2003年7月号 Securitarian
日本を忘れた日本人
集団的自衛権と拒否作戦能力
軍事アナリスト志方俊之
ぶしつけな質問
ホノルルにあるアジア太平洋戦略研究センター(APCSS)を訪れると、アジアにはこんな多くの国があったのかと改めて驚かされる。正面ホールには四十五本の関係国の色とりどりの国旗が飾られている。国名を聞けば分かるが、国旗を見てその国名を全て言い当てることは至難の業だ。
昼間の会議では、各国の将校がそれぞれのユニフォームを着て名札を胸につけているから、どこの国から来ているのかは分かるが、夕方のパーティーになると全員がアロハシャツを着ているから、グラス片手に話をするときには、まず胸の名札に小さく書いてある国名を覗き込まなければならない。
そうでもしないと、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマーから来ている将校を間違いなく言い当てることは難しい。逆に、彼からすれば日本人と韓国人と中国人を一目で言い当てることは難しいのだろう。
お互いがどの国の将校か分かれば、「ところで、お国の人口はどのくらいでしたかね」などと、とりとめもないことから会話を始める。そんなとき、相手は日本のことをかなり詳しく知っているのに、当方は相手の国のことをそれほど知らないことに気付き、先ず反省させられる。
話が弾むうち、軍事力の規模や基本としているその国の軍事戦略など、互いに関心のある硬い話題に発展するのだ。もつと突っ込み、「お国の仮想敵国は一体どこなんですか」などと聞きたくなるが、これはぶしつけ過ぎるとグッと堪えて、「ところで、お国はどんな国を目指して発展しようとしているのですか」という質問に切り変える。
「そうですね、やはり英国ですかねえ」と答える者もいれば、「お世辞じゃなくて、日本ですよ」などと嬉しい答えも帰ってくる。アジア諸国の中には、まだ「ルック・イースト」という感情が残っているのだろうか。
目標とする国家像
わが国の歴史を振り返ると、大きい国家改造を前にして、いつも国家改造を迫る外的な要因と、目標として目指す国があった。例えば「大化の改新」がそうだ。その前後、海の向こうの中国大陸に興隆していた大帝国の「隋」や「唐」の力は、朝鮮半島に及んで、国家興亡の大変化が起きていた。わが国はこれを大きい圧力として感じとっていた。古墳時代の「黒船」は、朝鮮半島まで迫って来たのだ。わが国は、十七条憲法を制定するなど国家として基本となる形態を作ろうと、遣隋使や遣唐使は大陸の文物を持ち帰り国家改造の糧にした。そのうちでも、かの国の律令制度を導入することが最大の眼目だった。
黒船到来によって幕を開いた「明治維新」のとき、わが国は西ヨーロッパに花開いていたイギリスやフランスやドイツを、わが国が発展して到達すべき目標の国とした。大東亜戦争に負けたわが国の国家改造は占領軍によってなされた。戦艦ミズーリこそ昭和の「黒船」だったと言える。わが国が目指した国家像は、民主国家であり経済的には豊かなアメリカそのものであった。追いつけ追い越せ、という奇跡の戦後復興は、こうして始まった。
いま、我々が挑戦している平成の国家改造は、何をどう作り変えるのか。奇跡の戦後復興の原動力となった政治、官僚、産業、外交の各システムがもはや疲労して、システムを動かす方程式は変数が適用範囲をとっくに超えてしまっている。
廃墟から、なり振り構わず高度成長を推進するためのシステムが、すでに成長を遂げて世界第二位の経済力を持つようになった、今のわが国で有効に機能する筈はないのに、システムを変えることを「先延ばし」し、そのツケが一挙に吹き出てきた。
やっといま日本人の多くが、このままでは国際社会の政治、経済、外交、軍事の環境変化に対応できないと気付き始めた。平成の「黒船」は、外からやってきたのではなく、わが国の国民の内なる心の海からやって来たのだ。では、どこを目指して航海に出るのか、海図に目的地を描くのは今の日本人だ。
わが国が目指すべき国は米国なのか。いっそのこと米国の第五十一州になってしまえば、為替損益の問題もなくなる、語学のバリアーもなくなる、米軍基地の問題もなくなる、憲法問題もなくなる、良いことづくめではないか。今や、教室にそんなことを言う学生すら出てくる始末だ。これまで半世紀近くの教育は、日本を忘れたDNAを持った日本人を増殖させるのものだった。
いや、米国追随はよくない。では目指す国は、イギリスやフランスなどの西欧諸国なのか、スウェーデンやフィンランドなどの北欧諸国なのか。それとも、ロシア、中国、インドなのか、そうではあるまい。いま、我々に必要なものは、どんな日本であることを目指すのか、新しい時代に追求すべき「日本の国家像」を、自らの知恵で描かなければならない。もう「黒船」は来ない、手本とする国が無い時代となったのだ。
変わりつつある外交と軍事の座標軸
つまり、国家の外交と軍事の座標軸を再構築する時が来たのである。大量破壊兵器の拡散、国際テロ、精密誘導兵器、これら三つが結びついて、外交と軍事の座標軸を変えてしまった。ちょっとした工業基盤がある国なら、化学兵器や生物兵器などの大量破壊兵器を作ることができる。テロ・グループがこれを使えば、同時多発テロより一桁も二桁も多くの犠牲者がでる。しかも、「対話による外交交渉」や「軍事力による抑止」が効かないのだ。
対応策としても、テロ・グループの第一撃があってから反撃するといった「第二撃主義」だけでなく、テロ・グループとそれを育む国家または集団を「先制攻撃」することも、有力な選択肢として浮上してきた。
しかし、先制攻撃を行うことを一国だけで正当化することは難しい。また、平和維持活動(PKO)くらいなら国連安保理も機能するが、大量破壊兵器と国際テロが結びついた時代には、一九四五年製の安保理だけでは対応できない。結局、安保理が機能しないときは、国益を同じくする国々が有志連合を組んで行動することも有力な選択肢となった。さらに、精密誘導兵器の登場によって、大量殺戮を伴わない力の行使が可能となり、今回のイラク戦争のように、力に訴えて国際問題を解決することの「敷居」は、かえって低くなる危険な傾向さえ出てきた。
いま、わが国も危険と隣り合わせの状態だ。隣国が、政治・経済・外交で行き詰まり、自滅よりはと大量破壊兵器を使ってわが国を恫喝したり、絶望的に大規模テロに撃って出る可能性を排除できない。「今そこにある脅威」を前にして、わが国は「座して死を待つ」のか。抑止が効いた冷戦時代の「専守防衛」の論理がこれからも通用するのか。
一国だけで軍事力を行使する時代ではないのだから、集団的自衛権の行使に踏み切ることも考えなければならない。また、日米安保体制や国連があるからと、自分の国の命運を全て米国や国連に委ねるわけにも行かない。わが国も、最低限必要な独自の「拒否作戦能力」を持つ必要があるのではないか。答えを出すのは他でもないわが国の「国民」だ。
志方俊之(しかた としゆき)
1936年生まれ。
防衛大学校卒業。京都大学大学院修了。工学博士。
陸上自衛隊で陸上幕僚監部人事部長、第二師団長、北部方面総監を歴任。現在、帝京大学教授。
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