私たちの財団は30年前, 1973年(昭和48年)に設立されました。設立の理念は, 従来の医学・医療を革新したいということでした。そういう観点から, 常にその分野では最先端の問題提起をつづけてきましたが, それでも設立以来今日まで, 医学・医療の目覚ましい発展がありました。ここでは, 30年前と現在とを見比べつつ, 健康というのは一体どういう状態を意味するのかということを, 私が91歳半ばを過ぎて改めて実感として持つに至りました考えを, みなさんにわかりやすくお話ししたいと思います。
■本当の健康と見かけの健康
いまここにお見せします次ページの図(図1)は, 30年前にこの財団が発足するときに私の頭で, 医療を富士山にたとえて描くとどういうようになるかということを「ヘルスケア−保健医療の山」という図にしたものです。ケアというのは, 医療, 看護, 介護などすべてを包括する言葉で, わかりやすくいえば“手当て”ということです。また保健というのは, 人間が健やかであるように保つということです。
富士山の姿で描きますと, いちばん頂上には危険で重症の病気があります。心筋梗塞や2003年前半に流行った悪性の肺炎(SARS)などがそれで, 慎重に医療を適用しないと死に至ってしまうというようなものです。こういう状態になってからでは治療をしてもどうしようもない場合が多いのです。
図1 ヘルス・ケア 健康医療の山
では, 健康にとって何が大切かといえば, 富士山の麓にあたるところで, 私たちがよい習慣を身につけることと, よい環境の中に住むということです。公害があったり, 水が汚染されているようなところではなく, また社会的に複雑な, そして精神的にストレスのあるというようなところもよくない環境といえましょう。環境には, 私たちがよくすることができないものと, よいものにつくることのできるものとがありますが, よいものにすることができる場合には, そういう環境をつくっていく。その上に本当の健康が築かれるのです。
ところで, みなさんは自分が健康だと思っていても, 人間ドックで検査をしますと, 肝臓障害があったりすることがあります。肝臓は沈黙の臓器といわれるだけあって, 肝機能が悪くてもいやな症状を自覚しないのがふつうです。毎日のように大量のお酒を飲んで肝臓が悪くなっているのに, 何とも自覚症はないということはよくあることです。自分では健康だと思っていて, また見かけ上もそのように見えていても, 検査をすると実際はそうでないことがあるのです。がんなどもそうです。胃がんで, 早期に発見されたというのでも, 大体発病から3年ぐらいはたっているのです。それでもその時点で対処すれば, 十分に完治するのです。そのように本当の健康ではなくても, 症状の出ない時期で, 当人は健康だと思っている状態であればこの富士山の麓に入るので, 定期的に健診を受けたり, あるいはちょっと具合が悪いときに受診する際など, ついでに全身の器官を検査することも有効でしょうが, “本当の健康”と“見かけの健康”があるということをみなさんには理解していただきたいと思います。
■健康状態は一人一人で違います
少しからだの具合が悪いと思っても, すぐに診療を受けるのではなく, 自分の家で手当てをして様子をみてもいい病気なのか, あるいはすぐに受診すべきなのかを見極められる知識を持つことも大切です。自分で血圧を測ったり, 簡単なセットで糖尿病の血糖検査をしたりすることもできるのですから, いちいち病院に行かなくてもいいかもしれません。そのうちに自分で心電図をとり, そのデータをファックスやインターネットで病院に送れるようになるでしょう。1969年にアポロが月飛行をしましたが, 月面を歩いている宇宙飛行士の心電図を地球上でとることができたのです。また, 25年も前のことですが, 日本財団の笹川良一会長が90歳を過ぎて外国にお出かけのときは, いつも携帯の心電計のセットを持って, アフリカから, あるいはヨーロッパから電話機の受話器にインターフェイスをつけて胸に当ててとった心電図を私の家に送ってこられました。このようにこれからは家でいろいろなことができる時代になっています。ところが, 財団設立時の30年前にはそうしたことはまだ実現していなかったために, とにかくすぐに病院に行かなければならないと思われていました。そこで, 私たちは, 健康についての正しい知識を教育し, タイミングのよい受診行動をとれるようにすることができるようにすることが大切だと考えたのです。
たとえば肺炎の場合などを考えてみましょう。老人は感染症にかかりやすいのですが, 平生の熱が37℃だと発熱しているといわれるのですが, 私は90歳を超えていますから, 朝起きたときなどは35.3℃とか, 35.5℃です。ですから, 平生が35.5℃の私が36.5℃になっていれば, 若い人の38℃くらいの熱に相当するわけですから, 明らかに有熱なのです。37℃以上を発熱とするという考え方は, 若い人を対象にした言い方であって, その人にとっての熱というのはみんな違うのです。体温表の37℃のところに赤線を引くのは間違いであって, 患者さんが入院したら, 「あなたの平生の熱はいくつですか?」と尋ねられて, 「35.8℃が平熱です」という人には, 35.8の目盛りのところに赤線を引いておけば, その人が36.8℃であれば明らかに発熱していることがわかるのです。そういう意味で, 以前の発熱の考え方と現在の考え方とはまったく変わってきているのです。「あなたの体重はどのくらいですか?」「生年月日を言って下さい」などと聞かれてすぐ答えられるように, 「あなたの平熱は?」と聞かれてもすぐに答えられるように, 初診のときにはっきりと言えるようにすべきなのです。一人一人の健康をしっかりと把握してもらうためには, 当人がそういうことをきちんと言わなければならない時代になっているのです。
ところがこの財団が発足した30年前は, とにかく具合が悪ければ医師のところに行けばいいと, 一方的に診察を受けていた時代でした。これからはそう簡単に医師のところに行かなくてもいいように, 自分でコントロールする時代になるのです。
そして, 富士山の中腹より上, かなり頂上に近い状態にある重い病人だけが入院することになります。健康保険料を支払っているのだから医者にかからないと損だというので, やたらに病院や医院に行く人がいます。それだから医師は1時間に20人や30人も診なければならなくなるのです。それでは医師は患者さんとゆっくり話もできません。会話がないのですから, すぐに血液検査, あるいはレントゲンを撮るというように指示されて, そのデータだけで病気が診断されることになってしまうのです。
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