日本財団 図書館


フォトグラフ
下関市春景色
下関市観光振興課 提供
 
巌流島全景
赤間神宮
火の山から望む関門海峡
 
ふくは人と人の和をとりもつかけはし
 
株式会社平越 代表取締役
下関観光コンベンション協会 会長
平尾光司氏に聞く
 
 
 下関といえば「ふく」。下関では河豚(ふぐ)のことを「ふく」といいます。ふくは「幸福」につうじるからだとか。今回のインタビューはふくを扱って45年、ふくを愛し、下関を愛す、下関観光コンベンション協会会長であり、ふく卸問屋(株)平越の会長である平尾光司さんにお話を伺いました。
 
○ご商売を継がれたきっかけは
 
 父は日本で5人衆と言われる板前の1人だったんです。北大路魯山人の料理を担当したり、春帆楼(戦前は皇族・貴族御用達のふく料理の老舗)大吉楼(戦前は財閥御用達のふく料理の老舗)でも腕をふるうほどでした。仕事柄、サイドビジネスで魚の卸を始めたんですね。それが戦中・戦後、料亭が店を閉じ、板前の職がなくなったときに、本格的にふくの仲買人、卸を始めたわけです。
 
 私は3人兄弟の真中で、初めは継ぐつもりなどさらさら無し。父は息子3人に「魚屋は俺一代で終わりでいい。お前達は好きなことをやれ」といっておりましたからね。
 で、兄は弁護士になりました。これがまた優秀で、司法試験を大学4年生の時合格。しかも全国で13位の成績でした。自分はどうかというと、日本大芸術学部と中央大学法律学科の2つ、掛け持ちをしていました。(当時はできたんです。)映画監督になりたかったんです。ですが、勉強しなかったんですね。マージャン、酒、玉突き。遊んでばかりでした。その頃、父が東京に来ると、得意先の料亭を回るのに、「兄ちゃんは勉強してる。お前は遊んでんだから手伝え」と、いつも手伝わされました。まあ、これは小さい頃からそうで、父の仕事を手伝わされるのは、いつも私でしたね。
 そして、私が22才の時、父が倒れました。その頃、私は大学を卒業せず帰郷していましたから、自然に仕事を継ぐことになったわけです。
 
○この商売に入って45年だそうですね。一番印象に残っていることは何ですか
 
 佐藤栄作さん(山口県出身、昭和39年11月第61代内閣総理大臣)が総理大臣になった時、東京の料理屋さんがふくを佐藤氏にご馳走したいといって、ウチがふくを用意することになったんですが、その日、たまたましけで、1箱(20kg)25万円のふくを仕入れたんです(今に換算すると、100万円位かな)。マスコミが押しかけてきて、「そのふく、佐藤総理にいくんですか」と聞かれた時のことを今もはっきりと覚えています。
 
 もうひとつは初めてせりに立った時、終わって、「さすが2代目、センスあるね」と先輩の仲買人に言われて嬉しかったですね。
 
唐戸市場
 
○生きがいを感じられることは
 
 ふくを通じて、あらゆる人と知り合えたということです。芸能人、相撲人、芸術家、文化人。北島三郎、美空ひばり、北の湖、萬屋錦之介、若尾利貞、宮崎進その他多くの人々がいます。
 現在ふく料理は、大衆化されていますが、それでも「ふく料理で一杯いかがですか」と声をかけると余程のことがない限り、集っていただける。それを通して人間関係の拡がりが展開される。昔は「ふくを食べる」こと自体、ステータスで、なかなかその機会がなかったものです。そんな時代にふく料理を自宅にお届けする、大変喜ばれます。その結果、知り合いがふえ、人脈も拡がってきます。嬉しいことですね。家の中に絵とか、壺がありますが、殆どそのような方々から頂いたものです。ふくはこのように人と人との和をとりもち、その話題性と文化性においては、他に例をみない食です。
 実をいうと、家内とも、この仕事を通じて知り合ったんですがね。良かったな!!と思っています。
 
 
○ふくの調理師免許を持ってらっしゃるんですね
 
 持ってますよ。山口県と東京都のですがね。店で若いもんにさばき方を教えてます。免許持ってなくても、持ってる者を使って仕事をすることはできますよ。だけど、やっぱり違う。自分がわかっていて仕事するのと、わからないでするのとは違いますからね。
 
○下関のふくの取扱量は全国でのシェアが落ちていると聞きますが
 
 いや、落ちているのではなくて、他の地域が伸びているんです。
 昔は天然だったから、海からふくが来た。80年代から養殖が増えて、養殖の取扱量が多くなったんです。徳山、福岡、広島の取扱量が多くなったということで、下関が落ちているということではないんです。
 
○何故、「下関のふく」といわれるのですか
 
 よく聞かれるんですよね、これ。かつては「下関のふく」じゃなくて、「関門のふく」だったんですよ。昭和25年、唐戸市場ができた。下関市が仲買人の許可をだすんですね。下関市の市場だから、下関市民でないと許可は出せないのが原則ですが、関門のふくだから、下関市と門司市(当時)、両方のふくだから、門司市民にも10人仲買人の許可がでた。(現在は3人ですが)そんなふうに「関門のふく」だったんです。
 マスコミが「下関のふく」という呼び方を広めたんです。11月初め、ふくの季節が始まる頃に取材に来ます。「今年の見込みは?」って毎年、毎年ね。だから自然と「下関のふく」として全国に名前が広まったんです。勿論業界努力もあります。
 
○これからの課題は
 
 天然ふくは下関が良質のものを集めているから、「天然ものは下関」という下関ブランドができているんですね。天然ふくは愛知、静岡、三重にもあがるんですが、昔、身欠き(みがき)(ふぐの猛毒を合む内臓部分を除去すること)の技術は下関が中心だったんです。他の地域は手数料を払っても身欠きをしてもらうために、下関にふくを送ってきたんです。それがね、10年前、これらの地域でも身欠きを始めたんですよ。今、自分のところで身欠きをして東京に送っている。下関よりも東京に近いからね。
 養殖ふくは中国産が毎年20〜30%アップしてますね。キログラム当り1000円〜3000円位ですね。ただし、中国は寒くなるのが早いので、大きくはならないですがね。養殖技術は日本人技術者が中国に教えたんですよ。それで、どんどん量が増えたんです。そのうち、生産量で中国に追い抜かれるのは目に見えてます。
 それよりもね、今、最も懸念しているのは、中国に身欠きの技術を教えたら、すぐにマスターするということ。今、さしみをつくる機械、背中のぎざきざをとる機械があるので、身欠きを教えたら、ふく刺しはすぐに中国でできるようになります。中国は日本に比べて人件費が半分、輸送費も半分なので、安い中国産ふく刺しが全国に広まるのは確実です。今、それをできるだけ遅くしようとして、がんばってるんですがね、すぐになるでしょうね。下関を素通りして、中国産ふく刺しが全国に広まるかもしれません。
 だから、下関の対抗策としては、養殖物でも中国でできない良質のものを主に取り扱うことです。そして養殖の下関ブランドを確立する、養殖の高級品を目指すということですね。安い中国産ふく刺しは、一般大衆に。良質ふく刺しは、下関が扱うんです。
 
 
○下関コンベンション協会の会長をつとめていらっしゃいますね。下関の観光とふくとは深い関係があると思いますが
 
 コンベンション協会会長はもう7年やってます。引き受けたのは、ふく連盟の副会長と観光協会の副会長をやってた関係です。
 現在、ふく=水産=観光という構図ですが、これは、遠洋漁業がだめになったからです。
 大手企業、例えば、JR西日本が「関門・海峡物語」「関門ふくふく日帰りエクスプレス」というキャンペーンを展開して、関門(下関)を宣伝してくれるのも、下関にふく、武蔵、うに、明治維新という受け皿があるからですよ。いくら来て下さいといったって、見るものがなければ客は来ません。また、受け皿があるからといって、それで安心するのではなく、私達は大手が目を向けてくれることをしなければならないということです。
 
 今度あるかぽーと(注)が唐戸地区にできます。市内の観光地区は、駅周辺と唐戸、あるかぽーとになります。あるかぽーとが完成すれば、どこかが影響を受ける。これはしようがない。トータルでよくなればいいと思ってます。お互いに競争しなければいけない。
 例えば、唐戸市場は朝市を金、土、日にしぼった。なぜか。毎日やるとお客さんが市場ばかりに流れる。市内の同業者が困るわけです。共存共栄、これが大事です。唐戸市場が成功して、駅周辺が寂しくなったと不満をいう人もいますが、個性のある店、差別化を図ってる店ははやってます。
 
 あるかぽーとにはホテルもできます。今、客はくるようにはなったけれど、日帰り客で滞在型ではないんですね。これからは、山陰筋と連携して、山陰にはいい温泉がたくさんあるんだけど、なんせアクセスが悪いでしょ。そこらへんを解決しながら、いずれは萩、津和野とも連携して広域に、周遊型の観光地にしていきたい。人がきたら逃がさないようにする、周遊させるようにしたいですね。
 
 下関は下関市・東アジアロジスティック特区として認定されました。その中で平成18年に完成する沖合人工島は総面積が147haもあります。また、平成19年にはあるかぽーとのウォーターフロントも完成します。伸びる材料はたくさんあります。下関は変わります、栄えますよ。
(取材 池本朋子)
 
 

 注 「海峡まるごとテーマパーク」をコンセプトに、あるかぽーと地区のウォーターフロントに、ボードウォークや潮入池等の整備とともに、複合商業施設やホテル等を整備しようとするもの。下関駅から唐戸地区までの中心市街地を活性化するために重要な戦略的プロジェクト。唐戸市場や水族館「海響館」が既にオープン。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION