臨床研究
健常高齢者の身体機能評価と家庭運動トレーニングの効果に関する検討*1
長尾邦彦*2 道場信孝*3 平野真澄*4
松原義博*5 日野原重明*6
目的
高齢者の健康を脅かす要因の一つに, 筋力や関節機能の低下と制約, そして, 平衡機能の障害がもたらす転倒が挙げられる1)。今日, 筋肉減少症, 体重減少, 筋力低下, 持久力の低下, 緩慢な動作(歩行速度の低下), そして, 活動性の低下は脆弱化(frailty)の徴候とされており, 生命予後の予測因子でもある2)。今回は健常高齢者の身体機能をこのような観点から評価し, さらに, 主として粗大骨格筋が関わる躯幹や関節の可動域(ROM: range of motion)と平衡機能がどのような状態にあるかを知り, また, 6週間の家庭運動プログラムによって, いかなる機能にいかなる変化が生じるかを明らかにすることを研究の目的とした。
対象と方法
新老人の会に属し, ヘルス・リサーチ・ボランティア(HRV)として登録されている会員の中から, 今回の研究の主旨に賛同して参加を希望した男性20例のうち, 6週間のトレーニングプログラムが完了できた17例(年齢78.3±3.1: 75〜86歳)を検討の対象とした。
すべての対象者について, 身体計測(身長, 体重), 指床距離, 躯幹と関節の可動域(頚部, 肩関節, 体幹, 股関節, 足関節)3, 4), 握力, ファンクショナルリーチ(FR)5, 6), 片足立ち, タンデム立位, Borgバランススケール(BBS)を評価した7−9)。ROMの測定にはゴニオメターを用いた。すべての機能評価は筆頭研究者(理学療法士)が行い, 各項目について3回測定してその平均値を代表値とした。関節可動域の参考値は文献4より求めた。
運動トレーニングは初回の身体評価時に指導し, 日常生活の中で施行するようにした。1日の合計運動時間は20分以上, そして, 1週3〜4回の実施を目標とした。日中に行うものとしては椅子や床からの立ち上がり, 寝返り, よつ這い, 対側上下肢挙上, よつ這い位同側上下肢挙上, 屋外の運動としてはウォーキング, そして, 就寝前の運動としては両足挙上へそを覗く, 臀部挙上, 足指を意識して動かす, 寝返りなどとした。トレーニング期間は2002年7月31日〜9月19日の約6週間である。
すべての値は平均値±1SDで表した。運動プログラムの効果の評価は躯幹と関節のROM, および, FR, 片足立ち, タンデム立位, BBSについて行い, 対応ある平均値の比較の有意性の検討にはpairedt-testを用いた。p<0.05を有意性の限界とした。
結果
1. 訓練前の身体機能評価
表1〜6にトレーニング前の身体機能評価結果を示す。頚部に関しては, 屈曲と回旋が参考値の70〜80%に保たれていたが, 伸展と側屈は50〜60%レベルに低下していた(表2)。躯幹については屈曲と回旋がほぼ基準値に近い値を示しているのに対して, 伸展と側屈は50%レベルに低下していた(表3)。
表1 身体計測と握力
身長 体重 握力右 握力左 |
163.3±5.3(156〜174)cm 60.7±9.3(41〜76)kg 23.1±4.9(15〜35)kg 21.3±3.8(17〜31)kg |
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表2 運動プログラム前後の頚部可動域の変化(角度で表示)
頚部 |
前 |
後 |
p−値 |
屈曲 伸展 右回旋 左回旋 右側屈 左側屈 |
43.5±9.3 (72.5%) 24.4±9.7 (48.8%) 47.6±12.0 (79.4%) 47.1±14.5 (78.4%) 31.2±12.1 (62.4%) 29.7±12.1 (59.4%) |
44.1±8.7 (73.5%) 29.7±13.5 (59.4%) 51.8±10.1 (86.3%) 50.6±12.0 (84.3%) 31.5±11.7 (62.9%) 30.9±12.0 (51.8%) |
0.850 0.198 0.288 0.444 0.943 0.777 |
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表3 運動プログラム前後の体幹可動域の変化(角度で表示)
体幹 |
前 |
後 |
p−値 |
屈曲 伸展 右回旋 左回旋 右側屈 左側屈 |
41.8±10.1 (92.8%) 17.6±10.3 (58.8%) 42.4±13.0 (105.9%) 40.6±14.8 (101.5%) 26.2±8.9 (52.4%) 24.1±9.9 (48.2%) |
41.2±9.9 (91.5%) 20.0±9.2. (66.7%) 45.9±3.0 (114.7%) 45.3±3.3 (113.3%) 29.4±10.3 (58.8%) 29.4±10.3 (58.8%) |
0.865 0.488 0.422 0.344 0.335 0.136 |
|
表4 運動プログラム前後の股関節可動域の変化(角度で表示)
股関節 |
前 |
後 |
p−値 |
右伸展 |
6.5±4.9 (43.1%) |
10.3±5.4 (68.3%) |
0.039* |
左伸展 |
6.5±4.9 (43.1%) |
10.3±5.4 (68.3%) |
0.039* |
右屈曲 |
127.1±10.5 (101.6%) |
135.3±14.6 (108.2%) |
0.068 |
左屈曲 |
127.1±8.5 (101.6%) |
137.1±9.9 (109.6%) |
0.003* |
右SLR |
72.4±11.5 (80.4%) |
79.1±8.7 (87.9%) |
0.062 |
左SLR |
71.8±11.9 (79.7%) |
79.1±8.7 (87.9%) |
0.047* |
右外転 |
41.2±6.0 (91.5%) |
42.9±1.1 (95.3%) |
0.347 |
左外転 |
41.2±4.9 (91.5%) |
42.4±4.4 (94.1%) |
0.463 |
右内転 |
21.5±4.9 (107.4%) |
23.2±5.8 (116.2%) |
0.348 |
左内転 |
21.2±5.2 (105.9%) |
22.6±4.4 (113.2%) |
0.377 |
右外旋 |
43.5±10.0 (96.7%) |
52.9±17.6 (117.6%) |
0.064 |
左外旋 |
44.1±10.0 (96.7%) |
52.9±17.6 (117.6%) |
0.082 |
右内旋 |
26.4±8.6 (58.8%) |
29.4±8.3 (65.3%) |
0.318 |
左内旋 |
24.7±8.2 (54.9%) |
29.6±8.3 (65.4%) |
0.105 |
|
括弧内の数値は参考値との比を示す。SLR: straight leg rise |
*p<005 |
表5 運動プログラム前後の肩・足関節可動域の変化(角度で表示)
肩・足関節 |
前 |
後 |
p−値 |
肩右屈曲 |
166.5±7.0 (92.5%) |
170.0±7.9 (94.4%) |
0.178 |
肩右伸展 |
52.4±5.6 (104.7%) |
56.5±4.9 (112.9%) |
0.030* |
肩右外旋 |
70.6±13.4 (88.3%) |
75.3±13.3 (94.1%) |
0.312 |
肩右内旋 |
55.9±20.0 (93.2%) |
70.0±17.7 (116.7%) |
0.037* |
右足底屈 |
42.9±5.9 (95.4%) |
43.5±4.9 (96.7%) |
0.754 |
右足背屈 |
14.7±5.1 (73.5%) |
15.3±4.1 (76.2%) |
0.716 |
|
股関節のROMは屈曲, 挙上, 外転について参考値レベルの値を示しているが, 伸展と内旋は極度に低下していた(表4)。これに対して肩関節のROMは内旋を除いてほぼ正常に保たれていたが, 足底屈は参考値の73.5%に低下していた(表5)。その他, FR, タンデム立位, 片足立ち, BBSには基準値がなく比較はできないが, 平衡機能に関わるテストは多くの対象者で施行困難であった(表6)。
表6 運動プログラム前後の機能変化
その他 |
前 |
後 |
p−値 |
機能的リーチ(cm) 右前タンデム立位(秒) 左前タンデム立位(秒) 右片足立ち(秒) 左片足立ち(秒) BBS |
31.0±5.6 8.1±5.6 6.6±5.5 9.8±6.9 10.6±10.8 54.4±2.3 |
32.0±5.9 18.9±9.9 17.6±12.2 23.0±9.0 19.9±11.6 55.5±1.1 |
0.626 0.000** 0.002** 0.000** 0.022** 0.066 |
|
BBS: Borg's Balance Scale |
**p<0.01 |
2. トレーニング後の身体機能の変化
a. ROMの変化
頚部と体幹に関しては有意な変化はなく(表2, 3), 股関節の伸展, 屈曲, SLR, そして, 肩関節の伸展と内旋(表4, 5)に有意なROMの改善が見られた。しかし, 足底屈には改善がなかった(表5)。
b. 訓練によるバランス機能の変化
FRには変化が見られなかったが, タンデム立位と片足立ちには顕著な改善が見られた。Borgのバランススケールにも改善の傾向が認められた。
考察
加齢の過程で生じる量も重要な変化の一つは機能的な動作の減退であるが, 運動能の低下と動的不安定性の進行は平衡機能に影響し, 筋力低下と関節可動域の減少をきたすが, これらは原因でもあり, また, 結果ともなる。これらの機能の変化によって身体活動の減退サイクルが始まり, 総称して低運動症候群(hypokinetic syndrome)とされている10)。今回は, 高齢者の身体機能を躯幹や四肢のROMと平衡機能の面から評価し, 家庭での運動訓練の効果を同様の指標について検討した。
関節のROMは柔軟性を規定する基本的な指標であるが, 加齢と共に関節はより不安定となり, かつ, 他の支持組織の変化とともに硬化する。上肢のROM評価は摂食, 更衣, 入浴, 排泄など多くのADL施行において有用であり11), 足のROMはヒトの行動を直接左右する必須の要件であり12-14), そして, 股関節のそれは転倒との関連で重視されている15-16)。本研究では, 高齢者の躯幹と四肢の可動域には著しく低下している部分と, ほぼ正常の機能が維持されている部分があることが明らかにされた。
頚部では伸展と側屈, 躯幹については伸展と側屈, 股関節では伸展と内旋が極度に低下していたが, 肩関節の可動域は内旋を除いてほぼ正常であった。これらの低下は不用性の廃用によるものと思われるが, 股関節の伸展を除いて日常の生活行動や転倒などには関わりが少ないと思われる。野中らは膝のROMには加齢の影響が少ないのに対して, 股関節のROMは加齢によって著しく低下することを指摘しており15), さらにKerriganらは, 加齢によって股関節に生じるROMの制約が転倒者でより顕著であることを報告している16)。今回の検討で足関節の背屈が参考値の73%であったことは, 一つは加齢の徴候として, 他は転倒との関連から重要と考えられる。一方, 機能低下が認められない指標については, これらが日常の生活の中で頻繁に用いられている機能であることと関連するものと推測される。これに対して, タンデム歩行, 片足立ちは平衡機能に深く関わる指標であるが, 高齢者においてこれらのテスト結果が不良であったことは注目に値する。
今回指導した家庭での運動プログラムは高齢者にとって負担が軽く, かつ, 日常の生活の中で行えるものなのでコンプライアンスは良好であった。躯幹や関節の可動域に関しては, 股関節の伸展, 屈曲, 挙上, そして, 肩関節の伸展と内旋に有意な改善が認められた。これはプログラムに含まれているよつ這い位で行う対側, あるいは, 同側上肢・下肢挙上の運動の効果と思われる。また, 片足立ちとタンデム立位に顕著な改善が見られているが, これはこれらの動作を繰り返し訓練したことの効果と思われる。このような平衡機能の改善は転倒の防止に有効である可能性があり, 今後の検討が必要と思われる。また, 今回のプログラムでは足底屈に有意な効果が得られなかったことから, 今後これらの機能の向上も含めたプログラムの改善が求められる。
まとめ
高齢者の健康の維持・増進において標準となる身体機能を知ることは必須の要件であるが, 今日に至るまで系統的な研究はきわめて少ない。今回は, 男性健常高齢者について身体機能を評価して健常成人について示されている参考値との比較を行い, また, 短期間のトレーニングプログラムの効果を検討した。対象は健常男性17例(平均年齢78.3±3.1: 75〜86歳)。身体機能は四肢関節と体幹の運動可動域と平衡機能について評価した。運動可動域は日常生活で頻用する部位については保持されていたが, 不用性の部位については明らかに低下していた。平衡機能に関してはタンデム立位, 片足立ちで著しく低下していた。6週間の家庭で容易に施行できる運動トレーニングによって, 股関節の伸展, 屈曲, 肩関節の伸展と内旋に有意な可動域の拡大が見られ, また, タンデム立位と片足立ちには有意で, 顕著な改善が見られた。今回の評価においては筋力が客観的に評価されなかったので, 今後, 筋力を含めたより系統的な身体機能評価を行い, さらにこのようなプログラムの転倒予防の可能性についても検討したい。
*1 Studies on Physical Assessments and Effects of Home-Based Physical Training in the Normal Healthy Elderly
*2 帝京平成大学専門学校理学療法科学科長
*3 帝京平成大学専門学校校長
*4 ライフ・プランニング・センター健康教育サービスセンター管理栄養士
*5 ライフ・プランニング・センター新老人事業部
*6 ライフ・プランニング・センター理事長
文献
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4) 理学療法評価学(岩倉博光監修, 松沢正編集), 金原出版, 2001
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