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知られざる「日本一」の宝庫
 
日本銀行下関支店長
武藤 清
 
 
 私は約2年半前に東京から転勤してきたが、下関で暮らして驚いたのは、ここには「日本で一番」、「日本で最初」というものが実に沢山あることだ。下関と言えば、フグ(地元では「ふく」)の水揚量日本一で有名だが、そのほかにも色々ある。まず、水産関係ではアンコウの水揚げも日本一である。また、今や博多名物となった「辛子明太子」は、実は昭和初めに韓国から下関に伝わったものである。「うにの瓶詰め」も明治の初期に下関で生み出された。文化面では、「床屋(理髪店)」は1260年代に亀山八幡宮裏で藤原基晴親子が武士を相手に髪結いを始めたことが起源とされている。海峡祭りのときに行われる「八丁浜踊り」のお囃子は「博多どんたく」のお囃子のルーツである。高杉晋作の発議によって明治維新に貢献した人々を祭った「桜山神社」はわが国で初の招魂社であり、靖国神社のモデルとなった。銅像や石碑などの記念碑もその数は二千基以上と言われ、人口比では日本一ではないかと思う。自然環境についても、「関門海峡」は両岸の距離が最短で約700メートルと、国際航路として日本ではもちろん世界でも一番狭い海峡である。交通面では、昭和17年に開通した「関門鉄道トンネル」が、やはり世界初(つまり日本初)の海底トンネルである。
 このように、下関は「日本一」と言えるものの宝庫である。しかしながらそのことはあまり知られていない。「博多どんたく」や「靖国神社」のルーツが下関にあることを知る人は、地元関係者以外ではわずかではないかと思う。関門海峡にしても、その名前自体は全国に鳴り響いているが、世界一狭い海峡ということを知っている人はどのくらいいるであろうか。私は下関のことが好きになるにつれ、「何とももったいない」という思いを強めている。
 
 観光立国が国全体の大きな政策課題となっており、それぞれの地域にとっても観光を軸にした交流人口の増加は地域活性化の手段として益々重要性を増している。ヒト、モノ、カネの移動がグローバルに活発化している今日、観光に関する国同士の競争、地域間の競争は一段と激しくなってきている。この競争に勝ち残るためには国レベルの対応が重要であるのはもちろんだが、各地域の主体的な取組みこそが勝敗の鍵を握るのではないかと思う。地域の観光戦略には様々な視点があり得るが、これからは企業経営の視点を取り込むことが不可欠であろう。具体的には「経営資源の見極め」、「事業の選択と集中」、「迅速な意思決定」、「リスクを取った果敢な行動」といったことがその内容となる。
 
 
 下関は、前述のような数々の「日本一」を観光資源として擁している。また、源平の合戦や明治維新の舞台となった歴史的資源の豊富さは改めて言うまでもない。芸術文化の面でも、金子みすゞや田中絹代、藤原義江など地元で生まれ、または活躍した人物を多く輩出している。これらを自然、歴史、文化(食文化を含む)といった大きなグループに整理して有機的に結び付け、「維新街道」などテーマ性のある観光ルートや記念館などの拠点として整備することが課題である。そしてこれらを戦略的な情報発信によって多くの人に知ってもらう必要がある。そうなれば、下関は数々の資源の相乗効果によって、もしかしたら日本一の観光都市となる可能性を秘めていると思う。それだけの潜在力を持つ都市である。
 
 さらに、より広域的観点からは関門海峡をはさんだ下関と北九州とが各レベルで連携を一段と強め、一体となってその景観を活かした観光・経済の発展を図ることが望ましい。こうした発想は決して目新しいものではなく、かなり前からあった。大正14年に中野金次郎という門司出身の実業家が「海峡大観」という本を出した(平成7年に北九州市によって現代語に訳された)。この中で中野は関門海峡の両岸の各都市(下関、門司、小倉など)は「唇歯輔車(しんしほしゃ)」の関係、すなわち唇やハサミのように2枚が合わさってはじめて完全な一個として機能する関係にあるとして、両岸の各都市が合併して「海峡府」または「関門県」となるべきと説いた。徳川幕府の下での長期間に亘る交流の断絶や明治維新に至る様々な経緯を乗り越えて、海峡の両岸が統一的発展を図るべきと訴える中野金次郎の大局観と先見性には驚かされる。
 
 
 折しも道州制に関する議論が始まっている。関門海峡というたぐいまれな資源を共有する下関と北九州は、すぐに合併するという選択肢は現実的ではないと思うが、今後は従来の発想(県単位あるいは道州単位の発想)を超えた地域連合を考えても良いのではなかろうか。関門海峡の両岸が統一性と体系性のあるグランドデザインを描き、観光開発を連携して行うことで、下関・豊浦地区を始めとした山口県西部と九州の北東部とが世界でも例のない観光エリアとして共に発展していくことは、決して夢物語ではないように思う。
 そのための取り組みは出来るところから迅速に始めると良い。様々なアイデアがありうるが、私はまず手を付けるべきは交通アクセスの改善であると思う。現状、鉄道、道路、連絡船など下関と北九州を結ぶ交通手段はそれなりに整備されているが、生活者の視点からは必ずしも便利とは言えない。例えば、夜の時間帯に下関から門司港や小倉に出かけ、食事や買い物をする場合、鉄道の待ち時間は長く接続も悪い(特に帰り)。連絡船は早い時間に終了する。道路は出入り口がそれぞれ中心部から遠い結果、タクシーで帰るとかなりの料金を取られる。こうした現状は人の交流にもマイナスに働こう。従って、まずはソフトの面で利便性が増すような改善を図る必要がある。またハード面でも、第二関門橋構想などスケールの大きなインフラ整備を検討することが望ましい。
 観光インフラ面では、関門海峡ロープウェー構想をどうするかという課題がある。海峡を跨ぐロープウェーは世界で最も狭い関門海峡でしか建設ができないとのことである。両岸をつなぐロープウェーの事業化に成功すれば、それ自体が世界で唯一の観光資源となり、今以上に関門地域のブランド力の向上に寄与するであろう。開発許可まで取得したのであるから、今日の金融経済情勢も踏まえ、採算性など事業化の検討を改めて行ってはどうだろうか。
 九州の各地域と下関との交流人口は近年増加傾向にあるが、現状は下関からの流出超ではないかと思う。九州の皆様には、ぜひ下関に足を運んでその魅力を実際に味わって頂きたい。そうすることで相互の理解がさらに深まり、連携の基盤も広がると思う(文中、意見に亘る部分は筆者の個人的見解である)。
 







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