が、帝国劇場開場の一〇年後になってようやく「興行場及興行取締規則」に取り入れられるのである。
 
(29)享保の頃の劇場内部
 
(30)歌舞伎座の場内
(明治二五年五月)
 
 しかしながら、防災に対する意識と西洋化=プロセニアム劇場への傾斜が、歌舞伎固有の劇場空間を喪失するモーメントとしても作用したことは認めざるを得ない。そうした近代化の過程で劇場が失ってきた事実も見逃してはならない。安全さと十全なサービスの提供は、同時に舞台と観客、街と劇場が醸し出してきた渾然一体となった関係を淡泊で味気ないものにしてしまったことは否めない。
 立見二九四席を含む一九六五席もの定員を収容するために、歌舞伎座は横広がりの舞台・客席となった。これによって間延びした客席構造は、伝統的な芝居小屋が有していた一体的感のある多焦点性を特徴とした劇場構造、観客と舞台との関係を希薄化してしまった。土間席に突き出て花道へと演技を展開させる凸型の奥行き感のある舞台が横一直線に広がった平板な舞台になり、その結果、本来有していた豊かさ・緊密さに欠ける空間に変貌していくことになった。それは、西欧の劇場が、舞台と客席を積極的に区画し、見ることの機能性を優先したのと同じ結果をもたらした。
 だからといって、帝国劇場が示した基本的姿とそこに込められた夢を否定するつもりは全くない。むしろ、世界と調和する舞台の夢を描きながら建設と経営に挑戦した先人たちの純粋さと柔軟性から学ぶべきことがあることをここで示したつもりだ。安全の精度が高まってきた現代において求められる劇場、私たちが出掛ける喜びを感じられる劇場空間の在り様とデザインについても改めて考える時だと思う。安全計画を軽んずることはできないが、それを踏まえた上で、行くこと自身が楽しくなるような劇場を作っていきたい。ハコモノの代表であるかのように扱われる劇場は、本当に単なるハコモノなのか、勇気と希望の玉手箱なのか歴史を振り返って見つめ直そう。
・・・〈日本大学理工学部教授〉







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