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船舶バラスト水の管理
 
菊地武晃
 
社団法人 日本海難防止協会
 
1. はじめに
 海洋油汚染等については日時の経過とともに環境的に回復するが, 海洋生態系が破壊された場合には回復が極めて困難なこともあり, 外来水生生物の侵入・帰化による既存の海洋生態系の破壊・撹乱が, 地球規模の環境問題としてクローズアップされている.
 一例として, 古くから発生していた有害プランクトンが, 近年多発・広域化する傾向がみられ, 発展途上国を中心に世界各地で話題になっている. 原因としては, 魚介類養殖漁業振興による生産量拡大, 沿岸開発に伴う環境変化, 養殖魚介類の移植, 問題発生への関心の高まり, 地球規模の環境変化(エルニーニョ, 地球温暖化等)などが挙げられているが, 船舶のバラスト水中に内在する有害プランクトンが, バラスト水排出により排出水域に移動・定着することも大きな要因といわれている.
 バラスト水内には, バクテリア・ウィルスをはじめ, あらゆる生活期にある多種多様な水生生物がヒッチハイカーとして存在しており, バラスト水の漲排水による外来種の越境移動が原因と考えられている生態系撹乱や経済・健康面への被害事例が数多く報告されている.
 バラスト水と共に排出される水生生物は, 土着の天敵種がおらず, 塩分, 温度, 栄養塩濃度等の面で漲排水両域の環境が似通っている場合に排出水域で定着する可能性がある. 諸研究によれば, 放出された種のうち実際に新地域内に定着するものは通常3%未満とされているが, 一方で, 肉食魚ただ一匹の放出が, 放出地方の生態系に甚大な被害を与えることもあり得るとされている.
 国際法的背景としては, 1982年の国連海洋法条約及び生物の多様性に関する条約において, 生態系, 生息地又は種を脅かす外来種の導入を防止・軽減することが規定されている.
 1992年国連環境開発会議(地球サミット)におけるリオ宣言基本方針も, 同様のことを呼びかけており, 国際海事機関(IMO)に対し, バラスト水排出に関する適切な規則採択のための審議を要求している.
 また, 一昨年南アフリカのヨハネスブルグで開催された, 2002年の持続可能な開発に関する世界サミット(Rio+10)も, バラスト水内の侵略外来種を取扱う方策の開発を加速するため, あらゆるレベルでの措置を求めている.
 
2. バラスト水内の生物状況
2.1 バラスト水漲水域の海水中生物状況
 海水中の水生生物数は, 時期, 場所等により様々であるが, 想像以上に多い.
 一例として, 日本内湾の海水1リットル中の植物プランクトン細胞数10万(30〜50種), 動物プランクトン個体数100(10〜20種)という数値があり, バクテリアについては1億, ウィルスについては10億/100億の細胞数が分布するものと考えられている.
 同じ水域の海水についても, サイズ20μm以上の植物プランクトンの場合, 海水1リットル中, 少ない時で1万細胞, 赤潮時で1千万〜1億までのバリエーションがあり, 20μm未満の植物プランクトンを含めれば, このバリエーションはさらに大きくなる.
 コップ1杯のバラスト水も海洋汚染物質であり, 生態系に影響するというバラスト水問題先進国の言い分も否定し難い面がある.
2.2 バラスト水タンク内での生物の変化
 バラスト水漲水後のタンク内での水生生物の状況は, どのように変化するのであろうか.
 (社)日本船主協会による陸上実験結果によれば, 1週間の連続暗闇貯蔵で, 一部の例外を除き, 植物プランクトンについては, 光合成ができないため約96%が死滅し, 植物プランクトン等を食べて生きる動物プランクトンについても約82%が死滅する.
 一般的には, 100日間以上の暗闇貯蔵でほとんどの生物が死滅するといわれている.
 しかしながら, プランクトンの死骸を餌とするバクテリア・原生動物等はそれらの死骸の増加に伴って増殖することになる.
 一方で, 単細胞植物プランクトンの麻痺性貝毒プランクトン等は, 有性生殖してできた細胞が水中のプランクトン生活をやめてシストとなり, タンク底に沈降して沈殿物内で休眠してしまう.
 (社)日本海難防止協会の調査結果によれば, シストは通常植物プランクトンに比べ, 化学薬品に対し約30倍, オゾンに対し約20倍の耐性を持っている.
 この休眠期間は, 種によって異なるが, 多くの種は最短で数ヶ月, 長い場合は数十年といわれている. シストは, 水温や光量の変化を刺激として発芽し, また元のプランクトンに戻り増殖を始めるようになる. (図1参照)
 
図1 有害プランクトンの生活史
 
2.3 外来水生生物種の侵入事例
 外来水生種侵入の兆候が科学者により認識されたのは約100年前であり, 1903年の北海におけるアジア産植物性プランクトンの集団発生後のことであるが, 外来種侵入問題について詳細な再調査が開始されたのは1970年代である. 1976年には, バラスト水による病気移動の危険性が高いという結論の研究論文が発表されている.
 GESAMP(海洋汚染について科学的観点から助言する専門家グループ)報告によれば, 1979〜1993年の間に世界中で動・植物プランクトン, 底生動物等68種の非土着種侵入事例が発見されている.
 現在では, 豪州だけでも250種以上の非土着種侵入が確認されていることもあり, 潜在的事例ははるかに多いものと考えられている.
 
図2 外来種侵入の代表的10事例
 
 各国等による調査の進捗により, より多くの事例が明らかになっていくであろう.
 図2には, 図3のカニ類の幼生(数100μm〜数mm程度)のような, 船体付着及び船舶バラスト水により移送された外来種侵入の代表的10事例を記載している. 内容については以下とおりである.
 
図3 カニ類の幼生
 
2.3.1 コレラ菌:広範囲に分布⇒南米, メキシコ湾, 他の地域
・バラスト水に直接関連するコレラ流行の一例として, 1991年に, ペルーの3港で同時発生し, 南米諸国で猛威を振るい, 1994年までに, 百万人以上の患者が発生し, 1万人死亡
2.3.2 ミジンコの仲間:黒海, カスピ海⇒バルト海
・大繁殖して他の動物プランクトン類の生存を圧迫し
・魚網・トロール網の目詰まりを発生させ経済的に影響
2.3.3 モクズガニの仲間:北方アジア⇒西欧, バルト海, 北米西岸
・繁殖目的のため集団移動して, 河岸・堤防に穴を掘って潜伏し, 侵食及び沈泥の原因
・大繁殖の間の地元の魚・無脊椎動物種の捕食による, 地元生物種絶滅の原因
・漁業活動の妨害
2.3.4 赤潮プランクトン:様々な種の広範囲分布⇒新たな水域(いくつかの種)
・有害藻類異常繁殖により, 酸素欠乏及び毒素/分泌物放出による海洋生物の大規模殺滅
・悪臭発生による沿岸・観光/レクリェーションへの影響
・ある種のものについては, 摂取貝類が貝毒汚染し, 人間が汚染貝類を食べた場合の大病・死亡の原因
・漁場閉鎖の原因
2.3.5 丸ハゼ:黒海, アゾフ海, カスピ海⇒バルト海, 北米
・高い順応性・攻撃性を持ち, 急速に個体数増加(シーズン中複数回産卵し, 悪質水でも生存可能)
・商業上重要なものを含む土着魚類との食料・生息地の争奪戦
・土着魚類の卵・稚魚捕食
2.3.6 クシクラゲ:アメリカ大陸東岸⇒黒海, アゾフ海, カスピ海
・適切な条件下での繁殖急速(雌雄同体動物)
・動物プランクトンを過度に常食源とし, 動物プランクトン資源を枯渇させ, 食物連鎖・生態系を変更
・1990年代の黒海及びアゾフ海漁業の崩壊に関与し, 大規模な経済・社会的影響
・カスピ海においては, 現在でも同様の脅威存在
2.3.7 マヒトデ:北太平洋⇒豪州南部
・侵略水域の環境により急速に異常大量繁殖し, 商業的に高価なホタテ貝・カキ・ハマグリ類を捕食
2.3.8 ゼブラ貝:東欧(黒海沿岸淡水域)
⇒アイルランド・バルト海沿岸を含む西欧・北欧沿岸淡水域, 北米東岸淡水域の半分
・土着水生生物を駆逐し, 生息地・生態系・食物連鎖を変更
・塗装面への大量の付着により, 産業施設・船舶への問題発生
・水の取り入れパイプ, 人工水路及び用水路の閉鎖により, 1989〜2000年の間の米国単体の経済的損失は, 約7千5百〜1億USD
2.3.9 ワカメ:北アジア⇒南豪州, ニュージーランド, 米国西岸, 欧州, アルゼンチン
・海藻の特徴である胞子発散を通じた急速な分布・拡大により, 土着藻類・水生生物を駆逐し, 生育地・生態系・食物連鎖を変更
・生育地の競合・変更による商業上重要な他の海藻類への影響
2.3.10 ワタリガニの仲間:欧州大西洋岸⇒南豪州, 南アフリカ, 米国, 日本
・高順応性及び攻撃性を持ち, 硬殻で捕食されにくく, 侵略水域の土着カニ類を駆逐し
・広範囲の捕食生物を消費・枯渇し, 岩石の多い潮間帯区域の生態系変更
 
3. バラスト水移動量の実態
3.1 世界におけるバラスト移動量
 Globallastの報告によれば, 世界中で, 毎年約100〜120億トンのバラスト水が移動し, 毎日約3,000〜4,500種の動植物がバラスト水により輸送されているものと推定されている.
 しかしながら, 世界的バラスト水移動量については, 最新の貨物輸送量をベースとした推計値において, 世界の港湾では, 毎年, 国際貿易に関しては19億トン, 国内貿易に関しては12億トン, 計31億トンのバラスト水が漲水されているものと推定されている.
 豪州は, 自国へのバラスト水年間輸入(排出)量を1.5億トン(内:日本からのもの約50%)としており, オランダは, 自国について, 輸入量750万トン/年, 輸出(漲水)量7,000万トン/年輸出と推定している.
 
表1 日本のバラスト水輸出入状況
地域 輸出量(万トン/延隻数) 輸入量(万トン/延隻数)
東アジア(含:東ロシア) 4,100(13)/27,334(64) 950(57)/25,771(61)
東南アジア 6,600(21)/5,890(14) 270(16)/6,345(15)
米国・カナダ西岸 3,400(11)/3,673(9) 220(13)/3,650(9)
豪州 8,000(25)/2,356(5) 40(2)/2,279(5)
ペルシャ湾 7,800(25)/1,123(3) 20(1)/1,410(3)
その他 1,900(6)/2,553(6) 170(10)/3,127(7)
31,800(100%)/42,929(100%) 1,670(100%)/42,582(100%)
 
第18回IMO総会
1993年11月
外洋2,000m以上水深におけるバラスト水交換を推奨する“船舶のバラスト水・沈殿物排出による好ましくない生物・病原体侵入防止のためのガイドライン”に関する決議A. 774(18)採択
第20回IMO総会
1997年11月
決議A. 774(18)を廃止し, できる限り陸岸から離れた開放的外洋におけるバラスト水交換及び代替処理法の採用/併用を推奨する, 決議A. 868(20)“有害水生動物・病原体の移動を最小化する船舶バラスト水制御・管理のためのガイドライン”採択
MEPC 45
2000年10月
“新造船開発・研究時に考慮すべきバラスト水・沈殿物管理選択肢に関するMEPC/MSC回章案”作成
GloBallastワークショップ
2001年3月
処理対象生物(大きさ)に対する殺滅・除去・不活性化率(95%又は99.9999%)で意見一致に至らず, 両論併記
MEPC 46
2001年4月
処理基準については, IMOの定期的見直し条件での, 船外排出代表種族グループの[95%]以上処理, [100][50][10]μmサイズ別生物の[目標日]までの[約100%]処理, 両選択肢の組み合わせという3選択肢提案
MEPC 47
2002年3月
処理システムについての, 百分率基準, サイズ別基準, ゼロ基準, バラスト水交換以上性能基準等の14選択肢列記
MEPC 48
2002年10月
バラスト水交換区域離岸距離12/50/200海里案
短期間処理基準として, 一定生物群の[95%]以上処理, 又は[100]μm以上生物の検出不可能レベル, [100]μm未満サイズ動・植物プランクトン基準の2選択肢, また長期基準として[y]μm以上検出不可能レベル等の案作成
中間期作業部会 2003年3月 バラスト水条約案検討, バラスト水交換区域離岸200海里かつ水深[200]米以上を原則. 単一処理基準とし, 動・植物プランクトン・病原体の濃度基準仮置
[10]μmより大きな植物プランクトン:[200]細胞/1ml以下
[10]μmより大きな動物プランクトン:[25]個/1L以下
指標微生物の特定セット:一定の濃度以下
MEPC 49
2003年7月
バラスト水条約案の総体的最終化. 船舶バラスト水管理要件案(バラスト水交換/バラスト水排出基準)については表3に別掲
外交会議
2004年2月
バラスト水条約採択予定
 
3.2 日本におけるバラスト水輸出入量
 平成10/11年度に日本財団の助成事業として(社)日本海難防止協会がロイズデータに基づいて実施した“日本沿岸域船舶航行環境調査”の下に, 各船事情等を考慮した, わが国各港におけるバラスト水輸出入(漲/排水)状況のシミュレーション(1997年日本寄港500総トン以上の外航船)結果によれば, 年間約3億トン輸出し, 約1,700万トンを輸入しているものと推定される.
 資源輸入大国であるわが国が, 世界有数のバラスト水輸出大国である特徴が顕著に表れている.
 輸出入地域別のバラスト水漲排水量, 延隻数及びそれらの割合の推定値を示したものが表1である.
 これらの数値をバラスト水交換が実施可能とされる離岸距離200海里以上と以内に分けて整理してみると, 離岸距離200海里以上の海域が全く得られない航路を利用する日本/東アジア間を航行する船舶数が6割以上を占め, 離岸距離200海里以上の海域がほとんど得られない日本/東南アジア間を航行する船舶数を加えると, 約8割の日本寄港船舶が, 離岸距離200海里以上の海域でのバラスト水交換が不可能となる.







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