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表紙絵(関門海峡)及び挿絵
森田正孝 作 日展会友、日洋会委員、熊本県美術協会会員、熊本県美術家連盟委員
 
がんばれ!内航海運
 
国土交通省海事局国内貨物課長
惟村正弘
 
 
 冬の日の日溜りをたどりつつ、霞ヶ関のビルの谷間を高層ビルに向かった。今日は久しぶりに大学時代の友人と霞ヶ関ビルの33階にある中華料理店でランチを取ることにした。南方向の窓側に席を取り、何気なく目を遠方に遊ばせると、銀座のビルの行列の向こうに船がいるではないか。船橋の部分だけだが、何隻もいる。相当大きな船だろう。
 そうか!東京は港町なんだ。銀座を歩いていても潮のにおいは全くしてこない。東京港は日本を代表する港湾で、東京は港町なのに、その当然のことが分からない。
 思えば10年前。自分は港町、福岡に住んでいた。そこは港が町の一部に組み込まれており、町が港にせり出していた。町の経済も人々の生活も海とうまく融合していた。また仕事で毎週訪れた門司港は、海の中に町があるという感じだった。潮のにおいの中からビルとビルの間に海が見えて、臨海公園が整備され、人々が港のレストランに押しかける。しかし、そんな中でも船が荷役している場面はほとんど見ていない。
 私は今、国土交通省で内航海運の仕事をしている。他の世界で働いている友人に内航海運といっても東京ではピンとこないようだ。自分の熱意と説明力が足りないこともあろうが、ちょっと寂しい気がする。
 政府は、物流効率化、環境対策等からモーダルシフト対策を推進している。トラック輸送から内航貨物船に輸送がシフトすればCO2が370万トン減るというが、要するに東京都知事がテレビで振っていたあのビーカーの中の黒い粉が、空気中から大量に減るということの方が分かりやすいかもしれない。その内航貨物船は国内物流の42パーセント、産業基礎物資の約80パーセントを輸送しているにもかかわらず、今ひとつ国民の目に映像として映らない。残念ではあるが、物流を土台にたとえるなら、一番大切な家の土台は目に見えないところにあって家屋を支えている。物流が経済の基礎の一つであり、それを代表するものが内航海運であるならば、目に映らなくてもいたしかたあるまい。余り騒いでも大人げない気がするが、PRが不足していると言う面は、もう少し反省しなくてはならないだろう。
 日本の内航海運は、その源をたどれば西暦663年の朝鮮半島南部で戦われた白村江の戦の史実にその活躍が出てくる。多数の武人と食料・雑貨などを輸送したとある。その後、歴史の端々で、戦時には戦闘集団の水軍として、平時には水運業者あるいは水運護衛者としてその存在感を誇示してきた。江戸時代になって世の中が安定してきてから、菱垣廻船、樽廻船が活躍する過程で近代内航海運業としての姿を整えていったが、内航海運は現在にいたるまで1300年余りの歴史を持った伝統ある産業である。
 
 
 今、内航海運業者は全国で約5000事業者いるが、その7割は中国、四国、九州の瀬戸内海地方、それに熊本、長崎の「船どころ」と呼ばれる20数箇所の自治体に集中している。船どころで有名なところは徳島県阿南市、愛媛県波方町、広島県倉橋町、岡山県日生町などかあるが、九州では熊本県松島町、長崎県石田町、そして北九州市門司と山口県下関市が、内航海運業者が集積している船どころとして名高い。それぞれの地域には長い水軍の歴史があるところが多く、徳島の阿南市は豊臣秀吉の小田原攻めで活躍した阿波水軍の歴史が、波方町や倉橋町は河野水軍や村上水軍の歴史があり、その末裔の益荒男が内航海運業を営んでいる。
 九州にも肥前松浦地方の海辺勢力であった嵯峨源氏の流れをくむ松浦党が中世の歴史の中で活躍をしており、その末裔が熊本・長崎地方で内航海運を営んでいるのだと思う。また、下関は内航の世界でもタンカーの船どころとして名高い。戦前における朝鮮半島、大陸との交易の基地であり、もともと海運事業の集積があったが、戦後のエネルギー転換政策の中でいち早く貨物船からタンカーに切り替えた事業者が多かった地域である。
 今、内航海運は経営的に総じて苦しい状況にある。例えば鉄鋼貨物船だと鋼材価格に比例して運賃・用船料価格が動いてきたので、運賃・用船料は長期不況の中において継続的に低下してきた。過去数年間で3割近い低下に見舞われたが、ここに来て景気の回復とともに底をうち、上向き傾向が見られることは、少々安心できる。しかしながら、内航海運業界の世界は船一隻、船員数名で事業を行っている一杯船主が53パーセントを占め、そのうち家族で生業として行っている事業者が全体の30パーセントいるなど、零細性が極度に高い業界である。また、近年は、オペレーター(運送業者)・オーナー(船舶貸渡し業者)制度の下、荷主企業を頂点としたピラミッド構造が出来上がってしまっているので、取引関係において実際に船舶を所有して運航しているオーナーは底辺に押しやられており、事業者の創意工夫と事業拡張意欲が働きにくい閉鎖構造になっていることも事実である。
 内航海運が物流効率化や環境問題への対応等で有効な役割を担うようにする為には、内航海運を活性化させること、すなわちもっと儲かる体力を持ってもらうことが第一である。そのため、事業者が自由闊達な取引ができるように、現在内航海運業法の全面的な見直しを進めているところである。また、それと表裏一体の対策として内航海運組合総連合会が実施している内航海運暫定措置事業(*)は、セイフティーネットとしての役割が強く期待されるところであるから、資金的な支援措置も含めて維持していかなければならない。さらに現在、内航海運に対してとられているカボタージュ規制(内航海運は全て、その国の船舶により、その国の船員で運航されなければならないという国際慣習)は各国で採用されているが、国の安全保障の観点も踏まえて、日本においても維持する必要があると考えている。
 これらの施策で内航海運が元気になるであろうか。輸送機関としての性格上、荷物が動かなければ運賃・用船料が入ってこないし、荷動きは景気動向に左右される。受身的な性格ではあるが、それでも元気になってほしい。元気がありオーラを出すものに世の中は惹かれていく。内航海運が元気になれば銀座の街にも潮の香りがしてくるかもしれない。船どころの町も元気になるだろう。
 そういえば作家の山本一力さんが昨年末、九州を旅行したエッセイをある週刊誌で読んだ。彼は食いしん坊だから当然食べ物の話。その中で、小倉駅の立ち食いうどんと下関唐戸市場の回転寿司を誉めている。小倉駅のうどんは私も好きでよく食べた。「だしが強く、うどんの太さに負けていない。刻みねぎが山盛りで、さらに肉のそぼろ煮を惜しげもなく振りかけてくれた(原文ママ)」本当にそうだ。値段が350円と書いてある。確か200円台だったと思ったが値上げしたのかな。唐戸市場の寿司はタクシードライバーが関門で一番美味いと勧めてくれたそうだ。「ふぐの身も、白子も、鮨になっとるよ」と。親子4人で50皿を平らげたと自慢して書いていた。ここは行ったことがないが、長い歴史と郷土を愛する事業者が多い土地には美味い食い物が多い。小銭を持った旦那衆が口うるさく食文化を育てるのだろう。内航海運もまた元気をとり戻し、未来の食いしん坊においしい食い物を伝えてほしいものだ。
 
 

注 *の内航海運暫定措置事業とは、船腹調整事業終了後のソフトランディング策として平成10年から導入した制度。船舶を解撤すると内航総連から一定の交付金が交付される一方、建造に際しては建造納付金を納めなければならないという仕組み。長期不況で解撤する船舶が圧倒的に多く、内航総連は、現在大幅なつなぎ資金の不足に直面している。







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