Y.I.C.N
さくら通信
第3号
平成15年12月18日
発行 全国里子会
〒107-0052
東京都港区赤坂9-1-7-857
財団法人 全国里親会気付
全国里親大会熊本大会開催
10月26日、熊本大会でパネリストとして発表した松浦聖也さんの体験談を紹介します。
松浦聖也さん プロフィール
☆熊本県立南関高等学校卒業
☆平成13年12月22日 IFCO(国際里親養育機構)第12回オランダ大会参加
青少年里子代表団報告会発表
☆平成14年4月〜平成15年3月 熊本県産業開発青年隊入隊
☆平成15年4月 九機工業株式会社入社
里子の立場から
<真実告知と実母との再会について>
僕は5歳の時、初めて真実告知を受けましたが、幼かったのでどんな気持ちだったのかとか、どういう感情だったのかよく覚えていません。母から聞いて話では「聞きたくなかった」と言いながら両手で母の肩を叩き、かなり泣いていたそうです。それから1ヶ月ぐらいはお風呂に入ると「僕を生んでないもんね」と言って母を困らせたそうです。
大阪府豊中市で養子縁組をし、平成元年に特別養子縁組し、松浦家の長男として戸籍に記載されています。小学1年の秋、父の故郷である熊本に転校してきました。普段と変わらない生活をしていたのですが、小学6年の頃同級生や地域の人達からのいじめに遭い、心に大きな傷が残りました。僕は小さかったのでどうしてよいかわからず本当に困っていましたが、両親は一生懸命守ってくれました。その後は周りの人達も僕が養子ということを気にせず普通に接してくれて、今では本当に感謝しています。
高校に入学して「自分を生んでくれた人はどんな人だろう」と思い、会いたい気持ちが強くなってきたので両親と話し合いました。両親は実母に対して悪いイメージを持たせることなく「いいお母さんじゃないかな」といつも言い聞かせてくれました。僕も想像し、期待していました。そんなある日お母さんが大阪府池田市子ども家庭センターに相談し、実母の所在、再会に向けての確認をとってくれました。後日実母のお母さん(おばあちゃん)より「聖ちゃんが会いたいと聞いたのですが本当ですか?」と連絡があったそうです。実母は自分のほっぺをつまみ夢を見ているのではないだろうかと思ったそうです。高校3年の春休み熊本まで来ていただくことになり、両親と3人で空港に迎えに行きました。顔も分からないし、どういう人かも分かりませんが、到着ロビーから実母を見た時、直感的にこの人が自分を生んでくれた人だと分かりました。おばあちゃんも一緒で感激でした。実母に会いたいと思った理由の一つは、自分を生んでくれてありがとうと伝えたかったからです。もし僕を生んでくれなかったら今一緒にいる両親とも会えなかっただろうし、地元の友達や、会社の人達、自分の周りにいる方々とめぐり合うこともできなかったと思います。だから僕は「ありがとう」を言いたかったのです。再会したとき実母は妊娠していて、その子どもは今2歳になります。血を分けた弟がいることは大変うれしいし、責任も感じます。僕を育てられなかった理由はいろいろあったと思いますが、乳児院に預けたことは全く気にしていません。会うまでの17年間僕の誕生日には僕がいないのに「誕生日おめでとう」と、離れていても僕を忘れないでいてくれたことは嬉しかったです。今も実母と連絡を取り合っているのですが、その事に対し両親は何も言わず協力してくれます。
「肉親にあって自分自身が代わったか?」と尋ねられるけどまだはっきりは分かりません。しかし後悔はしていません。この先、僕が結婚する時は実母を招きたいと思います。今思うと両親にはずいぶん反抗しました。ちょっと質が悪いこともしましたが、これが養子だからとか、血がつながっていないから、という理由での両親に対する反抗は一切ありませんでした。
僕には誕生してから二つの転機があったように思います。一つは「真実告知」二つ目は高校卒業後、熊本県立産業開発青年隊訓練所に入所したことです。朝6時に始まり、体力つくり、実習、勉強、個人の不始末はグループの責任で、グループの不始末は全体の責任。規則正しい生活を身につけることができました。特に真夏の100km24時間耐久レースは過酷でしたが、最高の財産になりました。一つの物語を作るのに主役もいれば、脇役もいるし、裏方さんも一晩中自分達の為に支えてくれました。先生方、OBの方、応援してくれる里親さん、竜北のおじいちゃんおばあちゃん、本当にありがとうございました。今年4月より僕は就職したのですが、一人では何もできないと、社会人になってより強く思います。僕が今あるのは一生懸命生んでくれた実母と一生懸命育ててくれた両親のおかげであり、感謝の気持ちで一杯です。自分自身の為でなく人の為に役立つような人間になれるよう努力していきたいと思います。
この会場に大阪より僕の為におばあちゃん、従兄弟、地元より僕を支えてくれたおじさんおばさんが来てくれました。今日お世話いただきました熊本県健康福祉部家庭福祉課、県社協、県里親会、九機工業各社員の皆様方、再会の取り計らいを快く引き受けていただきました大阪府子ども家庭センターの皆様に、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
<追加発言>
今、僕が里親さん方に伝えたいことは、養育期間中であっても子どもが小さい頃から真実告知をしたほうがいいように思います。子どもに告知するということは勇気のいることで、いろいろな事情があることもわかります。しかしその場だけで物事を考えるのではなく、今少し勇気を出して理解してもらうようにしてほしいです。普通の子どもも里子も立場は同じですが、事情は幼稚園、学校の先生には説明が必要だと思います。里親さんは自分で里親の道を選ばれたのですが、里子は大きな荷物を背負っているので子どもの立場に立って物事を考えてほしいのです。
最後に養育里親、縁組里親の皆さんにお願いです。子どもとの喧嘩やストレス発散の為に「施設へ帰れ」とか「施設に帰すぞ」とかそういった暴言は絶対に言わないでください。もし僕が言われたら間違いなく切れると思います。里親としてプライドをもってしっかり子どもを育ててください。
京都新聞より転載
前号でお知らせした夏のキャンプ参加者の仲間から、地元の新聞に1週間、虐待防止についての連載記事がのり、その第1回に彼が載るという連絡がありました。以下の記事が送られてきましたので転載します。
「自立」
「家は怖いところやった。でも親と離れたらあかんと思っていた」。会社員桜田幸一さん(24)は子供の頃を振り返る。京都市内で暮らした小学3、4年生のころ、父親が他の女性と関係し、家に帰らなくなった。6歳下の妹がいたが母親の怒りは幸一さん一人に向かった。「お前がいなければ」とたたかれた。食事もない。母親に首を絞められ、目覚めたこともある。追い出され、友達の家を転々とした。その間、学校にも行けなかった。担任が様子を見に来ると、部屋に隠された。脇腹には引きつれたような傷跡が残る。暴力から逃れようと、ガラスの引き戸に突っ込んだからだ。友達の家に駆け込み、消毒してガーゼをあててもらった。病院には行けなかった。「何で僕が・・・」と思うより、母親の行動一つひとつが気になった。以前は、ふつうの優しい母親だったと思う。楽しい思い出もいっぱいあるはず。でも、「パッと出てこないのが悲しいね」
ある日、久しぶりに帰宅した父親が異変を知り、幸一さんを伯父の家に連れ出した。その後、児童相談所を通じ児童養護施設へ。一年後、京都府南部の里親に託された。「正直、嫌やった。家族の生活が怖かった」。施設には、同じような経験をした「仲間」もいる。安心できた。つらい経験を繰り返すのではと不安が募った。里親宅は三人の弟妹もおり、常に人の集まるにぎやかな家だった。名字は違っても、気兼ねなく「お父さん、お母さん」と呼べた。学力の遅れを取り戻すため、家庭教師もつけてもらった。中学からは好きな楽器に取り組み、高校は吹奏楽で有名な私学に進学、卒業とともに就職した。いま、幸一さんにとって親といえば里親だ。再婚した実父からは、忘れたころに電話がかかる。「父には父の人生がある」と、最近思う。母親の消息は分からない。「将来、結婚して温かい家庭を持てたら、母親とも会って話したい」「僕は世間にお世話になって大きくなった」と幸一さん。里親や里子の会になるべく参加し、経験を役立てたいと願う。「里子であるのは自分のせいじゃない。どういう過去であれ、自分自身が変わるわけでもない」。正月明けには、里親宅に帰省するつもりだ。
「日本子どもの虐待防止研究会第九回学術集会・京都大会」が十九、二十の両日、京都市左京区の国立京都国際会館で開かれる。悲しいニュースの中でも、子どもの虐待はやりきれない。子どもにとって、その親にとっても虐待を防ぎ、笑顔を取り戻すすべはないのか。その可能性を探る。
[京都新聞記事 12月8日 より] |
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近畿地区里子会結成報告
観世能子
平成15年度近畿地区里親研修会において、里子会支援研修会を実施したかったが時間の都合により準備が不可能となった為、別の機会を設けて里子会を結成とし、明石市立少年自然の家において、里子会支援研修会を開催し、当番県の兵庫県中央こどもセンターから佐野主幹、近畿地区里親会荒堀連合会長、松山兵庫県里親連合会長他が出席した。
平成15年8月30日〜8月31日にかけ、近畿地区の各ブロックより、里子達12人が兵庫県明石市立少年自然の家へ集まった。
まず、主催者である近畿地区里親会荒堀連合会長からの挨拶があった。その後、参加者の紹介と自己紹介が行われた。
次に講師の下前康夫先生による[素敵な友達をつくろう!]の講演があり、里子や里子OB達が、どうすれば打ち解け・仲間づくりがスムーズに出来るのかをレクリエーションも含めて学んだ。レクリエーションを行うにつれ、少しずつ皆の緊張も解けてゆき終始笑顔が見え会話も弾んだ。
その後、休憩を挟み『里子会を結成するか、どうかについて』と『これからの進め方について』のテーマでミーティングを行った。
まず最初に[里子会を結成することを、里子が本当に必要としているのか否か]を話し合った結果、次のような意見が出た。
(1)現在も過去も、里子として嫌な思いをしたことがない。
(2)全国で里子が少ないし、里子会を続ける意義がない。
(3)悩みを里子や里子OBに相談したことがない。
(4)カウンセリングを行って、中途半端になるのでは責任がかかる。
(5)打ち明ける場が今まで無かった為、OBが里子の聞き役になれるのは良いこと。
(6)自分が悩んだときに、自分より年上の者がいなくて、相談が出来なかった。
(7)子供は少ないけど、会を結成しないと里子が集まる機会がない。
(8)里子OBが話し合える場があることは、今後の里子にとって必要である
・・・等の意見が出た。その結果、最終的に全員が里子会結成に賛成した。
次に『これからの進め方について』・・・意見交換を行いたかったが、具体的な意見は何も出ず、今後の課題となった。
[今後の活動について]近畿地区里親研修会の時に、里親会とは別の会場で里子会を開催し、里子や里子OBの意見を里親と交流して行く。近畿ブロックで集まるのは、年に1回で、大きなイベントを行う。(夏の集いで呼びかける・会報で呼びかける)・・・時間が足らず、2日目に再度ミーティングとなった。
ミーティングが済むと、夕食を兼ねてバーベキューで懇親会を行い、皆それぞれに旧交を暖め合い、親睦を深めた。
●第2日目「今後の活動について」 ミーティングの結果
年間の開催予定 ・・・年に2回 夏と冬に開催する。 新しい里子や里子OBも含めた懇親会的なものも行う。 参加しやすい会場を選ぶ。
里子会の活動について ・・・参加が出来ない場合もあるので、イベントとメール等で意見交換を行う。
会費について ・・・月に500円程度を積み立て、会員の負担を少なくする。
里子会を広めていく方法 ・・・里親だよりに掲載してもらう。 里親会を通して、里子に連絡を行う。
会則について ・・・人数が増えてきたら必要になると思うが、今は皆で話し合い決めていく。(今は、必要なし)
次回の開催について ・・・11月15日〜月末の間に行う予定。
第2回 近畿地区里子研修会 報告
平成15年11月23日〜11月24日にかけ、近畿地区里子会として第2回目の会が行われ、兵庫県佐用郡の、とある民家を借りて4人が集まった。
第1日目には、[今後の活動について]ミーティングを行った。具体的には、
1)会計と書記の決定。
書記は集まったメンバーで開催毎に決定し、会計は会費を月500円づつ年間6000円を、里子OBより徴収する。
2)開催回数について
年に2回 夏と冬に里子を交えたイベントを開催し、里子OBだけの反省会と来年に向けた打ち合わせを年に1回行う。
3)会則について
作成し必要に応じて改訂する。
4)その他について
・里親や一般の人々によるバック・アップの方法として主旨に賛同し、この会を支援してくれる人々を募り、事務的な立場でサポートして貰う形が望ましい。
・里子達に会報が配布されるように、各県の里親会を通して送る。
・引きこもりの里子も参加が出来る形にする。
・里子が心を開き、本音で自分が出せる場所を作って行くことが大事である。
ミーティングが済むと、囲炉裏を囲んで旧交を暖め合いながら、夜遅くまで語り合った。
第2日目には[会報について]ミーティングを行った。具体的には
1)名称について
第1回開催時に提案のあったサン・コミに決定した。
2)会員について
里子、里子OBと趣旨に賛同し、この会をサポートする支援者とした。
3)目的について
気軽に集い合える場所を提供し、自分を見つける。
4)活動について
自然の中で、時間を気にせず普段は味わえない体験などを共にする。
5)会費について
里子から年会費を徴収せず参加する都度に参加費を徴収する。
6)次回開催予定について
平成16年度の夏とし、日時等は未定である。
平成16年度 夏のキャンプ決定!!
来年は富士山の見える河口湖で会いましょう!
平成16年度全国里子会(Y.I.C.N) キャンプ研修予定
日程:平成16年8月5日(木)〜7日(土)
場所:山梨県河口湖
募集人数:20名
問い合わせ 全国里親会事務局 TEL: 03-3404-2024 |
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