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7. 京都府・登り保育園
園長 伊藤 義明
1 はじめに
【ベビーブームの時代】
 宇治市は京都府内の南部に位置し、市内の中央には鎌倉初期の武将熊谷直実の先陣争いで有名な宇治川が水量豊富に流れ、河畔にある平等院鳳凰堂や宇治上神社は世界遺産に指定されています。また、高級茶である『玉露』は全国的にその名が知られています。
 社会福祉法人あけぼの会登り保育園は市内の北部にあり、京都市地下鉄東西線の終点駅となり(平成17年秋開通)、東の玄関口として今後益々発展することが予想されています。徒歩6分程、旧村と新興住宅マンションが入り混じった小高い丘陵の中腹にあり、地域の人々には『のぼり地区』と呼ばれており、平等院を建立した藤原頼道の父・藤原道長が一族の反映と先祖の供養をする為の菩提寺『浄明寺』(1005年)の跡地に当たります。
 昭和48年4月5日、旧奈良街道沿いの茶畑の一画に定員60名の小さい保育園の入園式が行われました。当時、宇治市内も第二次ベビーブームの影響で約500名の待機児童が発生していました。「60名ほどの定員では、焼け石に水の感ではあるが、公立保育所一辺倒の保育行政から民営化政策へ転換する出来事としては、大変意義がある。」と前理事長伊藤金次郎氏の言葉が懐かしく思い出されます。
【1.57ショック】
 昭和54年に新生児が180万人を割り込んで少子化が進行を始めました。平成元年3月に発表された合計特殊出生率が1.57まで低下し、少子高齢化社会の急速な到来は、社会保障や社会経済全体に大きな影響を及ぼすと大騒ぎをしました。
 ようやく平成6年12月26日に“子どもを生み育てられやすい社会”を理念にしたエンゼルプランが発表されました。出生数の増加を狙った計画であるにもかかわらず、8年を経過した現在もむしろどんどん出生数は減少している。それが向上している報告を聞いていない。子どもの生まれる数が減少し始めて23年が過ぎました。
【就労保障か子育てか】
 保育園は子どもの権利を守るところでありますから、就労と子育ての両立が本当に出来るか、という問いに対して、子どもの立場、親の立場の併論ばかりで、午前7時から午後7時の開園時間にするまでに20年もかかりました。子どもの育ちが悪いと言って、家庭や集団保育の中でこまめに子どもの世話を焼く競争に取り組んで、子どもの世界(空間・時間・仲間)から生まれてくる“生きる力”を阻害していることに気づくのには25年を要しました。
【保育内容とは】
 保護者のニーズに励まされ30年もの間、増築と増員の繰り返しをしながら、今年の4月には200名を超える園児を預からせていただくことになりました。集団の中で子どもが子ども同士で育ちあう姿を客観的に観察し、保護者にその内容を的確に報告できる保育士の資質の向上を図ることも現在、道半ばです。
【地域と共生するには】
 地域の子育て支援センターを目標にして10年が経過したが、地域の社会資源として幅広く利用されているかと自問すれば、まだスタートラインの上に立ったところです。
 決断力と努力不足の30年を振り返れば、成し遂げたこと少なさの要因は、常に他人のことが気がかりで仲間はずれにならないように、みんな一緒で平等の世界(全国一律の運営費)の住人であったといっても過言でないと思っています。
 21世紀に入り、世の中の全ての仕組みが金属疲労に陥り、出口が見つからない状態にある今日、児童福祉法の一部改正から新しい保育の切り口を自らが創造し、時間の無駄を排除して、タイムリーに挑戦していく勇気が求められている時代に突入していると実感しています。以上、開園から今日までの時代の流れに合わせて取り組んできたつもりであるが、本当に子どもの立場・親の立場・地域の期待に対して遠い道のりの感があります。利用者主体の保育サービスとは何かを柔軟な発想で着目し、今後の運営にあたっていきたいと考えております。
 
2 特別保育に取り組む動機
【長時間保育】
 開設以来、10年の間に市内の民間保育園は12箇所と増設され、公立保育所は同和対策保育所の2箇所だけで、完全に民営化を優先した保育政策に転換され、保育所定数も公立1230名に対して民間1270名と逆転いたしました。この原因のひとつは、開園時間(7時〜6時30分)の延長保育に各保育園が取り組まれたことにあるのではないかと考えられます。しかし、園児の育ちを重要視する従来の保育感覚の変化は見られず、保育者の多くが保護者の要望を汲み取ることなく、少子化という大きな流れがあることにまだ危機感が感じられていなかった。保育時間については「親のためか」「子どものためか」の議論が何度と無く研修会や園長会の中で交わされ、その都度「子どものため」の名のもとに長時間保育が否定されてきた。私は親のいない家庭に帰るよりも、安全な保育園の方がよいと同時に、親が保育を必要としているならもっと長い時間でも問題が無いと日頃から感じておりました。
【呪縛からの解放】
 減少する園児に危機感を感じた公私立の約2万3千箇所の保育所の一部で定員割れが発生し、その対応に真剣に取り組んで2年後の平成元年3月に、総務省の人口問題研究会から発表された合計特殊出生率が1.57となり、戦後最低の出生数を記録し、少子高齢化社会に突入する空気が一気に高まることになりました。遠くアメリカ合衆国の週刊誌ニューズウィークにも取り上げられました。政府においても、夫婦の問題として干渉できるものではないとしながらも、審議会や児童手当のあり方を含めた検討が本格的に始められました。厚生省保育課においては、硬直した認可保育関係者の一般的な考え方を打破するため、特別保育事業の名を借りて認可外保育所を意識した一時保育・長時間保育サービス事業等働きやすい環境に向けての特別保育の強化を図りました。一方、育成環境課においても、厚生年金の児童手当拠出金の一部を財源として児童環境財団が設立され、基金の利息で事業を運営する『財団法人子ども未来財団』が設立されました。子育てに関わる事業所内保育所や共働き家庭の育児支援・児童健全育成事業・育成ボランティア事業等の子育て支援事業を直接助成する仕組みの特別保育の規制緩和もなされることになりました。
【併設型児童館の取り組みについて】
 平成6年5月の日本保育協会評議員会において配布された資料の一部に、(財)子ども未来財団の『助成金のご案内』がありました。平成6年度版『就労家庭子育て支援モデル事業』の助成の案内書に目を通した時、「これからの保育所はきっと変わる、絶対に自分の思っている保育が出来る時代が来る」と直感しました。
【助成事業をするにあたって】
 助成事業は保育所および、児童館の従来の機能に加えて付加的事業を一元的に行う民間施設に対しモデル的に児童館の人件費等を助成することにより「就労と子育てが両立できるよう支援を行うことを目的としています」と書かれてあって、付加的な事業とは保育所において行う特別保育(一時保育・乳児保育・延長保育)、及び保育所に併設している児童館においては放課後児童クラブ事業を行うための時間延長開館(必要に応じて食事供与)・日曜祝祭日の利用供与・地域住民との交流等の内容でありました。当園においては一時保育・乳児保育・延長保育はすでに実施されていたので、問題は児童館の設置をすることにより上記のモデル事業ができることになるので積極的に取り組むことにしました。数日後、法人が所有する建物(736平米)が100メートル離れたところにあるので、この建物が児童館として利用できないか、子ども未来財団を訪問して隣接の説明をいたしました。「その距離であれば良いでしょう」という返事をもらい、ひかり車中のビールの喉越しが忘れられません。第一関門は通ったけれども児童厚生施設の認可が出来るのか、建物の改修に必要な資金をどうするかを京都府当局と話し合いの結果、好意的な計らいをいただき、平成8年3月末までに認可と施設改修を完了させることが出来ました。児童館の開館式に6名の学童クラブ員、子育て中のお母さん2名が参加されました。子どもが子どもの中で育ちあい学びあう環境を保育所において3・4・5歳の混合保育、学童において1・2・3・4年の縦割りグループの中で育ちあう子どもを見ることが出来、いかに子どもの育ちを手助けする事業として児童館の果たせる重要な意味を悟ったこの時でした。
 以後今日まで次に述べる児童館実践活動がそれを物語っています。







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