2002年10月号 正論
「武力攻撃事態対処法」の諸問題と今後の展開
拓殖大学教授●もりもと・さとし 森本 敏
備えなく憂いある事態
有事など国家の緊急事態に際して国家と国民の安全を確保することは国家の基本的な責務である。従って、国家の緊急事態に対する政府の取り組みかた、行使しうる権限及び国民の義務などの基本事項については本来、憲法に規定されていることが望ましい。しかし、日本国憲法にはそうした条文もなく、国家としての包括的な有事法制も未整備のままであり、それがわが国の危機管理政策を遅れたものにしてきた。しかし、現実世界は法制の不備を待ってくれるわけではなく戦後半世紀の間、わが国はいろいろな事態にみまわれ、その都度、法整備を積み重ねて事態をかろうじて切り抜けてきた。
言うまでもなく有事という事態はなってからでは遅いのであり、事前に法整備をすすめ国家の態勢を整えておくことが不可欠である。そうでないと結局、国家と国民を救うために超法規的措置を取らざるを得ないことになる。有事法制とはこうした超法規的な措置を取ることなく緊急時に対応できるようにするための法体系である。先の通常国会において有事法制の基本的な枠組みである武力事態対処法案と自衛隊法の一部改正案などが審議されたことは遅きに失したとはいえ、当然の法整備であり、是非とも法案成立を実現してほしかった。しかし、結局のところ衆議院において継続審議が採決されたにとどまり、今秋に予定される臨時国会以降に今後の審議を期待せざるを得ない状況である。
小泉総理は国会で繰り返して「備えあれば憂いなし」と言っていたが、備えもなく憂いのある状態が続いている。このところ朝鮮半島での動きは不安定感を増しており、いつこの不安定状況が顕在化するかもしれない。せいぜい、対処法くらいは成立してほしかったが、国会議員のなかにもまだ、この有事法制の内容が国民には十分理解できていないのでもう少し議論を積み重ねた方がよいという意見があったことも事実である。勿論、先の国会に提出された一連の法案は完壁なものとは言えない。
しかし、少なくても対処法案は今後の有事法制整備にとって重要な指針となるべきものであり、いくつかの点で斬新な着意が見うけられる。その点で官邸の法案整備に関する優先度の置き方や野党、特に、民主党の対応には失望させられた。民主党が真剣に法案修正に取り組んでおれば国会審議の行方は別の展開になったであろう。とはいえ、こうなったからには一連の法案を今後できるだけ完璧な形に近づける努力を行う必要がある。また、その時間も与えられている。本稿は先の国会に提出された有事法案のうち、主として武力攻撃対処法の意味とは何か、そのどこに問題点があり、どのように今後、修正すれば改善されるのかなどについて所論を展開したものである。
有事法制が提出された背景は小泉政権への高い支持率
そこで、まず、先の通常国会にどうして武力攻撃対処法を含む一連の有事法制案が提出されるに至ったかについて考察しておきたい。この背景理由は単純ではないが、まず、第一に日本を取り巻く客観情勢の中で従来から有事関連法の整備不足が指摘されてきたことである。勿論、これは「なぜ今か」という問いには答えていないが、しかし、むしろ国家として当然の有事関連法が「どうして今まで、整備されなかったのか」ということが問われるべきであろう。言うまでもなく冷戦が終焉して日本が直接、武力攻撃を受ける恐れは減ったといえるであろうが、北東アジアには朝鮮半島や中国・台湾関係など世界の中で唯一、冷戦期の負の遺産が残存している。日本が北東アジアの紛争事態にまき込まれる可能性はなくなっていない。
また、国際社会全体を見ると冷戦後の秩序構築が進まない中で、地域紛争が各地で頻発し、難民・不法移民、人権侵害、民族的迫害やテロが発生し、経済格差や貧困、伝染病や麻薬、国際犯罪、環境汚染が広がり、大量破壊兵器が拡散するなどの問題が顕著になり、日本も多くの問題に遭遇した。国際社会はこうしたいわゆる地球的規模の諸問題を解決しようとしてグローバルな国際的枠組みや統治機構を作り、国際協力を進めているが、規範や枠組み、体制が整備されていない状況が続くと事態が発生しても対応が遅れ、被害が拡大するという問題がおこる。
このことは国内社会でも同じことであり、国家にとって脅威やリスクは国家の内外から及ぶものであり、国家としてはその本来の機能を維持するために一貫した統治機構のもとで国家としての活動を行う必要がある。そのためには国家としてあらゆる緊急事態に対応するための国家体制と統治機構について基本的事項を定める法体系を整備しておくことが迫られる。先進国のほとんどはかかる法体系を整備しているか、あるいは、憲法上に非常事態における権限や立法措置が明記されている。これは国家としての基本的な統治機能であり、また、責務でもあり「備えあれば憂いなし」というのはこのことを言い表したものである。即ち、国家としての基本的機能である有事法制がいままで整備されていなかったので今般、その問題を解決しようとしたという理由である。
第二は、日本はかねてより有事法制についての研究を行ってきたところ、その結論が得られたので、このたびこれを法制化したいという政府の期待が出てきたことも理由の一つである。有事法制という問題はそもそも、来栖元統幕議長の超法規発言を契機に一九七七年(昭和五十二年)から防衛庁を中心に進められてきた有事法制研究から始まった問題である。この研究は二十年を超える努力の結果、その結論の大半は既に国会に報告されているが、これはあくまで研究結果に過ぎず、実際の法体系として立法化してこそ意味のあるものになる。これを実現しようとしたのが有事法制なのである。
その際、この研究結果をどのような法律の形にするかという問題があった。本来、我が国が有事に直面した場合に整備すべき法制を主体別に分類すれば、「国家としての基本的な対処要領に係る法制」「自衛隊が行動することに係る法制」「米軍が行動することに係る法制」及び「そのいずれでもないが主として国民の行動に係る法制」がある。このうち自衛隊の行動に関するものについては有事法制研究の中で第一分類、第二分類、第三分類として研究されてきた。
第一分類とは自衛隊法、防衛庁設置法など防衛庁所管の法令で未整備のもの、現行法令に規定があるが、これを補備しなければならないもの、現行規定の適用時期に問題があるもの、あるいは、現行法規に規定がなく新たな規定を追加しなければならないものなどである。例えば、有事に自衛隊の部隊・車両が私有地を緊急に通過しなければならないような事態が発生した場合にそのような法的根拠がないので自衛隊法に規定を追加する必要があるといった問題である。
第二分類とは防衛庁以外の各省庁所管の法令であり、自衛隊が有事に行動する際、関連する関係法令の内、部隊移動や資材輸送に関連する法令(道路法、火薬取締法)、土地使用や建築物に関連する法令(河川法、森林法、自然公園法、海岸法、建築基準法)、衛生・医療関連の法令(医療法、埋葬に関する法令)などであり、こうした法令の特別措置や手続きに関して現行自衛隊法の規定を修正したり追加規程を設ける形で法制化しようとしたものである。例えば、有事に自衛隊が道路を修理したり、公園を陣地に使用したりするのに必要な特例措置を規定することが含まれる。
また、第三分類とは第一、第二分類のいずれにも含まれないもので、従って、現行法令もなく所管官庁が従来から明確でないが内容は広範多岐にわたる法体系である。今回の法整備はこれらのうち、第一分類と第二分類の研究結果を自衛隊法の一部改正という形にして法案にしたものであるといえる。第三分類を法案として整備するには時間的余裕もなく、又、国内的な調整がすぐにはできそうもないので、今後の法整備の対象とした。
第三は、有事法制が日米防衛協力ガイドライン上の要請から導きだされるという要因をもっていることである。冷戦後に日米両国は日米同盟を再定義し、その結論を一九九六年四月に日米安全保障共同宣言という形で明らかにした際、日米同盟強化のための作業として日米防衛協力ガイドラインの見直しを決めた。こうしてできあがった新ガイドラインを実行するための法整備が必要となり、まず、日本周辺に発生する事態における日米協力のあり方を国内法の形で整備したものが一九九九年五月に成立した周辺事態法であった。
周辺事態法を先行させた理由はガイドライン決定当時の政権が自民・社会・さきがけの連立政権であったことや、当時の国際情勢が北朝鮮危機の直後であり、周辺事態への関心が強かったこと、及び有事法制の方が憲法との関係においてより困難が予想されたので後回しにしたという背景による。いずれにしても、まず周辺事態という外堀を埋めて、内堀である有事法制は後で取り掛かるという段取りにしたに過ぎない。従って、肝心の日本有事における日米協力のあり方につて法整備を進めることは日本の米国に対する義務でもあり、ガイドラインのための作業は有事法制が完了しないと終結しないのである。
第四は、これが最も重要な背景理由であるが、日本がこの一年ほどの間におかれた政治情勢に起因するものである。国を取り巻く内外の情勢を見ると、日本への直接侵略よりも不審船事件のように日本の領海や排他的経済水域への侵入事件といった緊急事態、あるいは、国内の大規模災害、テロなどへの対応を考慮せざるを得なくなっている。しかし、こうした緊急事態には既存の個別法で何とか対処できるが、有事に対処する包括的な法制は未整備のままである。そこで有事法制の研究結果のうち第一分類、第二分類を法案として国会に提出できる状態にあるので、この法整備を優先させて提出しようとして森政権下で準備を始めた。
しかし、それを立法化できると政府が考えたのは小泉政権に対する国民の異常に高い支持率であり、また、9・11テロ事件の発生やその後のテロ特別措置法の成立に見られるような国内変化、特に、国民の不安感など日本を取り巻く内外の情勢変化であった。とりわけ昨年末になりテロ特別措置法という従来の憲法解釈では考えられないような法案が多数支持で国会を通過したのを見て有事法制を国会に提出する好機が来たと政府が考えたのである。この法案へのモーメンタムが小泉政権への支持率低下と共に沈下し、継続審議になったのはこうした政治的な背景事情をよく物語っている。
武力攻撃事態対処法は災害対策基本法をモデル
先の国会に提出された有事法制関連法案とは「武力攻撃事態対処法案」「自衛隊法の一部改正案」「安全保障会議設置法の一部改正案」の三つである。このうち、「武力攻撃事態対処法案」は有事法制全体の基本を構成する法案なのでこれを中心に、どうしてこの法案が出てきたのか、この法案の性格は何かについて指摘しておきたい。
有事法制として当初、政府が提出しようとして念頭にあったのは前項で指摘したように有事法制研究結果のうち第一分類、第二分類という現行自衛隊法の一部改正案であった。しかし、これらの法案を国会に提出した場合、国家として有事に直面するとはどのような事態なのか。その場合に国家、政府、国民はどのような要領で対応し、相互にどのような権限と義務を有することになるのか、また、その中で自衛隊はどのような活動をするのか、といった国家としての基本的な事項が分からないと、自衛隊法の一部改正案を審議する前提となる趣旨や条件が不分明であるという問題が生じてくる。
そこで有事に関して国家として対応する包括的な方針や要領を示した法案を提出するという必要が生じてきたのである。こうしてできたのが武力攻撃事態対処法案である。その際、この法案の中に有事の定義と共に有事に際しての国家の基本的な対応方針と要領及び、今後の有事法制整備について方針と枠組みを示すこととした。従って、対処法案には(1)有事に対する基本的な要領や方針と、(2)今後の法整備に関するプログラムの概要が示されている。しかも、この有事に関する国家の基本的な対応要領や方針を災害対策基本法をモデルにして構成しようとしたところがこの法案の特徴である。
そこでこの対処法案を起案する時に、法案の枠組みを決める必要があった。この枠組みは出来上がった法案を見れば明らかであるが、第一にこの法案の対象と枠組みをどう規定するかという問題である。即ち、「有事」の定義を「武力攻撃事態」に限定するとして、それをどのように表現し、また、武力攻撃以外のテロ、災害、などの事態に対する対応をどう位置付けるかという問題である。結果としては、武力攻撃事態の定義に、それが予測される事態を含むこととし、こうした武力攻撃事態に対応する法整備を中心に優先的に進めるものとして、他方において武力攻撃以外の事態に対する法整備は当面のところ行わないということにしたのである。
第二が総理大臣の権限強化をどの程度にするか、その権限行使の手段と枠組みをどのようにして作るかという問題である。議院内閣制のもとでの総理大臣の権限は決して強くない。しかし、有事にそれでは国家として一貫性のある活動はできない。そこで有事に際して政府に対策本部を設置し、対処基本方針を閣議決定してこれに従い、総理大臣が対策本部長として総合調整の機能を発揮して国家を統制する枠組みを作ったのである。これは災害対策基本法をモデルにしたものであるから当然の結果であったとは言え、画期的なことであった。特に、総理大臣の権限を強化し、総理大臣が対策本部を通じて地方公共団体の長に直接、指示できるようにしたことは注目される。
第三が政府と国会の関係、特に、国会の関与についてである。この点に関しては対処基本方針を閣議決定した場合、直ちに国会承認を求めるが自衛隊の防衛出動については原則として事前承認とし、特に、緊急の必要があり事前に国会の承認を得るいとまがない場合に限り事後承認とすることとした。その際、従来の規定とは異なり防衛出動待機命令についても国会の承認を得ることとした点は国会の関与を強化したものと理解されている。
第四に有事に関する対応についての国と地方公共団体の権限関係である。この規定を決めた背景は第二次大戦後の現代戦においては兵員より一般市民の犠牲者がはるかに多いという過去の教訓を基にしつつも、約二十四万人しかいない自衛隊員が一億二千万人を超える国民の安全をすべて確保する任務には従事できないという事情があり、ある程度、地方公共団体にその責任を果たさせようとする方式をつくりだしたものである。ただし、そのための方式は災害対策基本法とは全く逆の発想であり、災害の場合にはまず、地方公共団体が一義的に対応し、それでも対応できない場合には国・政府がこれに代わって対応する方式になっているのに対して、有事には国・政府が基本方針や指示を出すものの原則として地方公共団体が第一義的に国民の安全を保護するという役割分担にしたのである。
第五が私権の制限をどの程度、この法案に書き込むかという選択を行ったことである。結果として「日本国憲法の保障する国民の自由と権利が尊重されなければならず、これに制限が加えられる場合は、その制限は武力攻撃事態に対処するため必要最小限のものであり、公正かつ、適正な手続きの下に行わなければならない」としたが、他方、有事に際して国民の私権が制限されることやむなしという表現にはならなかったこと、及び、公共の福祉のために私権が制限されるという条件も明記できなかったことは明らかである。
第六が米軍との関係については当初、法案の中にその規定が含まれるはずであったが、最終段階において将来における法整備の規定に含まれた形になった。有事に際して米軍が日米安保条約に基づき行動する場合に、これに係る法制とは、(1)米軍が我が国の領域内で自由かつ円滑に活動することを確保すると共に、(2)米軍が自由に活動することに伴って日本国民の権利、自由を確保するためには、この双方をどのように調和させるかという点を念頭に置いた法体系である。
軍隊とは本来、任務遂行のためには如何なる行動をもとることが許され、許されない行動とその内容は国際法によって規定されている。しかし、先の大戦後に軍隊が同盟国の領域内に平時から駐留するという事態が発生し、駐留する国家の国民との権利・義務関係を規定する必要が生じてきた。その規定がNATO地位協定、日米地位協定などの地位協定である。この条約体系は通常は、平時の場合に適用される場合が多く、有事には一般国際法が優先されるのであり、そのためにホスト国である例えば、日本が有事の場合に米軍が自由な行動を取り、そのために米軍に法律上の適用除外を認めることと、それによって被害を受ける場合もあり得るホスト国の国民の権利・義務関係をどのように国内法の中で調和させるかという問題が生じる。これを有効なものにするためには取り決めを締結しておくことが望ましい。
他方、日本が有事の際に日米防衛協力を行うに必要な法体系として有事防衛協力ガイドラインと有事ACSA(有事における物品役務相互融通協定)を整備しておく必要がある。これには周辺事態法の日本有事版となる国内法令と日米関係で終結される協力協定及び協定の実施を確保するに必要な国内法令が含まれる。その多くは、日米間における施設・区域、財産・土地、資産・資源の融通や広範な後方支援の内容になるであろう。この法令にはNATOなどにいくつかのモデルがあり、こうした法令を整備するためにはまず、日米交渉による取り決めが必要となる。この法体系は以上の諸点を考慮して起案されている。
さて、このようにして起案された対処法案の枠組みについて、先の国会において幾つかの問題が議論になったのでその点に限定して考えてみたい。
まず、この法案にある武力攻撃事態とは何か。なぜ、有事という概念をこのような定義に限定したのか。周辺事態とどのような関係になっているのかについてである。この問いに対する答えも簡単ではないが、法案上はこの法案が対象とする武力攻撃事態とは「武力攻撃(武力攻撃の恐れのある場合を含む)が発生した事態及び事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」としている。そこで、武力攻撃の「恐れのある場合」と「予測されるに至った事態」とはどのように違うかという疑問が生じる。武力攻撃の「恐れのある場合」とは武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していることが客観情勢から判断されるような事態をいうのであって、これを武力攻撃が発生した事態に準じたものと見なして対応することについては一般国際法でも認められる基準である。例えば、相手国が攻撃するという意図を明らかにして、その上で兵力・軍備を集結・配備し、こちらに向けて発進しようとする明確な兆候がある場合のことである。
他方、武力攻撃が「予測されるに至った事態」とは「武力攻撃(武力攻撃の恐れのある場合を含む)が発生した事態」には至っていないが、いずれ武力攻撃が行われると予測されるような事態が起こっている客観的状況をいうのであり、武力攻撃の恐れがある場合よりも前段階にある。例えば、相手が国際関係の中でこちらに敵対する意図をもって行動し、武力攻撃の準備を行い、兵員を増員し、陣地を構築するなどの兆候がある場合、こちらとしては、いずれ武力攻撃が発生する事態になるかもしれないので所要の準備を行う必要が生じたような状況を言う。
即ち、対処法案に「予測されるに至った事態」を含めた理由は客観情勢を判断して予備自衛官の招集など所要の準備を事前に行う必要があるためであり、野党の一部が指摘するような自衛隊の防衛出動時期を拡大するためのものではないことは法案の中身を見れば明らかである。
問題はこのような定義をしたために武力攻撃事態対処法と周辺事態法にある周辺事態とはどのような関係にあるのか、米軍への支援をどうするかという疑問が生じてきたことにある。例えば、朝鮮半島において周辺事態が発生したと判断する。この場合、それが日本への武力攻撃事態になるかどうかはその時の状況を客観的に判断せざるを得ないが、武力攻撃の恐れがある場合、あるいは、予測される事態が同時に起こることはあり得る。しかし、そのことに問題がある訳ではなく、双方の事態に適切に対応すれば良いだけの話である。やっかいなことは周辺事態下で日本側が米軍への後方支援を領域外で行っている際に、その米軍が攻撃を受けるという事態が発生する場合の日本側の対応である。この場合、日本側は周辺事態法上の建前からは現場から離脱せざるを得ないということになるが、他方、日本が同時に武力攻撃事態下にあり米軍から支援を受けているのにそのような対応があり得るのかという疑問が生じてくるであろう。
武力攻撃事態対処法案はいくつかの修正が必要
先の通常国会に提出された武力攻撃事態対処法は、有事に際しての国家の基本事項と今後二年にわたり整備されるべき有事法制関連法案の基本的な枠組みを定めている。しかし、この法案はできるだけ現実に生起する事態や対応、並びに国内体制の実態に即応した法体系になっていることが望ましく、かかる観点から現行法案の中で、特に、今後、修正と検討を有する諸点は以下のとおりである。
その第一はこの対処法による国家の態勢についてである。わが国の国内法は自衛隊関連法を除けばほとんどが平時法であり、有事を想定して整備されてはいない。しかし、対処法は有事に際して国家の組織・機構や国民全てを包括的な法体系に統一・運用しようとするものである。その意味でこの対処法は国家・国民の総力を一貫性ある方針に基づき統括するわが国として初めての法体系であり、そのために総理大臣の権限が強化されることになっている。それは良いとしても総理大臣は対策本部の長、行政府の長、閣議の議長、安全保障会議の議長、自衛隊の最高指揮官という身分・役割を一人でもっており、それが全体としてどのように機能するのか必ずしも明確でない。
また、その総理大臣の権限を行使する手段としての対策本部や安保会議が大きな権能を発揮すること、特に、安保会議という国家機構が会議組織ではなく執行機関としての権能を有することになることが明らかであるとしても、現実にはいかなる機能と役割を果たすのかについても分かり難い。
また、本来、有事に際しての国家の対応方針は平時から策定されているべきものであり、有事になってから対処基本方針を作って閣議にかけるなどという措置を取る時間的余裕があるはずがない。従って、安全保障会議設置法の一部改正案にある専門委員会の機能をもっと明確にして、この委員会を中心に情勢分析や対処基本方針案の策定、変更が常時行われているべきものである。有事になればこの対処基本方針に基づいて速やかに指示を出すだけで精一杯であろう。このためにはこの専門委員会が定期的に情勢分析や対処方針案の大綱を国会に報告する制度を確立しておくことが望まれる。
第二に武力攻撃事態に「武力攻撃が予測されるに至った事態」を含めたことにより、対処要領に法的・政治的・運用上の諸問題が生起することとなり、特に、周辺事態と武力攻撃事態が併存する場合に武力攻撃発生後に周辺事態法に基づく領域外における対米支援上の問題が出るので、この点は改善を要する。また、周辺事態法に基づいて領域外で日本側が支援している対象である米軍が攻撃を受けた場合の日本の対応措置についても検討を要することは既に指摘した通りである。
更に、周辺事態と武力攻撃事態が併存する場合に、自衛隊は単一の指揮権下で部隊が動くが周辺事態法と武力攻撃事態法は手続きが異なり、後者には対処本部が設置されているなど対処上の指揮権も混乱する可能性がある。こうした点に鑑み、自衛隊の対応要領と指揮系統については運用上の混乱が生じないように一貫性のある指揮・運用・統制を行う必要がある。対策本部と防衛庁に設置される指揮所の相関関係や指揮通信網の設置についても原則的事項を明記しておくべきである。
また、その際、対策本部に米国側から連絡調整官を派遣させて日米間の調整を緊密に行う必要があろう。国連との連絡を緊密にする必要が生じる場合もあり、その場合には日本側から国連本部に連絡将校団を派遣できるようしておく必要もある。「国連軍地位協定」を国連安保理決議に基づく多国籍軍・国連軍に適用できるように修正・改定する手続きが取られることも望ましい。
第三に、武力攻撃事態の認定とそれに伴う防衛出動は閣議の決定及び国会の承認を必要とするが、対処基本方針と防衛出動を命ぜられた自衛隊の撤収については立法府たる国会が閣議の決定とは別に不承認、或いは撤収について決定を行う権限を留保しておく必要がある。自衛隊を武力攻撃事態に出動させることについて国会が閣議の決定と異なる判断を行うということは議会制民主主義制度のもとでは余程のことである。しかし、総理大臣と安全保障会議、閣議が常に正しい判断を行うという前提に立って自衛隊の行動を決めるべきではなく国会がこれを停止・中止できるためのあらゆる手段を留保しておくことはシビリアン・コントロールを確保するためにも重要である。
また、この法案は有事に際して日本の安全保障を防衛力と日米安保体制によって確保し対応することを前提としているが、現実にはそのような場合に国連安保理決議が採択されて日本周辺あるいは日本の領域内で国連活動あるいは多国籍軍型活動が行われる可能性が高い。この場合には自衛隊がこのような活動に迅速に参加・協力するといった対応を迫られる。この法案には国連との関係については日本の取った措置について国連に報告することについてしか規定していないが、むしろ、自衛隊が国連安保理決議に基づく多国籍軍などの国際活動に如何なる取り組みを行うべきかについて明確な方針を示すことが必要であろう。
第四に、この対処法は有事に自衛隊が国防に専念し国民の安全確保にあたる余裕がないという前提にたって国民の生命・財産の保護を県知事などの地方公共団体の首長にゆだねている。即ち、国家が国家防衛、知事が民間防衛を担う制度である。これは現実の事態を想定すれば適切な措置であろう。しかし、実際には県知事に有事に際して国民の生命・財産を守るに必要な知識・経験・法制・資源・機構・要員・財政・情報などほとんど何も備わっていない。この対処法によって県知事にそのような役割・責任を持たせるのであれば知事などの首長にも必要な権限を与え、県庁に所要の措置をしなければ知事は責任を果たせない。対処法に規定したからといって機能するものではない。従って、地方公共団体の長が有する権限と責任に関して明確な法体系を確立する必要があろう。
また、武力攻撃事態に際して地方公共団体の長が住民の生命、身体及び財産の保護に関して国の基本方針に基づく措置を行うことになっているが、地方公共団体の長がこれに従わない場合、国が代執行することになっている。しかし、地方の事情をよく理解していない国による代執行は十分に機能するとは思われない。県知事等がこの法律に基づく機能と役割を十分に果たしうるような法体系と制度を確立し、その責任を例外なく執行するようにしておく必要がある。また、このような国民の生命・財産を地方公共団体が中心となって守るためにはそのための民間防衛組織を確立できるよう検討しておく必要があろう。この民間防衛組織を全国組織にすることができれば、米国のFEMA(連邦緊急事態管理局)のような機能を果たすことができるであろう。
第五に武力攻撃事態における私権の制限についてである。有事に国民の権利・自由を一部であれ制限せざるを得ないのは国家全体のためであると共に国民個人の安全のためでもある。憲法に自衛権と自衛力の保持が明記されていれば公共の福祉、利益という概念に国家の安全・防衛が含まれ、従って、私権制限については何の問題も生じない。しかるに憲法はそのようになっていないので私権制限は必要最小限度で合理的な範囲の中で規定されなければならない。この問題は従って、憲法の問題になるが、しかし、現憲法下で有事に際して私権が制限できないということではない。どこまで国家全体と国民の安全のために私権を制限すべきかを十分慎重に検討すべきであるが、有事法制は自衛権と自衛力の保持及び緊急事態における国家の権限・国民の義務が憲法に規定されていないという制約の中で有事に関する国家の枠組みを整備しようとしているのである。
対処法は武力攻撃事態に際して国民の自由と権利が尊重されなげればならないこと及びこれを制限する場合、必要最小限のものであり、公正且つ適正な手続きのもとに行われなければならないことを規定しているが、武力攻撃事態に際して公共の福祉のために国民の自由と権利を制限せざるを得ないことは明白であり、従って、武力攻撃事態に際し必要があれば国民の安全を確保するために自由と権利が制限されることがあり得る旨を明記すべきである。また、それだけでなく有事に際して国民が果たすべき基本的な義務―国家が国民の安全確保のためにとる措置について協力することやそのための訓練に積極的に参加することなどを含む―についても対処法の中に明記すべきであろう。
第六に、この対処法に基づいて今後、整備される法制の中で最も注意をして進めるべきは米軍との関係である。一般国際法上、軍隊は接受国の国内法の規制を受けないので、従って米軍の活動を有事法制で規制できない。しかし、それでは国民の自由や権利を守れない。米軍による活動の自由をどのように確保し、米軍の活動に協力するかについて日米間の取り決めを定める必要がある。その際、原則として有事に国内法の規制を受けない米軍と国内法の規制を受ける自衛隊が有効に日米防衛協力を行う難しさを考慮する必要がある。
いずれにしても武力攻撃事態における米軍の行動の自由を確保するための枠組みと米軍の行動を支援・協力するための枠組みを整備しておくことが不可欠である。前者については(1)有事における日米防衛協力取り決め、後者については(2)有事ACSAを日米間で締結することが必要であり、これに基づき国内法を整備しておく必要がある。その際、一般国際法において接受国の国内法に規制を受けない米軍と国内法によって規制される自衛隊との行動の自由が適度にバランスの取れたものでなければならず、必要に応じて(3)有事の際の日米地位協定の運用に関する細部取り決めを規定しておく必要があろう。
第七に、この対処法に基づいて整備されるべき個別法についてである。当面のところ国民保護法が最重要の課題であることは当然であるが、この法体系は憲法との関係もあり相当に慎重に整備すべきである。また、法体系に伴う実効性のある国内体制をどのようにして整備するかという問題も含まれる。他方、国内に目を転じてみると、日本は湾岸危機以降、ペルー大使公邸人質事件、北朝鮮のミサイル発射、大規模地震災害、火山爆発、地下鉄サリン事件、北朝鮮の不審船事件、そして、テロ事件と各種の緊急事態や事件に遭遇してきた。その都度、国家の危機管理上の不備が指摘されては法体系を整備して切り抜けて来たが、抜本的な対策は依然として未整備のままである。
また、周辺の安全保障環境には周辺事態法ができただけである。テロや大規模災害などの国家緊急事態に関する基本的な対応については対処法を基本として改めて、関係法体系を見直してできれば包括的な法体系にして整備しなおすことも検討すべきである。安全保障基本法のような体系にすることが望ましいがそれが政治的に不可能であるというのであれば、緊急事態に限定した包括法を制定することを検討すべきであろう。
今後の取り組みかた
有事法制という言葉は有事に関する法体系の総称であり、有事法制という法律があるわけではない。しかし、もし有事に関する基本法があるとすればそれは今回提出されている武力攻撃対処法であり、有事法の全体像はこの対処法が成立した後に、この法律に基づき具体的な立法措置が進められる過程を通じて明らかにされるべきものである。即ち、対処法に基づいて整備される個々の個別法が有事法制全体の性格を決めていくのであろう。そのためには対処法ができるだけ適切な形になっていることが望ましく、次期臨時国会開会までに、対処法の基本的な問題を見直して修正すると共に国民保護法などの個別法を整備する準備を行う必要があろう。また、日米間で有事に関する協力協定を交渉することも必要であろう。ジュネーブ四条約の履行に必要な国内法を整備することも課題である。
より根本的な問題は有事、緊急事態、非常事態などの概念を整理して全ての法体系が国家の危機管理に機能するかどうか、国家と地方の機構がどのような作用をするかについて見直す必要があることである。実際に国家が有事になってから急に、編成した対策本部が有効に機能しないというのでは国家も国民も救われない。平常時からよくシミュレーションを行って練度を高める配慮が重要である。法案成立後にこの法案に基づく国と地方の総合演習を行ってみると問題点が明らかになるであろう。
いずれは国民を含めた総合訓練が必要となる。しかし、それは国民保護法に細部を規定すれば良い話である。まずは国家として速やかに取り組むべき重要問題を整理して最優先に取り組むことが求められているのである。そして、こうした一連の有事法制を国民にとって分かり易いものにする努力を行う必要がある。国民の理解と支持がない法案は結局のところ、国民の中に定着しないし機能しないのである。そのことを銘記すべきである。
◇森本敏(もりもと さとし)
1941年生まれ。
防衛大学校卒業。
外務省・安全保障政策室長、野村総合研究所主任研究員を経て、現在、拓殖大学教授。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
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