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9. 宮崎県・ゆりかご保育園
園長 林田 照子
1 保育園の概要
保育園設立:昭和49年6月1日(定員90名)
児童館設立:平成5年4月1日(定員60名)
分園設立:平成14年4月1日(定員30名)
保育方針:「ゆりかごは幼き児らの愛の園、純らかに豊かに逞しく」
(1)童心尊重
(2)豊かな感性
(3)逞しい体作り
歴史:宮崎県は、九州の太平洋岸に面して、南北に伸びており、筆者の園は、県北部中心都市である延岡市(人口12万5千人)の西部にあります。市街地より2km程離れて田園地帯が広がり、公営住宅、新興住宅、学生アパート等が、次々に建設されて、幼稚園2、保育園3、小学校2、高校1、新設大学1と教育環境に恵まれています。又、公認陸上競技場を主としたスポーツ施設が近くに集まっており、自然を生かした金堂ヶ池公園を含めて、休日は市民のスポーツと憩いの場として活気を呈している地域でもあります。ゆりかご保育園は、延岡市の社会福祉法人立第1号として行政や地域の信頼を背負ってスタートし、今年で30年となりました。
 ゆりかご児童館は、宮崎県で初めて、九州では2館目の社会福祉法人立として、前記の保育園に併設して10年前開館しました。分園は、乳児と1歳児専用の保育園として開設、愛称をナーサリールームと名付けました。県内唯一の分園であります。
特色:音楽文化と古典文化の伝承を保育の中心に据えています。
 
2 園の考え方
 ニューヨーク国連本部で、初めて子どもの問題に絞った国連子ども特別総会が、2002年5月8日に開かれました。世界の21億人に上る子ども(18歳未満)の健康、教育、紛争・暴力からの保護などを討議する為に60ヶ国の首脳と120ヶ国の非政府組織(NGO)約2000団体と、そして子ども300人合わせて6000人が参加したといいます。アナン事務総長は、「子ども達は、貧困・飢餓・病気・戦争に悩まされないで生きる権利があるが、その権利は充分生かされていない」と訴え、更に「これは人類の未来に関する集まりで、これ以上大人の失敗のつけを子どもに負わせないようにし、子ども達にふさわしい世界を築こう」と呼びかけたのです。ひるがえって日本の子ども達に、これを当てはめてみるとき、慄然とするものがあります。貧富の差による健康・教育の公平・機会均等が崩れ去ろうとはしていないでしょうか。又、食物の飢餓よりももっと恐ろしい精神の飢餓による荒廃はないのでしょうか。育児放棄・育児怠慢・育児疲労・児童虐待・就学断念など、社会の谷間でしわ寄せに遭って泣いている子ども達を、児童福祉に携わる者として決して見逃してはならないと思います。我が国の児童福祉の様子を振り返ってみますと、昭和38年10月に文部・厚生の局長連名通知によって保育園の3歳以上の年齢にあって教育に関するものは、「幼稚園教育要領」に準ずることと示したにもかかわらず、保育所保育水準の社会的認知を得るのは遅々とした歩みで、託児のイメージを払拭するのは至難に近いものでした。保育園が救貧施設からスタートしたことにより、貧しく恵まれない子どもの通う施設として幼児教育の存在する余地はなかなか見いだせなかったと思われます。
 筆者は、幼稚園勤務20年の経験があり、その頃の研修で「教育要領」と合わせて「保育所保育指針」が、よく発達をおさえており、素晴らしいので、参考にするように言われたのを覚えています。その後、全国二万有余の保育園の研修努力の甲斐あって、現在は幼稚園に劣らずいやそれ以上の保育専門職集団、栄養士、調理師、看護師を揃えた施設は、子どもらしい生活と発達が望める場として保護者の安心感・信頼感・期待感を一身に集める保育園へと成長し、社会の評価も変わってきました。男女共学によって高学歴と資格を取得した女性達が、その知的能力を社会に貢献して発揮したいと望み、その人たちは保育園は単なる託児施設ではなく、我が子の発達を保障し将来を展望した保育内容である事を期待するのです。児童福祉が貧富の差によって決められるものではなくなってきました。更に地域活動は、通常保育業務の積極的展開を更に拡張、充実させて、地域の子育て全般について支援できるような社会資源・福祉資源として、施設開放と備品の貸し出し、人材派遣としての職員の提供が要求されているのです。それによって地域の信頼と期待を得ることができるようになってきました。
 平成12年4月の「保育指針」は、家庭養育を補完し、入園園児とその保護者はもちろん地域の全ての子育て家庭に対する幅広い支援と保育に関する相談に応じながら助言する社会的役割の重要さを記しています。これは保育士が国家資格となった事により更に認識して家族援助、地域活動援助を実現化するよう求めたものと思われます。
 地域活動に園児も共にでかけて行くことは、保育の公開であり社会に子どもが触れる絶好のチャンスであると筆者はとらえています。どんな場にも意気揚々と立ち、大人に見守られ交わりながら行動することは、子ども達の成長にどれほど役立つかわかりません。
 積極性、協調性と共に大人への信頼関係、社会生活への親近感などが考えられます。そのために職員としては、保育室にいるよりも、労力的・精神的にも緊張しますが、それを負担ととるのか、保育者としての学習の場として捉えるのか、それぞれでしょうが、筆者の園では後者を選んで、出入りの業者からも誉められるほど、機敏に判断し処理し、動く職員集団となっています。職員もまた地域社会を構成する一員である事を理解したいものです。そのために園を代表して全職員に名刺を作ってもらいました。
 次に本園に併設した児童館から見えてきた地域活動について少し述べてみます。保育園だけの運営では乳幼児期の保育と就学までが完結課題でしたが、卒園式に泣く親の姿に動かされて児童館を併設して改めて学童期の子どもに視点を注ぐようになり、成長発達の途上に保育・教育は密接な関連があり、それは福祉をも包含していることに気付かされました。少子高齢化が声高に叫ばれる中で慌しい高齢者対策が進められ、ともすれば忘れられがちだった少子化対策がエンゼルプランとなって打ち出されてきました。育児支援に名を借りて子どもの発達保障よりも就労支援優先に傾くのではないかと憂慮するものです。学校完全5日制(平成14年度より実施)によってにわかに子どもの居場所として児童館が脚光を浴びてきたことは喜ばしい事ですが、児童健全育成の最前線にいる私どもは常に保護者と互いに啓発しあって、子どもを主体に考えた保育園と児童館のより良い連携と連動の中から良質の事業展開に取り組みたいと思うのです。このため幼児コースと保育園園児との交流を、地域交流の足がかりとして取り組みました。次いで、午後から下校してくる児童クラブの子ども達と園児との交流の実施にあたり、園児と小学生では体力や運動機能が異なるため保育園園庭にある遊具を小学校6年生の使用にも耐えられるように一部作り直して園児と学童が共に楽しめる園庭へと変えていきました。植物栽培のゆりかご広場も作り、日々のふれあいから生まれてくる“親しみ”や“尊敬”や“協力”などの情感は、子どものみならず家庭や地域の人々に対しても豊かな人間性となって浸透していき、それが園や館への理解と支持へとつながっていくと思われるのです。筆者の保育園では児童館を併設しているので、放課後児童(児童クラブ)の保育は日常化されていますが、その複合効果は両者に計り知れないものがあり、そこから地域活動へと発展したものに次のようなものがあります。
1. 子どもの活動(クラブ・文化の伝承・体験・国際交流)
2. 親のサポート(父母の会仲間作り・相談・専門機関との連携)
3. ボランティア育成(ジュニア・プレイ・ケア・サポート・コーディネイト)
4. 地域社会との連帯(地区会・公民館・大学・高校・各種団体)
5. 企画広報(ハローキッズルーム・サマーフレンドフェスティバル・サマープレゼント訪問)
 
 以上は児童館の10年の足跡を振り返ってみましたが、これらは保育園における「放課後児童の保育」の中からでも、紡ぎ出されてくる地域活動の数々だと思います。







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