総説
模擬患者(SP)ボランティア養成の現状と展望
ライフ・プランニング・センターにおける試み*1
石清水由紀子*2 道場信孝*3
日野原重明*4 本田芳香*5
はじめに
日本における医学・医療の教育は長い間, 講義形式による教訓的教育法が中心であり, 医療識者が主体となって患者を疾患別・臓器別に診るという医療であった。しかし, 1970年代より米国などの新しい医学・医療が紹介されるにつれ, 患者中心の全人的な医療へと大きく変化してきた。そして, 医師や看護師などの医療専門職者は, 患者を中心にチーム医療を実践する援助職者として臨床能力とともに高いコミュニケーション能力が求められるようになった。
そのような背景の下で, 医学・医療教育も患者の持つ問題を解決する問題指向型に変革する必要に迫られ, PBL(Problem Based Learning)やOSCE(Objective Structured Clinical Examinations)が導入されることになったが, これらの方法を実現するためには, 実際の患者に類似した疑似体験として模擬患者(Simulated Patient, Standardized Patient: SP)が必要となる。
財団法人ライフ・プランニング・センター(LPC)では, これまで「模擬患者を用いた教育法」を紹介する国際ワークショップを3回開催してきた。
第1回目は1975年に「模擬患者の養成と問題指向型学習による医療担当者教育の革新」をテーマに, 日本に初めて模擬患者を用いた教育法が紹介された。この時の招聘講師であるカナダ・マクマスター大学のHoward Barrows教授は「模擬患者を用いた教育法」の開発者であった。東京におけるワークショップのほか, 久留米大, 九大, 川崎医大などでもワークショップを開催し, 延べ500名を超える医学・看護教育者の参加を得て大きな反響を呼んだ。
第2回目は, 1992年に「標準化患者による教育法」のテーマで米国マサチューセッツ大学のPaula L. Stillman教授と教育プログラムコディネーターのPetula A.Stanley女史を招聘した。ここでは模擬患者としての役割に加えて, 学生の臨床能力を評価するために標準化患者(Standardized Patient)の有用性が強調され, その養成法にも及ぶ内容の展開がみられた。
そして, 3回目として1997年に「模擬患者活用の原理と応用」のテーマでカナダのマクマスター大看護学部長のA.Baumann教授, R.E.Weir教授, そして模擬患者を招聘し, 教育の現場における模擬患者/標準化患者の活用の方法を具体的に紹介するワークショップが開催された。SPに関して, 同大学では既に30年以上の実績を有しており, このワークショップは習熟した完成度の高い内容であったが, 参加者は医学・看護学教育に直接関わる数十名に限定されたものであった。
このように当財団では, 非常に早い時期から「SPを用いた教育法」に着目し, 日本の医学・看護学教育にこの方法を普及させ, 教育が革新されることを期待して啓発活動を行ってきた。しかし, これらの反響は一時期に留まり, 大きな広がりはみられなかった。理由はいろいろ考えられるが, 1つにはSPの養成が困難であること, そしてSPそのものを継続して確保することの困難さが挙げられる。
すなわち, SPは「患者の持つあらゆる特徴, 病歴や身体所見にとどまらず, 患者特有の態度や心理的・感情的側面に至るまで, 可能な限りを尽くして完全に模倣するよう訓練を受けた健康人である」という定義から, 「訓練を受けた健康人」をどのようにつくり出すのか, そしてまたこれらのSPの機能をどのように訓練し高めていくのかなど, さまざまな課題が浮き彫りになった。
そこで, 当財団では1995年にSPを養成し, かつそれらを用いた教育法を実践して広く世に示すことを目的に, 一般の人たちを対象に「SPボランティア養成講座」を開講した。以来, 今日まで6年間にわたり本講座の修了者十数名が医学・看護学教育施設からの依頼を受け, 種々の教育プログラムの中でSPとして役割を果たしてきた。
そこで今回は, 「SPボランティア養成講座」におけるカリキュラムとSP養成の実際と, これらSPボランティアたちの教育への参与の実情について報告する。
プログラムの目的と行動目標
SPボランティアは, 医学・医療の教育におけるSPの役割を理解して, 新たにSPとしての能力を開発し, 教育に積極的に参与することで社会に貢献することを目的として養成される。
そして, それら非医療者の教育における具体的行動目標は, (1)自分に適した疾患を選択する, (2)選択した疾患の特徴を病歴から身体所見に至るまでを学習し, その内容を自身に置き換えて病歴を作成する, (3)その病歴を基にその患者になりきって指導者である医師の診療を受ける, (4)これらのプロセスを通じてより完全に模倣できるよう演技の指導を受ける, (5)教育セッションの目的を認識した上で患者の視点からのフィードバックを行う, そして, (6)これらを体験的に学習する, に集約できる。
カリキュラムの概要
本講座は月1回, 全15回のコースで, 1回約1時間, トータル15時間に及ぶプログラムである。まず, 講義で基本的な理解を得た後, 演習によって実践的に知識と技術を習得する方式をとっている。
対象者は当財団の会誌を通じて募集し, これまでに当財団が行っている各種の健康教育プログラム(ヘルス・ボランティア講座, ホームケア・アソシエイト講座)などを修了していることを条件とした。その理由は, 医学・医療教育について広くある程度の理解があり, ボランティア精神を持っていること, そして当財団の理念を理解していることを考え方の基本にしたためである。
カリキュラムの内容
(1)SPとは
SPとは, PBL(Problem Based Learning)式教育法の創始者であるHoward Barrows教授が, 1963年にカリフォルニア大において初めてSPを学習資源として起用したことに始まる。Barrows教授は当初, プログラムされた患者のデモンストレーションをするという意味でProgrammed patientと呼んでいたが, ある時航空機のパイロットの訓練を見る機会があり, これからヒントを得てSimulated Patientと呼ぶようになった。その後, 学生を評価する場合には相手によって演じ方を変えない標準化されたSPが必要になり, これをスタンダード化された患者という意味からStandardized Patientと呼ぶようになった。SPといえばこの両方の意味を持ち, 必要に応じて使い分けられている。
日本の医学・医療の教育はこれまで講義形式で行われ, 英語で言えばdidactic teachingというところの教壇的な教育を行ってきた。しかし, これらの分野は今日, 患者中心の全人的医療に大きく変化してきたため, 教育も問題指向型教育に変革する必要に迫られた。先にも述べたようにPBL式教育法などが導入されたため, SPが教育・学習資源として必須なものと考えられるようになった。
(2)SPボランテイアの意義
一般の人々がSPというまったく新しい役割に挑戦するということは, いろいろな点で意義がある。まず第1に自身を生かすことになり, これまで活用していなかった隠れた能力が引き出されることから, 自己発見・自己開発につながる。第2に自身が教育・学習の資源になるために必要な学習をすることで, 医学・医療についての知識が増し理解が深まる。そして, 第3には患者の身体所見や症状の特徴を模倣して演じるだけではなく感情にも共感していなければならないため共感的な態度が養われる。さらに加えて, 医学・医療の教育の発展のために自身が役立っているという満足感は計り知れない大きなインパクトを与えるものである。
(3)データベースの作り方
SPとして演じる患者の症例を理解するために, 「データベースの作り方」を基本的な学習方法とする。1人の患者を全人的に捉えるために多面的に情報を収集し, そして, それらを以下のようなデータベースのフォームに従って情報を整理するというプロセスを体得する。
データベースの内容は次の通りである。
(1)患者プロフィール(生活像)
(2)病歴:主訴, 現病歴, 既往歴, 家族歴
(3)診察所見
(4)検査データ
(5)システムレビュー
(4)病歴の作り方
次に示すようなSPに適した病態の症例を挙げ, 自身が興味があるとか, あるいは身近にそのような患者がいるなどで演じてみたい症例を選択し, 前述のフォームに従って病歴を作成する。この際, 年齢や家族歴などは自身, あるいは家族の1人にする。
(1)難聴, (2)痛み(腹痛, 頭痛, 腰痛, 胸痛等さまざまな症例をつくることができる), (3)うつ, (4)心筋梗塞, (5)高血圧, (6)肥満で糖尿病, (7)慢性関節リウマチ, (8)メニエル氏病, (9)がんノイローゼ等。
選択した疾患については医学の教科書や参考書を用いて自己学習し, 自身あるいは家族がその疾患のどのレベルにあるかを設定して作成する。この方法で1人につき3症例を作成させる。
(5)トレーニング
それぞれが作成したSPの病歴を基に, 医師と熟練したナースが指導者として訓練に当たる。そのプロセスで必要があれば「タイムアウト」をとり, SPとしての役づくりから症例の理解, 基本的な考え方などについてさまざまな指導を展開する。このトレーニングはワークショップ形式で行われ, 各症例ごとに展開される入念な指導を参加者全員が習得することができる。
また, SPによって教育を受ける医学生や看護学生に対して適切なフィードバックを行うことが求められるので, 教育プログラムの目的を認識した上で患者の視点からの意見を述べられなければならない。この場合, 症例についての知識や理解は十分に持っていなければならないが, 患者としての感覚も合わせ持つことが求められている。
SPによる教育風景。医師(役)は日野原重明理事長
SPボランティアの活動と評価
このようなカリキュラムで養成されたSPボランティアは現在十数名おり, 6年間に当財団の教育プログラム, あるいは医学校, あるいは看護学校の教育プログラム, 病院など医療施設のスタッフ教育にSPとしての役割を果たしてきた。
これまでに当センターで訓練されたSPが参加した主な教育プログラムを以下に挙げる。
(1)当財団における教育プログラム
* 国際ワークショップ「医学および看護教育における模擬患者活用の原理と応用」の中のデモンストレーションでパーキンソン病と胆石の症例。
* セミナー「ナースに必要な問診と診察の技術」において10症例。
* セミナー「ナースによる患者・家族のための電話相談技法」で電話相談のロールプレイの模擬相談者として24症例。5年継続している。
(2)医科大学における教育セッション
* N大学医学部・公衆衛生学の演習「生活習慣変容のための患者教育」にて10症例。2年継続して参加した。
(3)看護大学における教育セッション
* S看護大学, 基礎看護学の「フィジカル・アセスメントの演習」にて6症例。2年継続して参加した。
* T医科大学看護学部, 成人看護学の「フィジカルアセスメント・インタビュー演習」にて3症例。2年継続して参加した。
(4)教育施設におけるセッション
* 痴呆介護研究研修センターにおける「痴呆介護指導者養成プログラム」にて1症例。
* T病院看護部研修における「患者の訴えを聞こう」にて2症例。
以上, さまざまなセッションにSPとして参加してきたが, これらの教育担当者からは幸い高い評価を得ている。また, セッションに参加した学生は「本物の患者」と信じ込んでいたということも何度か経験しているが, このことはBarrows教授によるSPの定義を具現するものと思われる。
今後の課題と展望
当財団のSPボランティアは, 主に定年退職後の男性と主婦, 自由業の女性から成り立っている。60歳から70歳の方々が中心を占めており, 全体に高齢化の傾向にある。
時に30歳代のSPを要請された場合には, 年齢を変更していただくなどの困難があり, また, 今後の発展性を考慮して, もう少し若い年代のボランティアを導入する必要がある。しかし, これまで述べてきたようにSPボランティアの養成には多くの時間と労力を要するため, まだ働き盛りの若い世代の人たちにこの役割を求めることはなかなか難しいと思われる。
医学, 看護学, 医療介護の専門家教育にSPを用いた教育プログラムは, 知識, 技術, 態度を統合する教育として位置づけられ, 学習効果が高いことが明らかにされているが, SPを導入するためには, シナリオの作成からSPの教育まで相当の負担を覚悟しなければならない。また, セッションの成功には教育者としての力量が求められるなど教育者側を躊躇させるさまざまな要因が存在する。
当財団ではSPの教育を継続して行っているが, やはり実践の機会が頻繁に与えられないと成長に結びつかないし, ボランティアとしての達成感も得られない。
教育セッションをより高いものにするには, 教育担当者とSP, そしてSPコーディネータの三者が協力して作業することが必要であり, それによって初めて教育効果が高められる。わが国では, まだSPが教育・学習資源として十分に活用されていないが, 当財団としてはこのようなSPの養成方法やその効用を広く世の中に提示することで, 質の高い医学・医療の教育の発展に寄与するための活動を今後も続ける予定である。
まとめ
医学・医療教育に問題指向型教育システムであるPBLやOSCEが導入されるにつれて教育・学習資源としてのSPが必要とされてきているなか, 当財団ではその動向に着目し, 海外から講師を招聘してワークショップを開催, 広く啓発活動を行ってきた。SPを用いた学習の普及は依然低調ではあるが, この分野の教育改革は長い時間を要する。4年後に医師国家試験にOSCEが導入されることになり, にわかにSPの社会的需要が現実の問題となってきた。
当財団では「SPボランティア養成講座」を開講し, 活動を展開してきた。現在もなお, このようなカリキュラムを記述した文献が見当たらないことから, カリキュラムと活動の実際, SPの意義と養成の方法について概略を述べた。
今後, 医学・医療の教育によって優れたSPボランティアの養成が多方面で行われるようになり, 医学・医療教育の変革が大きく前進することを期待している。
*1 Trials at the Life Planning Center for Training and Supplying-Simulated Patients: the Current State and Perspective
*2 ライフ・プランニング・センター健康教育サービスセンター所長
*3 ライフ・プランニング・センター教育研究顧問
*4 ライフ・プランニング・センター理事長
*5 日本社会事業大学社会福祉研究科博士後期課程
『日本医事新報』(第4080号, 2002年7月6日発行)に掲載
文献
1)日本医学教育学会:医学教育マニュアル5, シミュレーションの応用, 篠原出版, 1974.
2)藤崎和彦:模擬患者によるコミュニケーション教育, Quality Nursing7, (7):4〜11, 2001.
3)Barrows HS, Abrahamson S: The programmed patients: A technique for appraising student performance in clinical neurology, J of Medical Education 39: 802〜805, 1954.
4)豊田久美子・任和子:模擬患者を利用した授業, Quality Nursing7(7):49〜53, 2001.
5)本田芳香・塚越フミエ:模擬患者導入による学習への有効性, 東京女子医科大学看護学部紀要4:33〜38, 2001.
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