平成14年度=海外医療事情調査報告
スウェーデンの音楽療法視察とホスピスおよび老人施設の見学*1
日野原重明*2
はじめに
今年度の海外医療事情の調査は, スウェーデンの音楽療法視察を主眼にしたが, 併せて老人ホーム, ホスピスも見学した。なお, スウェーデンの音楽療法の実情を報告するに際し, これまでのわが国の音楽療法の歩みと当財団の音楽療法との取り組みについても概観してみたい。
期日
2002年9月1日(日)〜10日(火)
訪問先
(1)カロリンスカ病院(ストックホルム市)
(2)ウップサラ音楽療法研究所(同上)
(3)インゲスンド音楽大学(アルブィーカ市)
(4)バンドハーゲン特殊学級(ストックホルム市)
(5)エルスタ・ホスピス(同上)
(6)老人ホーム「さくらんぼ園」(同上)
なお, 音楽療法を主体とした見学のため, 日本音楽療法学会認定音楽療法士5名, 同学会員2名のほか, カナダ公認音楽療法士や音楽療法に関心のある医師, 関係者など13名からなるメンバーと同行した見学旅行であったことを付記しておく。
ライフ・プランニング・センターの音楽療法の取り組み
1. 音楽療法の歴史的展開
音楽が広い意味において治療としてとらえられたのは旧約聖書の時代にまでさかのぼることができるが, 音楽が医療の一分野を担うものとしてその効果が評価されるようになったのは1950年代のアメリカにおいてであった。その考えに基づいてボドルフスキーが1954年に教科書『Music Therapy』を編纂したことを契機として, 音楽療法は米国をはじめ, 英国, カナダ, ドイツ, 北欧, そして南米へと急速に普及していくことになった。米国では1964年に全米音楽療法協会が組織され, 認定音楽療法士を誕生させた。また英国でもアルバン, ノードフ, ロビンズなどの専門家が輩出して大きな発展を遂げた。そして1969年, 櫻林仁東京芸術大学教授ほかはアルバンの著書を翻訳, 日本に音楽療法を紹介した。
一方, 日本では1974年頃から田中多聞医師が痴呆の高齢者に独自の音楽療法を試み, 成果を上げていた。また, 松井紀和医師は精神科医の立場から, 音楽が人間に及ぼす作用について研究を始めていた。
さて, 日本において音楽療法が注目されるようになったのは, 医師が中心となって1986年に日本バイオミュージック研究会(日本音楽療法協会, 現・日本バイオミュージック学会, 会長=日野原重明)が発足したことによる。これは医学に関わる専門職者が音楽のもつ治療的な意義を正しく認識して, 音楽専門職者と協力して, 医療の場面でその実践を行おうとするものであった。そしてその年に第1回の研究会を開催, それ以後毎年研究会を開催し, 併せて学会誌を発行してきた。
上記のような経緯の中, 音楽療法士の身分制を確立する機運が高まり, 1995年には音楽関係者が中心であった臨床音楽療法協会(会長=松井紀和)と日本バイオミュージック学会が連合して全日本音楽療法連盟(会長=日野原重明)を結成し, 1996年度より当連盟認定による「全日本音楽療法連盟認定音楽療法士」を誕生させた。1996年度の第一回認定以来これまで578名の音楽療法士を認定しており, 当面の目標は音楽療法士の国家資格取得と音楽療法の保険点数取得というところまでこぎつけている。
2. 当財団の音楽療法への取り組み
音楽療法は, 心身の健康の維持, 回復, 増進などといった治療目的を遂行するためのものであり, 医学的な効果が証拠によって裏付けられたものでなければならない。
私はかねてより終末期医療に関心を寄せており, 当財団の事業の一環としてホスピスの設立を考えていた。そして1981年以来頻回に欧米ならびにオーストラリアのホスピスや老人施設の視察に出張することになったが, どの施設においても音楽療法が効果的に実施されている場面に遭遇し, 全人的医療およびケアにとって音楽療法は不可欠の分野であるとの思いを強くもつようになった。そして日本の医療界も積極的に音楽療法の導入を図るべきだという考えをもつに至り, 1989年度の当財団主催による国際ワークショップ(第13回)では主題を「音楽療法の理論と実践」として企画・実施した。
a. カナダの音楽療法
このときに招聘した講師は, ドーン・アレキサンダー女史(カナダ認定音楽療法士, カピラノカレッジ講師)とジョアン・ブロディア医師(カナダ認定音楽療法士, ブリティシュ・コロンビア大学)のお二人。それに日本側からは私と, 篠田智璋, 植村研一両医師(いずれも日本バイオミュージック学会員)がタスクフォースとして参加, 初めて海外の音楽療法を両講師のパフォーマンスを交えて日本に紹介することができた。この会への参加者は医療関係者のほか, 保育士, 教員, 音楽家など, 多職種に及んだ。その理論的な根拠を提示した上で, ギター, クラビノーバ, タンバリン, トライアングル, ウッドブロック, ドラム, フィンガーシンバルといった多彩な楽器を駆使し, さらにスカーフなども活用した実演は, 音楽療法士としての専門性とともに場面に対応しうるフレキシビリティーが要求されるという思いを強くした。
このワークショップで印象的なことは, 「障害をもつ子供たちのための音楽療法の実際」というテーマで, 静岡県浜岡町のねむの木学園(宮城まり子園長)で行った二人の招待講師の実演と園の子どもたち, そして参加者までも取り込んだ交換会の模様であった。この場で, 音楽療法は言語によるコミュニケーションを超えた心の交流を成立させる効果的な治療手段の一つであることが参加者にも強く印象づけられた。
引き続き1993年の当財団による第17回国際ワークショップにおいても, 「音楽療法実践のワークショップ」と銘打ち, 「病んでも健やかに生きられるための音楽療法」プログラムを実施した。今回も先回招聘したアレキサンダー女史と, 新たにトンプソン女史(カナダ認定音楽療法士, 開業音楽療法士)を招き, 東京会場(都市センターホール)のほか, ピースハウスホスピスでも実施され, 緩和ケアに生かされる音楽療法と人生の同伴者として位置づけられる音楽の重要性が実証された。
b. ドイツの音楽療法
これまではカナダの音楽療法の紹介に意を用いてきたが, 1995年にはドイツのシュタイナーによって提唱された「アントロポゾフィー的音楽療法」に視点を転じた。これには長年ドイツで音楽療法に関わってこられた東福真弓女史(フィルダー・クリニク音楽療法士)を知ったことによるものである。東福女史は大阪芸術大学ピアノ科卒業後ドイツに渡り, ベルリン音楽療法研究所で学び, シュツットガルト市のシュタイナー主義による芸術療法院で音楽療法士として活動しておられる。
さらに, 第19回国際ワークショップ(1995年)の主題は「ドイツの全人的医療の中での音楽療法−その理論と実際」というものであった。講師は, 先の東福女史に加え, スザンネ・ラインホルト女史(フィルダー・クリニク音楽療法士)の2名を迎えた。ラインホルト女史もミュンヘン音楽大学バイオリン科を卒業後音楽療法を学び, 現在同じくシュタイナー主義をとるフィルダー・クリニクでアントロポゾフィー的音楽療法を実践しておられる。
カナダの音楽療法との大きな違いは, シュタイナーの提唱する教育理念に基づく多彩な芸術療法の一つとして音楽療法が展開されているということである。人間の誕生から成長の段階を見通しながら年代ごとに独特の音列をあてはめ, 人間のもつ自然治癒力を最大限に引き出すための理論が構築されており, それに基づいて音楽療法が提供されていく。使用する楽器もギター, ドラム, ベース, 各種の民族楽器など多様であるが, とくにライヤーという小さな竪琴が効果的に用いられているのが特徴的である。
このワークショップに触発され, 翌1996年にはドイツの音楽療法の実際を見学した。これは「第8回音楽療法会議」および「第2回音楽療法連盟国際会議」への出席を兼ねたものであった。シュタイナー思想に基づいて提供される医療やホスピスケアは, 施設の建物などハードといわれる部分から, そこで働くスタッフ, 食事の内容などソフトに及ぶものまで終始一貫したものであり, 音楽療法もそのシステムの中に欠かすことができないセラピィとして組み入れられていた。
c. 米国の音楽療法
カナダとドイツの音楽療法に触れたが, では米国の音楽療法はどのようなものなのか。1998年に催した「国際フォーラム&ワークショップ」は, 米国の2名の音楽療法士を招聘した。イマキュラータ大学音楽療法学科大学院のアンソニー・ジリノ教授と同大学のジョゼフ・レイリィー講師である。米国ではいくつかの音楽療法の分野があり, 主なものとしては, 即興演奏を重視するものや自己コントロールを重視するバイオフィードバック音楽療法などがある。対象者によってそれぞれのニーズに応じた音楽療法が提供されており, これは米国における音楽療法の層の厚さとして認識できるといえるものであるかもしれない。
今回圧巻だったのは, レイリィー講師によって舞台いっぱいにデモンストレーションされたサウンドビームを使用した音楽療法であった。このメカニカルな手法を用いた音楽療法は, 今後どのように癒しのために活用されていくのか, 21世紀を暗示するものとして強く日本側参加者に印象づけられた。
d. 緩和ケアに焦点をあてた音楽療法
そして再度1999年には, 音楽療法フォーラムの主題を「緩和ケアにおける音楽療法」に絞り込み, カナダのロイヤル・ビクトリア・ホスピスの音楽療法の紹介を行った。招聘講師は, 音楽療法士のデボラ・サーモン女史。女史はカナダのマニトバ大学を卒業して認定音楽療法士となり, その後米国のニューヨーク大学で音楽療法修士を取得され, 現在はロイヤル・ビクトリア病院で音楽療法士コーディネーターを務めておられる。そして日本からは生野里花女史(全日本音楽療法士連盟認定音楽療法士, 東京芸術大学大学院講師)に参加していただき, 併せて解説をお願いした。また, このとき初めて鏑木陽子(桜町病院聖ヨハネホスピス), 新倉晶子(救世軍清瀬病院緩和ケア), 高須克子(聖路加国際病院緩和ケア病棟)の三氏による日本での音楽療法の実践例が報告された。
また, 翌2000年には同じくカナダのセントポール病院緩和ケア病棟および集中治療病棟で専任音楽療法士として働いている近藤里美女史を講師に迎え, 「緩和ケアにおける音楽療法−ホスピス・緩和ケアにおけるチームケアの中の実践的音楽療法」を, 翌2001年にも同じく近藤講師による国際ワークショップ「医療の中の音楽療法−カナダでの終末期における音楽療法を中心として」を開催した。
スウェーデンの音楽療法
1. 脳機能回復音楽療法とは
上記のような実績を踏まえた上で, 今年度はスウェーデンではどのような音楽療法が行われているかを見学したいと思った。
スウェーデンで普及している音楽療法は脳機能回復音楽療法(Functionally Oriented Music Therapy, 以下FMT療法)と呼ばれるもので, ラッセ・イエルム氏によって1987年に始められたスウェーデン独自のものである。
対象者は学習障害, 痴呆症, 脳梗塞などの脳血管障害の後遺症, 自閉症, パーキンソン病, 筋ジストロフィーなど広範に及ぶ。私たちのこれまで理解してきた音楽療法の概念とは大きく異なっているセラピィーである。創始者であるイエルム氏がFMT療法についてビデオを用いて解説された。
第1例は, 12歳の女児のケースであった。
知的障害のあるレーナは話すことができず, 学校の先生の質問に答えるときは, 机上に置かれた図の中から指で指し示すことになっていた。しかし, 障害があるために思ったところに指が届かず, 腕全体で大きな弧を描いてしまう。そこで氏は, 彼女の腕の動きを利用して彼女の機能の発達を高めることを考えた。手の届くところに太鼓を置き, その位置や高さ, 数, 種類を変えていく。座る位置も同様に変えていく。イエルム氏の弾くピアノに合わせてレーナが太鼓を叩くときに, その筋肉を通した運動が脳神経を刺激する。このように筋肉を通した運動が脳神経を刺激するというFMT療法の基礎がつくられたというのである。
第2例は, 精神障害のある女性のケースであった。イエルム氏が彼女のためにピアノを弾いたところ彼女は叫びだした。同じことが繰り返されたので, 彼の弾いた曲が彼女の嫌な思い出を呼び起こしたのではないかと理解し, 一般に知られている楽曲ではなく, 彼の考案した25のコードを音楽療法士は弾くことにしたのだという。音楽療法士は, 1分間程度このコードをピアノで弾き, クライアントは太鼓とシンバルをばちで叩くことによって反応する。1回ごとにクライアントの様子を観察しながら楽器を変えたり, 楽器の配置を替えたり, あるいはクライアントの持つばちを替えながら, 20分ほどこの行動を繰り返すのである。この間, 音楽療法士とクライアントの間には, 会話やアイコンタクトは一切行われない。
2. スウェーデンにおける音楽療法の実態
スウェーデンでは1981年から音楽療法士の教育課程が整備された。国家資格ではないが, 教育機関はすべて国立なので, この課程を修了すれば自動的に認定されることになるという。当初はノードフ・ロビンズの創造的音楽療法, プリーストリーの精神分析的音楽療法, GIMなど諸外国の音楽療法が重視されていたが, 1987年にFMT療法が正式に採用されることになった。それ以後スウェーデンではこの療法が主流となり, 現在, スウェーデンにいる147名の音楽療法士のうち122名がこのFMT療法を実践しているという。また, この療法は最近海外からも注目されるようになり, フィンランド, スイス, 韓国などが関心を示しているとのこと。ただし同じ北欧でもノルウェーでは実施されていないとのことである。
また, 音楽療法を学ぶ学生はほとんどが社会人で, 仕事を続けながら大学で集中講義を受けている。今回見学したインゲスンド大学でも, 学生は30〜40代で, 音楽学校の教師や幼稚園教諭などが多いようであった。FMT療法は確固としたメソッドがあるので, 決められたコースを履修すればだれでも実践することができる。母親が障害のある子どもにFMT療法を実践しているワークショップを見学したが, セラピィーのレベルはいま一つのように感じられた。
イエルム氏の本拠であるウップサラ音楽療法研究所では, 医師が「FMTを10セッション受けるように」という指示が出されると, 対象者はここに来てそのセラピィーを受ける。1セッションは20分間で, 費用は20クローネとのことであった。
3. 音楽療法としての印象
日本では, 米国, カナダ, そしてドイツの音楽療法から学んだ「創造性と即興性を大切にし, 心に働きかける癒しの療法」という理解が一般的のように思われる。その観点からすると今回の視察で出会ったFMT療法はかなり異質なものであった。同行した音楽療法士からも, 「楽器を道具とした機能回復訓練と呼ぶようなものでないか」「即興演奏を禁じているのは音楽療法と呼べるのか」「セラピィーというより訓練なのではないか」「音楽療法士との人間的な触れ合いが遮断されているのはセラピィーといえるのか」などという意見が上がったが, FMT療法による脳細胞の再生とその機序がEBMによって証明されることを待ちたいと思った。
4. 老人ホームとホスピス
老人ホームは痴呆や身体疾患のある65歳以上の老人が入所する施設で, 医師と看護師が24時間常駐している。今回訪れた「さくらんぼ園」および「エルスタ・ホスピス」は, いずれもゆったりした敷地の中に, 清潔で簡素な雰囲気で建てられている。私室内はこれまで愛用してきた品々に囲まれている。そこで感じられる家庭的であたたかな雰囲気は, まだまだ日本が到達し得ない質の高さを備えている。それは11名の老人に対して3名のスタッフがケアを担当しているという人的余裕に負うところも大きい。エルスタ・ホスピスは, エルスタ病院の関連施設の一つで病院とは地下道でつながっている。16ベッドを備えているほか, 30名の在宅ケアを担当し, また週に3日ずつ12名のデイケアサービスを受け入れている。
福祉国家の名のとおり, 年間運営費の大部は国家予算でまかなわれており, 英米のように寄付に依存することはなく, まさに人間の一生を通して国家が責任をとるという政策が貫かれているのを強く感じさせられた。いかにも福祉の先進国スウェーデンの施設である。
おわりに
音楽療法が医療の一分野として一般の評価を獲得するにはまだ数年の日時が必要とされるかもしれない。それは臨床医学の分野でもEBM(科学的証拠に基づく医学)が近年盛んに強調されるようになっているが, 在来の臨床医学にはその観点が欠けていることが指摘されたからである。そのような時代に音楽療法の効果の実証性を短期間の患者観察で証明するのはなかなかむずかしいと思われるからである。しかし, 医療が進めば進むほど, 「みとり」とか「手あて」という人間的な部分を削ぎ落としてきているのが世界的な趨勢のように思われる。音楽療法は, 全人的な医療を取り戻すための一環として注目され, その効果も確認できるようになってきた。そういう意味では広くアートセラピィーと呼ばれる分野を構成するものでもある。
日本において音楽療法を推進する立場にあるものとして, 私はEBMに基づいた音楽療法の適用によって多くの症例にその効果を証明したいと思っている。そのためにも, 医療の分野でそれぞれの専門家がチーム医療を提供するところから, 音楽療法の効果を実証しなければならない。578名に及ぶわが国の認定音楽療法士がますます実力を身につけ, 医療チームの一員として大きな力を発揮することを願うとともに, 医療関係者および一般の方々の音楽療法士への理解を求めてやまない。
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*1 Reports on current trends in medical care in foreign countries/A Report of Site-vision in Sweden: Music Therapy, Hospices and Institution for the Elderly
*2 ライフ・プランニング・センター理事長
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