2000年8月号 正論
「集団的自衛権」政府解釈への徹底批判
拓殖大学海外事情研究所教授●させ・まさもり
佐瀬昌盛
以下に掲げるのは、今年三月九日に防衛大学校で退官記念講演として話したものの原稿である。与えられた時間の制約から、原稿はかなり簡潔に草されなければならなかったが、耳だけに頼る聴衆に対しては理屈っぽい内容を正確に伝えたいと思って殊更にゆっくりと話したので、簡潔だったはずの草稿のあちこちを省略せざるを得なかった。だから、ここに収録されるものが、当日に私の音声となって流れたところとは若干違うのは当然である。しかし何個所かの言い回しはとも角、論旨には変更はない。
私は国際関係学科の教授として防大に二十六年在籍した。私が専門とした学問の性格上、現実の国際、国内の政治に目を閉ざすことは許されず、加えて議論好きでもあるので防大外でのさまざまな論争にも少なからずかかわってきた。その結果、世間一般の大学にいたのではおそらく経験することもなかったような社会の反応にもたびたび接するめぐり合わせとなった。その一端を、私は四月二十六日付の産経新聞「正論」欄で披露しておいた。その末尾近くで触れておいたが、私は世間での論争の場で展開した自説を防大学生にぶっつけたことはなかった。いやむしろ、そうすることを私は自分に禁じた。平成十一年度の教室での教育スケジュールがすべて終ったあとの「退官記念講演」で私は自分にこの禁を解いた。分かりやすく言えば「講演」は「講義」ではなく、その内容を学生がどの程度に理解しようとしまいと、成績評定の対象とはならないからである。
「退官記念講演」では集団的自衛権の問題を採り上げようと、私は早くから心に決めていた。理由は二つある。第一には過去十年ほどの間、この問題を集中的に勉強してきたうえ、五年ほど前から世間に向けて自分の考えを幾度も発表してきたこと。第二には、私の参加した他の論争対象がいずれも決着を見たり小康状態にあったりであるのとは異なり、集団的自衛権の問題はいままさに「熱い季節」を迎えようとしているので、さほどの背景説明をしなくても学生が馴染めるだろうと思えたこと。
講演は分かりやすくしたつもりだが、理屈っぽい内容であることは間違いないので、理解を援ける材料として、集団的自衛権に関する政府見解を述べた二つの文書と一九五一年締結の日米安保条約の全文とを添えた。ここではその政府見解開陳二文書と旧安保条約前文――末尾の一文のみ省略――とを添える。必要に応じて、随時それらを参照されたい。
なお、前述のように四月二十六日付「正論」欄で集団的自衛権問題を最終記念講演の題目としたことに触れたところ、その内容を知りたいとの声が多数、私のもとに届いた。そのために本誌からの誌面提供を受けて、私見を発表することになった。ただし、ここでも紙幅に制限があるので今夏を使って集団的自衛権に関する一書を著すつもりでいることを申し添える。
国連憲章と戦後日本の二条約
集団的自衛権という国家の権利は、一九四五年六月に署名された国際連合憲章の第七章・第五一条において明定されました。そこには、こうあります。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」。ここにある「個別的又は集団的自衛の固有の権利」という部分の原語(英語)表現は(the inherent right of individual or collective self-defense)であり、「固有の」に当たる「インヒアレント」とは「生まれつき備わっている」という意味の言葉であります。
日本は一九五二年六月二十二日に国連加盟を申請するに当り、同年六月九日にこの国連憲章をなんらの留保もなしに国会で承認いたしました。冷戦の影響でわが国の国連加盟の実現は一九五六年十二月までずれ込んでしまいましたが、国連加盟を果たして以降、国連憲章のすべての規定を、従って集団的自衛権にかかわる第五一条規定をも受け入れてきたことは、いま述べたばかりの経緯に照らして明らかです。それだけではありません。
国連加盟申請を行う前年の一九五一年九月、日本はかつて交戦した多数国との間にサンフランシスコ平和条約を結んで独立を回復、同時に米国との間に安全保障条約を締結しました。今日では旧安保条約と呼ばれているのがそれです。この両条約には、当時の日本が国連未加盟国であったにも拘らず、憲章が国連加盟国に認めていた個別的、集団的自衛権を日本にも認める文言が盛られました。平和条約第五条C項と旧安保条約前文第三段とがそれです。平和条約第五条C項には、「連合国としては、日本が主権国として国際連合憲章第五一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する」とあります。
旧安保条約はこれを受けるかたちで、つまり、「日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利」の行使として結ばれたわけですが、資料(3)に明らかなように、その前文第三段には再度、「国連憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の権利を有することを承認している」と言及されています。「すべての国」がここに言う権利を保有するというのですから、これが、日本も当然その権利を有していることを意味していることは明らかでした。ところが、旧安保条約前文には今日的視点からしてもっと注目すべき文言が盛られていました。前文第四段をご覧下さい。
そこには、いま取り上げました第三段にすぐ続けて、「これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」と書かれています。冒頭の「これらの権利の行使として」の個所の英文は(in exercise of these rights)であります。ところで、「これらの権利」とは何を指すのでしょう。第三段に言及のある二種の権利、つまり、集団的安全保障条約締結権と国家自衛の権利とがそれであることは言うまでもありませんが、後者の権利の二つの側面、すなわち「個別的及び集団的自衛の固有の権利」がともにそこに含まれていることも、和英両文の構成と表現とに照らして疑いようがありません。ですから、「これらの権利の行使として」の文言が、「集団的自衛の権利の行使として」をも包含していることは明らかであります。
もうひとつ重大なポイントがあります。それは、ここでの集団的自衛権行使の主体、つまり文章論的に言えば(行使=exercise)の主語は誰か、ということです。日本語文だけからでは一読して明瞭とは言えないかもしれませんが、熟読すると、その主語は「日本」です。英文に照らすと、それはいっそう明瞭です。そこで次のことが言えます。旧安保条約において日本は、国連憲章の定める個別的及び集団的自衛の権利を有しているだけではなく、みずからそれを行使することもできる、いや現に行使しているのだと判断していたことになります。なぜかと言って、前文第四段と第五段から明らかなように日本政府が「集団的自衛権の行使として」表明した「希望」を米国が容れて、「日本国内及びその附近に」米軍を維持することになったからです。かりに米国が日本のこの「希望」を容れてくれなかったとすれば、日本の「集団的自衛権の行使」は空しかったとでも言うべきだったのでしょう。
当時、サンフランシスコ平和条約の批准をめぐって、多数派講和を是とするか全面講和にこだわるべきかの大論戦が国会内でも国会外でも展開されました。旧安保条約についても賛否両論が激突しました。と言うのも、旧安保条約の趣旨、すなわち、対日武力攻撃阻止のため米国が日本に米軍を維持するという安保の構造は、多数派講和の性格と密接に絡むものだったからです。ところが、「日本は集団的自衛権を行使できるのか、できないのか」という今日的関心に照らせば重大な問題は、不思議なことに、国会――国会外でもそうでしたが――での両条約の批准審議においてろくろく論議を呼びませんでした。とくに注目すべきことに、旧安保条約前文が集団的自衛権の「行使」にまで踏み込んで言及していたというのに、この前文第四段は批准審議を無事通過していたのです。日本国憲法はその五年前に制定されていましたが、当時はその下でも、先述した意味での集団的自衛権の「行使」はなんら問題視されなかった、と言えるでしょう。
わが国の集団的自衛権に関する今日の政府解釈は要するに「国際法は保有、憲法上行使不可」というものであります。集団的自衛権と日本国憲法とのこの関係についての政府解釈の定番とでも言うべき文書は、資料(1)の「五六・九・二九、衆議院稲葉誠一議員質問主意書に対する答弁書」と記されている文章です。
政府解釈は「首尾一貫」していない
この政府見解は言うまでもなく内閣法制局によって作成されたものでありますが、私は過去にいくどもこの政府解釈に疑問、異論を唱え、批判を加えてきました。もっともそれは研究者という立場からの私の対世間発言であって、防衛大学校での教育の場でこの問題に関する自分の見解を学生に説いたことはいちどもありません。二十六年間に私が担当しましたいくつかの科目では、この問題を論じる場がありませんでした。ですから、私の講義を聴いた学生であっても、私の文筆活動に関心をもち、講義とは関係なく私の論文を読んだのではない限り、これから私の述べる事柄は初耳だと言うに違いありません。社会科学教室の私の同僚教官の多くにとっても、事情は似ているでしょう。防大外に向けては研究者としてたびたび述べてきた自説を、防大を去るに当って初めて防大内に向けて発信してみようというわけであります。
さて、私がこの機会に指摘したい第一点は、日本国憲法と集団的自衛権の関係について政府の解釈がどう見ても一貫していないという事実であります。念のために申しますが、一貫していないのは怪しからんと言いたいのではありません。憲法解釈が変ること自体は、世界の文明国においていくらでもあることです。むしろ、誤った解釈、不適切な解釈は変更されるべきであります。問題は別のところにあります。つまり、政府の解釈ないし理解がどう見ても変ってきているのに、政府がそのことを認めようとはせず、近年では内閣法制局長官が集団的自衛権問題での「政府の見解は首尾一貫している」旨の国会答弁を繰り返してきたことにあります。変化したものを「いや変っていない」と言い張るのは強弁であり、その点は批判されなければなりません。私をして言わしむるならば、内閣法制局長官は「政府見解は時代とともにしかるべき変化を遂げてきたし、それでよいと考える」と答える方がよいのです。もっともその場合、将来においても新しい解釈が生まれる余地を暗に認めることにはなります。憲法に密接に絡む解釈が「時よ時節」とばかりコロコロ変るのはあってはならないことですが、近年の歴代法制局長官がしばしば答弁してきたように、政府解釈は論理を厳密に詰めた結果なのだから、憲法が変更されない以上、解釈は変えられないと主張するのは、コロコロと変節するのと同様にあってはならないことだ、と私は考えます。
大きな時間軸に沿って眺めれば、政府の解釈が大きく変ったことは、先述の旧安保条約前文ひとつを思い起こすだけで、誰にでも理解できます。当時、日本には防衛庁も自衛隊もまだ誕生していませんでした。それこそ旧安保条約前文第一段にあるように、日本は「固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない」悲しい状態にありました。にも拘らず日本国政府が個別的と並んで集団的自衛権の「行使」を謳ったのは、前述したとおりであります。ただ、その場合の集団的自衛権「行使」とは、日本に自衛の「有効な手段」が欠けているので、米国をして米軍を「日本国内及びその附近に」維持せしめることでした。
今日の政府見解では、集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」なのだ、とされています。この説明だと、たとえ国連憲章がすべての国家に集団的自衛権を認めていようとも、狭義の自衛ならぬ他衛のための「実力」手段、つまり、他衛に参加する武力という能力を有していなければ、集団的自衛権の「行使」は不可能だということになります。やや乱暴に言えば、「実力」抜きでの集団的自衛権論議は無意味という考えだと要約できるでしょう。
言い換えますと、これは「実力あっての権利」論、あるいは「実力あっての権利行使可能論」であります。そういう考えもあり得るでしょう。だが、そうであればあるほど、この考えに立つと一九五一年の旧安保条約前文は馬鹿げていたということになりかねません。繰り返しますが、当時の日本国政府は「手段」も「実力」もないくせに「権利の行使」は可能だと考えていたのですから。しかし、私は吉田茂首相が選択した日米旧安保条約の前文を愚作だとは思いません。むしろ、多少は後述もしますが、集団的自衛権の「行使」はつねに「実力」行為であるとは限らず、「実力」以外の方法、手段、態様をもっても可能であると考えていますから、半世紀前の条約前文の文言に脱帽したい気持でさえあります。
いずれにせよ、このように見てくるならば、集団的自衛権そのものについての理解、さらには、その「行使」とはいかなる行為であるのかの理解に関して、一九五一年と資料(1)の政府文書が作成された一九八一年以降の今日とでは大きな差違があることは、誰の目にも明らかでしょう。一九八一年の答弁書に見られる今日の政府見解は、詳しい説明は省くほかありませんが、要するに「七〇年安保」、つまり一九六〇年改定の現行の日米安保条約十年目の節目あたりから次第にセメント化していった代物に過ぎません。日本政府が集団的自衛権の問題とはじめて向き合ったのはおよそ半世紀前のことですが、政府・内閣法制局のいう「解釈の首尾一貫性」とはけっして五十年にわたるものではなく、いまを遡る三十年ほど前のものでしかありません。
こう述べると、「では四十年前はどうだったのか」との質問が飛び出すかもしれません。それはきわめて興味ある問題です。いまからちょうど四十年前のいわゆる六〇年安保改定では、やはり条約前文に「(日米)両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」と謳われました。そして集団的自衛権問題は、条約第五条(日米共同による日本防衛)および第六条(いわゆる極東条項)との関連で、活発な国会論議を呼びました。その点では旧安保締結当時とは大きく様変りしていました。しかし、当時の岸信介首相およびその関係閣僚、そして林修三内閣法制局長官の答弁は、後述するように、昨今の硬直化した政府答弁とは似ても似つかぬ柔軟性に富んでいました。
態様概念と量的概念の無理な接合
政府解釈についての私の批判の第二点は、集団的自衛権の行使は、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲」を超えるので、「憲法上許されない」と説明されているところにあります。これは憲法第九条の規定と関連する論点であって、資料(2)に掲げた政府文書に説明されていることですから、それを参照して下さい。要約すると政府はこう主張していることになります。日本国憲法はわが国の自衛権を否定していない。ただし、前文および第九条の趣旨よりしてわが国の自衛権の行使は、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲を超えてはならない」。集団的自衛権の行使はこの「範囲」を超えるのだから、それは現行憲法下では許されず、違憲である、と。
研究会の場でならとも角、こういう記念講演の場で理詰めの指摘をしても即座の正確な理解を期待できるのかどうか、私には自信がありません。が、自説を述べてみましょう。「必要最小限度の範囲」というのは、量=クオンティティに関わる発想です。物理・化学現象とは違って自衛というような人間・国家行為の場合には「必要最小限度」およびその「範囲」なるものを自然科学的精度をもって、つまり数量的に示すことはできません。ただ、考え方、ないし概念としては、それを認めることはできます。
では、「わが国を防衛するため」というのは何でしょう。それが量的概念でないことは明らかです。それは、自衛権行使という観点から言うと、「自国と密接な関係にある外国」を守るため、つまり「他国を防衛するため」との対比において意味をもつ考えにほかなりません。多少の誤解をも怖れずに言えば、それは「自衛(自国防衛)」か「他衛(他国防衛)」かを区別するものなのです。これは自衛権行使の態様(=モーダス)の違いを言うものに過ぎません。だとすると、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲」という言い回しは数量概念を態様概念に繋いでいるということになります。
それがいけないと言うのではありません。「態様はかくかくしかじかであるうえ、数量的にはかくかくしかじかでなければならない」という主張はあり得て当然です。ただし、それは集団的自衛権の(数量)制限的行使を認める場合の言い回しであるはずです。ところが今日の政府見解はそういう制限的行使許容論ではなく、集団的自衛権行使の全面不可論となっているのであります。そういう全面不可(禁止)論を展開するのに態様概念と数量概念をもってする二重の縛りをかける必要はまったくありません。たとえば女子大入学を例にとると、禁止規定として「男性はだめ」だけで済むところを、「男性はだめで、しかも男性の十八歳以下はだめ」と定めたとすると、誰もがおかしいと感じるでしょう。政府見解はそれに似ていて、集団的自衛権の行使は違憲だと全面禁止を結論するために、持ち出す必要のない「必要最小限度の範囲」という数量的ハードルまでもを追加しているのであります。そこには、論理的思考に欠陥があることが曝け出されています。集団的自衛権行使違憲論を唱えるには――それが正しいと仮定してのはなしですが――前文と第九条の論旨は「わが国の防衛は認めているが、たとえわが国といかに密接な関係にある外国だとしても、わが国に他国の防衛を許していないのだ」とだけ言えばよいのです。そこへ数量的ハードルを繋ぐことは、思考の混乱を招くという意味でかえって有害無益なのであります。
こんな憎まれ口めいた物言いをする理由を一つ話しておきましょう。昭和五十六年の政府答弁書で「行使違憲」論が固められてから五年後、つまり一九八六年三月の衆議院予算委員会で当時は公明党に属した二見伸明議員(同議員は今日では小沢一郎氏の自由党に属しています)がくだんの「答弁書」を読み上げ、「これを裏側から考えると」と断ったうえで、「今後、必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能だというような、そうした引っくり返した解釈は将来できるのかどうか」と質問したことがあります。当時の茂串内閣法制局長官はこう答えました。「ただいま二見議員の御質問にございましたように、必要最小限度の範囲を超えるような集団的自衛権というものはあり得ないということでございまして・・・」。
一度耳にしただけでこの答弁がなにを言っているのかは、なかなか分からないと思います。それは理解力の問題ではなく、答弁が滅茶苦茶だからであります。「必要最小限度の範囲を超えるような集団的自衛権(行使)というものはあり得ない」と言うことだと、「集団的自衛権はつねに必要最小限度の範囲内におさまる」ということになります。法制局長官は自分が言わなければならないこと、すなわち、「必要最小限度の範囲を超えないような集団的自衛権というものはあり得ない」のちょうど正反対を口走ってしまったということであります。後日、二見議員は「法制局長官の言っていることが、とっさにはよく分からなかった」と私に述懐しましたが、同議員だけではなく、肝心の法制局長官自身も自分がなにを言っているのか分からなかったのではないでしょうか。驚くべきことに、この発言は訂正されることなくそのまま国会会議録に残っています。
旧安保前文はなぜ隠されるのか
先ほど、集団的自衛権と憲法の関係を述べた政府見解は、五十年という物差しでみればけっして首尾一貫していないと申しました。そして昭和五十六年、つまり一九八一年に確立された今日の定型的解釈への歩みは、「七〇年安保」前後から始まったものだとも述べました。そこで資料(2)に掲げた文書、つまり昭和四十七年(一九七二年)十月に参議院決算委員会に提出された「資料」文書を参照しましょう。この文書は、その作成時期もさることながら、先述した私の批判の第一点――旧安保条約前文の「行使」言及をどう見るのか――との関連でもすこぶる注目すべきものです。と言うのも、第一段には国連憲章第五一条、サンフランシスコ平和条約第五条C項、一九六〇年安保条約前文、日ソ共同宣言三第二段など、わが国にかかわる外交重要文書で集団的自衛権に言及した文言を含むものが列挙されていますが、なぜか、一九五一年の旧安保条約前文は洩れているからであります。念のため申しますと、そこに挙げられている日米間の「相互協力及び安全保障条約」とは六〇年安保条約を指すのであって、五一年安保条約のことではありません。なぜなら、後者の条約名称中には前者に含まれている「相互協力」が入っていないからであります。だとすると、資料(2)の文書で旧安保条約前文への言及が欠けているのはなぜでしょうか。
安保条約は改定されたので現行条約に言及したまでであって、過去の事例は省略した。他意はない。これが多分、法制局の言い分だと思われます。しかし私は、内閣法制局が敢えて旧安保条約前文への言及を避けたのではないかと疑っています。疑うべき理由はあります。第一には、この政府文書中に列挙されている重要外交文書とは違って、旧安保条約前文にだけは集団的自衛権の「行使」までもが謳われていること、第二には、まさにそれを隠した(?)この政府「提出資料」文書をもって、集団的自衛権の行使は違憲とする解釈作業のエンジンがかかったからであります。そういう方向へ議論を収斂させようというとき、過去の不都合な証拠文書を掘り起こしてはならなかったのではありますまいか。
もう一点、資料(2)の一九七二年文書には注目を要する点があります。そこには、集団的自衛権の行使は「憲法の容認する自衛の措置の限界をこえる」とか、「必要最小限度の範囲」うんぬんとか書かれていて、先に私が命名した数量的概念の姿がすでにちらついています。その意味で、資料(1)の八一年答弁書への素地が見られることは事実であります。しかしながら、その末尾の一文を読んでみましょう。「わが国の憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」。この一文に関する限り、集団的自衛権行使違憲を説明するのに数量概念、態様概念の二重のハードルに依拠するのでなく、態様概念だけをもって当ろうとする姿勢も窺えたと言うべきでしょう。
これを縮めて言えば、現行憲法下で「自衛」は許されるが、「他衛」は違憲という、それはそれなりに明快な論理構成への素地もなくはなかったということなのです。ところが、実際に法制局がどちらの道を歩んだかと言うと、数量概念を態様概念に繋ぐ方向に突き進んだのでありました。私をして言わしめるならば、それで論理的厳密性が強化されたのではなく、論理的混乱が募ってしまったのであります。挙げ句の果てが先に紹介した茂串法制局長官の珍答弁であり、それは、重視すべき態様概念での説明を忘れ、不要な数量概念に振り回され、しかも言うべきことのまるであべこべを発言してしまうという物悲しい光景でありました。
「国際法上」と「憲法上」の間の空隙
政府見解批判の第三点に移りましょう。資料の(1)、(2)から明らかなように、集団的自衛権に関する内閣法制局見解を一言に要約すると、「国際法上はこれを保有、だが憲法上は行使不可」ということになります。これに対して近年、「そんな馬鹿なことがあるか」との声が政治の世界でも言論界でも高まってきました。この批判論者たちは、「持っているが使えない権利とは、いったい何ごとだ」と悲憤慷慨の面持ちであります。しかし私は天下の論客たちがその種の憤懣をぶっつけるだけであっては情け無いはなしだと考え、ここ数年、その旨も発言してきました。そんな憤懣をぶちまけられても、内閣法制局としては痛くも痒くもないでしょうから。と言うのも法制局見解では「国際法上」と「憲法上」という二つの異なるレベルが設定されていて、前者で「保有」、後者で「行使不可」との判断が下されているのであり、同一レベルで「保有、されど行使不可」と結論されているのではないからであります。
私は法制局見解に対して憤懣でなくて、疑問を呈してきました。それは、「国際法上は保有、だが、憲法上は行使不可」という一見精緻な論理構成が実のところはある種のすり抜け作業でしかない、と私が考えるからです。内閣法制局見解では、核心の問題が細心に迂回されています。単刀直入に言いますと、「国際法上は保有。では、憲法上も保有なのか、それとも非保有なのか」は詰められないまま、いきなり憲法レベルでの「行使の可否」に論点がすり替えられているのであります。「論理的に詰める」というのが法制局の口癖でありまた、法制局の仕事はそうでなければならないのですが、私見では法制局見解は「論理的に詰め」られておらず、核心部に「論理的空白」があります。集団的自衛権は「憲法上は行使不可」と断定する前に、順序として「憲法上の保有・非保有」を吟味しなければならないのに、その吟味がなされていないからであります。この意味で法制局見解は多分、意図的に「論理的に詰められていない」のであります。
集団的自衛権について「憲法上の保有・非保有」を明らかにすることこそが本来、憲法解釈の最重要作業であります。この中核部分が論理的に詰められるならば、「その行使は違憲か合憲か」なぞはほとんどなくもがなの議論になります。なぜか。かりに「わが国は憲法上、集団的自衛権を保有しない」との政府解釈が打ち出されるならば、それで議論は「ゲームセット」になります。持たないものを使えるわけがないのですから、「行使の可否」を点検する必要なぞまったくありません。その代り、国連憲章ですべての国の「固有の権利」、フランス語訳では「自然権=ドロワ・ナチュレール」と呼ばれているものを否認している日本国憲法の方がおかしいとなって、憲法改正論の火の手が募ることとなるかもしれません。
逆に、「憲法上保有」との解釈が打ち出されるとどうでしょう。理論的に言えば、「国際法上保有。憲法上も保有。だが、憲法上、行使は違憲」という変な答えもあり得るかもしれません。だが、それこそは論客たちが憤激すべき時の到来だと言うべきでしょう。「憲法上保有しているものが、憲法上使えない」となると、そのような不可解な解釈に憤激が高まらないことの方が異常でしょう。「憲法上の保有」が確認される場合、「行使違憲論」を唱えることはほとんど論理矛盾です。ですから「憲法上保有」ならば、あり得べき議論の落ち着き先は、「したがって憲法上、その行使は合憲」とならざるを得ないでしょう。
理論的にはもう一つ、「憲法上の保有・非保有は不明」という答えもあり得ます。私はこの場合の議論の展開がどうなるかをも考え、かつ論じたことがありますが、今日の時間的制約の下、それに深入りすることは断念いたします。
かつて「制限的保有論」があった
では、「日本国憲法の下、わが国は集団的自衛権を有するのか」という問題がなぜ正面から論じられないまま、今日に至ったのでしょうか。日本で集団的自衛権の問題が防衛政策との関連で事細かに論議されるようになったのは、先程にも申しましたように「七〇年安保」前後、つまり今から三十年ほど前以降のことであります。だがそれ以前に、一九五一年のサンフランシスコ平和条約、旧安保条約、一九五六年の日ソ共同宣言、一九六〇年の現行安保条約では、わが国の集団的自衛権保有を確認する文言が盛り込まれていました。一九六〇年安保改定時をやや例外として、それ以前の右の諸事例では集団的自衛権をめぐって今日のように重箱の隅をつつくような議論はありませんでした。他方、一九七〇年代以降のこの問題での国会論戦は、自民党超長期政権の下、日本社会党を中心とする野党勢力がいわば「江戸の仇を長崎で取る」かのように、多くの場合、審議引きのばしを狙って挑んだものであり、政府は政府で「その手には乗らぬ」とばかり、国会対策の見地からなるべく野党を刺戟しない形での答弁を積み重ねていったのです。こうして発想から柔軟性が失われ、硬直性がその特徴となりました。その行きつくところが、昭和五十六年(一九八一年)の政府答弁書であります。
「七〇年安保」以前には、政府の議論はもっと柔軟であり、おおらかでありました。その最好例が一九六〇年のいわゆる安保国会での数々の政府答弁であります。当時の岸信介首相や林修三内閣法制局長官の答弁は、要約するとつぎのようなものでした。(1)「集団的自衛権という名のもとに理解されることはいろいろある」、つまり、その学説および態様は多様である。(2)ただし、集団的自衛権の「本体」、あるいは「最も典型的な、しこうして最も重要視せられるもの」、もしくは「本体的な面」とは、自国と密接な関係にある外国が武力攻撃を受けた際、その「外国にまで出て行って外国を守る」ということである。(3)「そういう意味の集団的自衛権、これは日本の憲法上はない」。
これは、集団的自衛権の「本体」的部分を日本は憲法上保有していない、との考えであります。では、いってみれば「非本体」部分ではどうか。林法制局長官はこう答えています。集団的自衛権にはいろいろの内容があり、(現行)安保条約下で「米国に施設・区域を提供」するとか、「米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対してあるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを日本の憲法は否定しておるものとは考えません」。
私流に整理してみると、これは、憲法に照らしてわが国は集団的自衛権の「非本体」部分を保有するという、いわば制限的保有論であり、それに基づき制限的行使合憲論であります。かつて吉田茂内閣の時代には、日本が「自衛権を行使する有効な手段」さえまだ持たなかったのに、旧安保条約の締結によって集団的自衛権を「行使」していると考えられていました。一九六〇年の岸内閣の右のような制限的保有論、制限的行使合憲論は、吉田内閣当時の解釈と整合し、その延長線上にあったと言えます。これに対し、遅くとも一九八一年以降の政府見解は「集団的自衛権行使全面違憲」論、ないしは「一切違憲」論であります。昭和五十六年の政府答弁書をめぐる国会論戦で当時の角田内閣法制局長官はいみじくも、「集団的自衛権というものは全く行使できない」とか、「集団的自衛権は一切行使できない」とか答弁を重ねています。
ここでもわれわれは、政府見解が「首尾一貫」してきたのではなく、大きく変っていることに気付きます。だが、より重大なのは、同じ角田法制局長官が、行使全面不可論や行使一切違憲論を力説したのに続けて、「それ(=集団的自衛権)を国内法上持っていると言っても全く観念的な議論」だとか、「それはあたかも持っていないのと同じ」とか言い張って、保有、非保有の議論には頑なに踏み込もうとはしなかった点であります。憲法解釈というのは、いずれにせよ観念的なものであります。普通の人間が「そんな観念論にはついてゆけない」とこぼしても、憲法解釈を任務とする人間は観念論を徹底すべきなのです。だというのに、法制局長官が率先して「観念論をやるのは無意味だ」と主張するのは、奇っ怪なはなしであります。ですが、この奇っ怪さにはしかるべきわけがあると私は判断しています。
資料(2)(昭和四十七年、一九七二年)の文書について私は先程、自衛権行使の「必要最小限度の範囲」という数量的概念よりも「自衛は可、他衛は不可」の態様論により比重を置こうとするかの文言が見られることを指摘しました。かりにこの方向が徹底されていたならば、「日本は憲法上、集団的自衛権を保有せず」の結論へと大きく傾斜したかもしれません。もしそうなっていたら、どうだったでしょう。そのあかつきには、「憲法がその保有を禁じているのに、サンフランシスコ平和条約、新旧の日米安保条約、一九五六年の日ソ共同宣言で日本の集団的自衛権保有を謳ったのは憲法違反ではなかったのか」という声が生まれたであろうことは、ほとんど確実です。成りゆき次第では、戦後の日米安保体制が根底から揺さぶられる事態になったかもしれません。「君子危きに近寄らず」。そういう事態を避けようとして、憲法解釈の核心的問題には手を付けず、これを迂回する方法が採られたことは十分にあり得ます。内閣法制局の人びとの主観はとも角、客観的にはそうだったのだろうと私は判断します。
ところで、時代は変りました。かつては国会対策的見地から「集団的自衛権行使違憲」と言って政府は野党のご機嫌を取り結んでいればよかったのですが、いまや「行使違憲」論はおかしいとの声が国会内でも言論界でも、いやそもそも世間一般で強まっています。そのうえ、「わが国と密接な関係にある外国」、つまりは米国が、日本国内の議論なぞどうでもよろしいという態度ではなくなりました。そして先般の日米ガイドライン以降は、いまのままの「行使違憲」論にしがみついていると、「周辺事態」発生の際、日米安保体制がもたなくなるとの憂慮を語る論客が、めっきり増えました。この憂慮は見当違いだなぞとは申しますまい。しかし、この種の議論はいわば政策論であります。私は集団的自衛権と憲法との関係についての政府解釈は変更される必要があると考えます。しかし、それは政策論の立場からと言うよりむしろ、現行の政府解釈には論理的欠陥があるとの理由からです。論理的欠陥是正論の立場から私は憲法解釈変更の必要を説いているのです。その欠陥とは、第一に政府見解「首尾一貫」説の欺瞞性であり、第二に「必要最小限度の範囲を超える」というような数量的概念をもって行使不可論を組み立てようとする論理的混乱であり、第三に「憲法上の保有・非保有」の吟味を避けて、「国際法上の保有」と「憲法上の行使不可」とを直接に繋ぐというすり抜け作業の危うさであります。
新しい時代に向けてなすべきこと
私の判断では、現行憲法下で日本は国際法上も憲法上も集団的自衛権を有します。ただし、現行憲法の前文および第九条に照らして、他国に比較するとわが国の集団的自衛権の保有および行使は大きく制限されています。分かり易く言えば、外国まで出てゆき、武力行使をしてその国を守るという意味の他衛、その意味での集団的自衛権を日本は保有しないし、行使できないが、しかし、それ以外の行動および手段をもってする他国支援は、集団的自衛権行使として、合憲であるというのであります。
私はハト派ではないかもしれませんし、宮沢喜一大蔵大臣は極め付けのハト派だと言われています。しかし、右の点では私の考えは宮沢さんの考えにきわめて似ています。宮沢さんは言っています。「憲法九条っていうのは、外国で武力行使をしてはいけないと、それだけが禁じられていることで、それ以外には何も禁じられていない。急迫不正な事態の下での自衛のためであれば、外国で武力行使する以外のことは何をしてもいいと私はいっているわけです」と。宮沢さんとの違いはと言えば、書生っぽい私が集団的自衛権の制限的保有だとか制限的行使だとか言っている事柄を、宮沢さんは集団的か個別的かの区別に目くじらを立てたりせず、「それは憲法上許される」とさらりと切り上げている点であります。それが政治家宮沢喜一の賢さなのでしょう。しかし、それを「ずるさ」だと決めつける人もいるようであります。またもやへらず口が出たところで、私見の開陳を終ります。
資料(1)56・5・29衆議院稲葉誠一議員質問主意書に対する答弁書
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されてもいないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。
わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。
資料(2)47・10・14参・決算委提出資料水口宏三委員要求
国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第五一条、日本国との平和条約第五条(C)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言三第二段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。
ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである。
憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第一三条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも他国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
(資料3)旧日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)前文
一九五一年九月八日にサンフランシスコで署名
一九五二年四月二八日に効力発生
一九六〇年六月二三日に終了
日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よって、日本国は、平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従って平和と安全を増進すること以外に用いられるべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。
佐瀬 昌盛(させ まさもり)
1934年生まれ。
東京大学大学院修了。
成蹊大学助教授、防衛大学校教授、現在、拓殖大教授・海外事情研究所長、防衛大名誉教授。
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