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第5章 北朝鮮工作船事件がもたらした諸問題
 2001年12月に海上保安庁の巡視船に追跡され銃撃戦の後に自爆して東シナ海に沈んだ不審船が, 2002年8月に引き揚げられた。船内には, おびただしい量の武器弾薬, 子舟, 水中スクーターなどが搭載されていた。調査の結果, 北朝鮮の工作船であることが判明した。今後の詳細な分析により, 日本人拉致, 麻薬密輸, 工作活動などの点と点が工作船によって結ばれて線になり, 北朝鮮による対日工作と国家的な犯罪行為の実態がさらに解明されていくことになるだろう。
 日本を襲った北朝鮮工作船は, 日本周辺海域の防衛・警備の在り方を改めて問いかけ, 一方で, 排他的経済水域の法的な性格や境界画定, さらには排他的経済水域における他国の軍事活動や警備行動に関する国家間の主張の相違など, 様々な問題を表面化させることにもなった。
 
第1節 不審船を追って
1 2001年12月22日, 東シナ海銃撃戦
 2001年12月21日16時30分頃, 九州南西海域で監視活動中の海上自衛隊P-3C哨戒機が, 漁船型船舶を写真撮影し基地に帰投した。防衛庁・海上自衛隊は, 撮影された写真を詳細に分析した結果, 翌22日0時30分頃, 当該船舶をいわゆる「不審船」と判断し, 最新の位置情報を入手すると共に官邸や海上保安庁などに連絡した。
 連絡を受けた海上保安庁では, 巡視船と航空機が出動し, 22日6時20分に奄美大島沖の日本の排他的経済水域の中で, 国籍不明(国旗を掲げない)の漁船型の船舶(「長漁3705」と表記)を確認, 漁業法違反(無許可漁業)の疑いで, 4隻の巡視船と航空機で追跡を始めた。不審船が停船命令を無視して逃走したため, 立ち入り検査忌避として, 射撃警告の後, 20mm機関砲で上空に向けて威嚇射撃した。日中の中間線を越え中国の排他的経済水域に入ってなお逃走を続ける不審船に対し, 巡視船は, 海面に, 次いで船体(人が居ないと見られる船尾及び船首部)に向けて威嚇射撃し, 強行接舷や挟撃を試みたところ, 不審船から巡視船に対して自動小銃とロケットランチャーで攻撃してきたため, 正当防衛により船体に向け射撃した。その後, 不審船では船内で爆発が起こったと見られ, 22時13分に中国の排他的経済水域内で沈没した(注1)。以下, 本事案を「九州南西海域不審船事案」と呼称する。
 
図1-5-1 
1985年に宮崎県鵜戸埼沖で確認された不審船
 
2 日本周辺海域に出没する不審船と日本の対応
 1990年10月, 福井県美浜町の松原海岸に難破舟が漂着した。全長9mの子舟に3基のエンジンを具え, 舟内には乱数表などがあった。500m離れた松林の中からは水中スクーターが発見された。11月に入ると, 北朝鮮人と見られる2人の遺体が流れ着いた。現場から20kmほど西にある小浜海岸では, 1978年7月に日本人男女2人が忽然と姿を消す事件が生じていた。2001年3月29日, 富山湾に面した黒部川河口で, 美浜町で発見されたものと同じ形状の水中スクーターが埋められているのが見つかり, 以前に工作員が侵入したことを窺わせた。それより2年前の1999年3月には, 現場に面した富山湾の北方, 能登半島沖と佐渡沖の領海内で2隻の不審船が見つかり, 海上警備行動が発令されている。このとき工作員が富山湾のどこかに上陸していたのかもしれない。
 海上保安庁がこれまでに確認した不審船は21隻ある(表1-6)。大掛かりな追跡事案にまで発展したものとしては, 1985年4月に宮崎県の日南市沖で発見され, 東シナ海まで海上保安庁と海上自衛隊による約40時間にわたる追跡を振り切って逃走した“白い船”(「第31幸栄丸」と標記)事案や, 1999年3月に能登半島沖に現れ, 海上警備行動によって派出された海上自衛隊の護衛艦や航空機の追跡をかわした2隻の不審船(「第一大西丸」, 「第二大和丸」と標して日本漁船を偽装。以下, 「能登半島沖不審船事案」と呼称)事案がある(注2)
 
図1-5-2 
1999年に能登半島沖で確認された不審船
 
 1999年3月の能登半島沖不審船事案では, 海上警備行動を発令して追跡したにも拘らずこれを取り逃がしたところから, 関係省庁において検討の結果, 「能登半島沖不審船事案における教訓・反省事項について」を策定した。その中で, 「不審船には海上保安庁が第一に対処し, 海上保安庁では対応が不可能もしくは著しく困難と認められる場合は, 海上警備行動により自衛隊が対処する」ことを基本に, 海上保安庁と防衛庁の速やかな相互通報, 艦艇・巡視船等の能力強化, 海上保安庁と自衛隊の間の共同対処マニュアルの整備, 危害射撃の在り方に係る法的整備を含めた検討, などがまとめられた。
 
表1-6 過去に海上保安庁が確認した不審船
発見年 発見隻数 発見海域
1963年 1 山形県酒田市沖
1970年 1 兵庫県城崎郡沖
1971年 3 青森県沖日本海, 北海道南西日本海, 鹿児島県指宿郡沖
1972年 1 石川県鳳至郡沖
1975年 1 石川県鳳至郡沖
1977年 2 福岡県宗像郡沖, 島根県浜田市沖
1980年 6 京都府経ヶ岬沖×3, 長崎県対馬沖×2, 兵庫県城崎郡沖
1981年 1 石川県輪島沖
1985年 1 宮崎県日南市沖
1990年 1 福井県沖美浜町沖
1999年 2 石川県能登半島沖
2001年 1 鹿児島県奄美大島沖
(海上保安庁「海上保安レポート2003」から作成)
 
 これを踏まえ, 海上保安庁と海上自衛隊は, 目標自動追尾機能を有する20mm機関砲装備の高速特殊警備船の配備, 新型ミサイル艇の速力向上や特別警備隊の新編等による能力向上を図ると共に, 不審船対処に係る「共同対処マニュアル」を作成し共同連携訓練を実施している。
 なお, 自衛隊は, 不審船への対応などの事態においては警察に対して所要の支援を行い, 警察力では対処困難な場合は, 海上における警備行動あるいは治安出動により, また, 事態が外部からの武力攻撃に該当する場合は防衛出動により対処することとしている(注3)
 平時の犯罪の取り締まりなどにおいて, 海上保安庁及び自衛隊は, 犯人の逃走防止または公務執行に対する抵抗の抑止に必要なとき, 警察官職務執行法の規定を準用して, 事態に応じて合理的に必要と判断される限度(いわゆる警察比例の原則)で武器を使用できる。人に危害を加えることが許容されるのは, 以前は, 正当防衛, 緊急避難または凶悪な犯罪の犯人が職務執行に抵抗する場合に限られていて, 不審船の船体への射撃については実施が難しい面があった。
 しかしながら, 能登半島沖不審船事案の後に実施した危害射撃の在り方に係る検討の結果, 領海内において繰り返し停船を命じても応じず抵抗または逃亡しようとする船舶に対しては, 放置すれば将来繰り返し行われる蓋然性がある等の一定の要件に該当すると認められる場合, 人に危害を与えても違法性が阻却されるように, 海上保安庁法及び自衛隊法が2001年11月に改正された。
 なお, 九州南西海域の不審船は領海外で発見されており, この法律は適用されなかった。威嚇射撃として逃走する当該不審船の船体に向け射撃したのは, 能登半島沖不審船事案の後に装備された高性能の機関砲により, 人がいないと判断できる船尾・船首部に対して精密に射撃が実施できるとの確信があったからであるとされる。
 
第2節 引き揚げられた工作船
1 不審船から工作船へ
 不審船の引き揚げについての日本と中国の政府間協議は, 中国が中国の排他的経済水域に対する権益と関心を尊重すべしとして難色を示したため難航した。日本政府の粘り強い交渉の末, 2002年6月18日にようやく政府間合意を得, 水深約90mの海底に沈んでいる不審船の引き揚げに取りかかることになった。中国側は, 漁業への影響や汚染を理由に漁業補償を要求したが, 日本側は「引き続き検討し誠意をもって対応する」として継続協議となった。
 引き揚げ作業は, 第十管区海上保安本部が所掌し, 6月25日から実施された。9月11日に海底から船体を吊り上げ, 台船に載せて14日に鹿児島港外に回航, 安全確認後, 10月6日に鹿児島港内に陸揚げされた。以降, 第十管区海上保安本部と鹿児島県警の合同捜査本部が捜査に着手し, 2003年3月14日までに証拠物の分析や鑑定を行い, 当該不審船を北朝鮮の工作船と断定した。
 
図1-5-3 
幾多の困難を乗り越えて引き揚げられた工作船
 
2 工作船の実態
 引き揚げられた工作船は, 全長約30mで, 高速エンジン4基・推進器4基を装備し, 連続最大速力は33ノットと考えられる。子舟が機関室の後方に格納されており, 船尾の観音開き式扉から出し入れする仕組みになっていた。この子舟は全長が約11mで, エンジン3基・推進器3基を装備し, 最大速力は50ノットに達すると類推される。子舟には水中スクーターなどが搭載されていた。搭載武器等については表1-7に示す通りであり, これはもう工作船というよりは立派な戦闘艇である。沈没原因については, 沈没直前に, 工作船内で閃光と熱が同心円状に広がり急速に消滅していく状況が巡視船の赤外線監視装置で確認されており, 船内で爆発浸水があったと考えられていた。引き揚げ後の調査で, 機関室と子舟格納区画の隔壁に約1mの破口があり・工作船の沈没の原因は, 自爆用爆発物の爆発による(船内から「自爆」とハングル文字表記のあるスイッチボックスを回収)子舟格納区画と機関室への浸水であったと判断されている。
 
図1-5-4 工作船に収容されていた「子舟」
 
図1-5-5 
巡視船に向け発射されたと思われるロケットランチャー
 
図1-5-6 
航空機の撃墜も可能な大口経の対空機関砲
 
 引き揚げ工作船の全容解明後, 海上保安庁は, 漁業法の立入検査忌避罪と刑法の殺人未遂罪で, 死亡したと確認または認められる工作船の全乗員を鹿児島地方検察庁に送致した。立入検査忌避罪は, 無許可漁業の疑いで立入検査するために繰り返し停船を命じたにも拘らず逃走を継続したこと, 殺人未遂罪は, 逃走防止のために接舷しようとしたところ自動小銃やロケットランチャーなどで海上保安官に対し銃撃し傷害を負わせたことに対してである(注4)
 
表1-7 工作船に搭載されていた武器一覧
ロケット・ランチャー(北朝鮮製と推定)2丁, 弾頭4個
携行型地対空ミサイル(ロシア製)2丁, 弾頭2個
14.5mm2連装機銃(ロシア製と推定)1機, 実包752発
5.45mm自動小銃(北朝鮮製と推定)4丁, 実包84発
82mm無反動砲(ハングル文字刻印)1機, 砲弾6個
7.62mm軽機関銃(北朝鮮製と推定)2丁, 実包219発
手榴弾8個
爆発物2個
(海上保安庁「九州南西海域における工作船事件の全容について」
ホームページhttp://www.kaiho.mlit.go.jp/info/news/h14/fushinsen/から作成)
 

工作活動・対日工作
 工作活動とは, 国家による他国に対するスパイあるいはエイジェントなどと呼ばれる策動であり, 現在においても平時から継続的に実施している国があるとされる。日本の沿岸に漂着した北朝鮮のものと見られる不審船からは乱数表などが見つかっており, 日本に対する工作活動が展開されていたと考えられる。
 
注1 九州南西海域不審船事案については, 主として海上保安庁『2002海上保安レポート』(財務省印刷局, 2002年)を参照。
 
注2 海上保安庁『2003海上保安レポート』(国立印刷局, 2003年)。
 
危害射撃
 一般的には, 逃走あるいは抵抗を抑制するために危害を与える射撃を言う。工作船などに対しては船体射撃となる。
 
注3 防衛庁編「平成14年版防衛白書」
 
 
注4 海上保安庁「九州南西海域における工作船事件の全容について」(http://www.kaiho.mlit.go.jp/info/news/h14/fushinsen/)。







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