2004年6月号 Voice
自衛隊 「海外任務」改造論
佐瀬昌盛(させまさもり)
(拓殖大学海外事情研究所所長)
自衛隊を国防任務から解き放ってはならない
本誌四月号で「目覚めよ、自衛隊」が特集された。求められて、私も稿を寄せた。この拙稿には、編集部によって「自衛隊を国防任務から解き放て」との表題が打たれていた。これに私は驚いた。それが私の主張ではないからである。そこで、本誌巻末に常設の「ボイス往来」欄に投稿、「自衛隊を国防任務から解き放ってはならない」と題して、「編集部の反省を求める」と結んだ。
編集部からはすぐに反応があった。勤務先の大学研究室に編集陣の来訪を受け、「表題のつけ方には勇み足があった」旨の釈明があった。「勇み足」というのは私の表現で、編集部の言葉遣いはやや違ったが、そう要約することは許されるだろう。と同時に、「ボイス往来」欄を筆者からの抗議掲載に使うのは不適切なので、号を改めて所論をやや長く述べてほしいとの申し出を受けた。編集部の態度は潔かった。本誌とは長い付き合いで、編集部の「勇み足」を経験したのは初めてのことだったが、私は喜んでこの申し入れを受けることにした。本稿は、そういう背景あってのものである。
三カ月前に寄稿を求められたとき、特集の仮題はたしか「私の自衛隊改造論」だったと思う。そこで私は拙稿を「自衛隊の対国民発信能力の改造が必要」と題した。なぜか。冷戦が終わって十四年、自衛隊が果たす役割は広がった。なかんずく、「海外任務」と一括すべき活動の機会がうんと増えた。一九九一年のペルシャ湾への海上自衛隊掃海部隊派遣から今日の陸自のイラク派遣まで。イラク派遣についてはまだ成績表は出ていないが、他のケースではいずれも合格点がついている。そしてその都度、自衛隊に対する国民の信頼度は高まってきた。これは特筆に値する。だが他方、「海外任務」のこのような増加は、疑いもなく自衛隊の物心両面にわたる苦労の増大を意味する。国民がそのことに気づいていないわけではない。けれども、私見ではどうみてもその面での国民の理解は十分とはいえない。自衛隊、防衛庁、いや総じていえばわが国政府の国民に対する説明に不足するところがあると判断されるからだ。
ではそれは、「自衛隊の対国民発信能力」に問題ありというのではなく、「自衛隊の海外任務に関する政府の説明能力」に問題ありと題すべきではないのか。それはそのとおりである。だが、元はといえば自衛隊・防衛庁が政府に対して遠慮がちな説明に終始するからこそ、政府の対国民広報が委曲を尽くさないという結果を生んでいるのではあるまいか。そう考えるから、私は拙稿をいちおう「自衛隊の対国民発信能力の改造が必要」と題したのであった。
もっとも、ひょっとすると、自衛隊・防衛庁の側には「内々、政府に十分な説明を尽くしているのだが、政府がそれを率直に国民に伝えることをしてくれないのだ」といった苛立ちがあるのかもしれない。いくつかの点でそうではあるまいかと思い当たるふしがある。だが、それでも、四月号の拙文末尾で、いわゆる「省昇格」問題での『防衛白書』の記述に言及しておいたように、自衛隊・防衛庁の世間に向けての説明には遠慮がすぎるところがある。いわなければならないことはいうという状態には程遠い。いってくれれば国民の側は理解できるのに、十分にいってくれないから理解できるものも理解できないという事情が多分にある、と私は判断する。この点では抜本的改善が必要である。
「海外任務」と「国防任務」
専守防衛をいい、かつ、それに徹していればよかった冷戦時代とは違って、二十一世紀の自衛隊はわが国領域外に出て活動しなければならぬ機会が飛躍的に増えた。二〇〇一年十月成立の「テロ対策特措法」、および二〇〇三年七月成立の「イラク人道復興支援特措法」に基づいてインド洋やイラクおよび周辺国で活動する自衛隊が、その事情をよく物語っている。それらはいずれもが新しく、かつ困難な任務であるため、賛否両サイドからマスコミの脚光を浴びる。その活動内容は一様ではないが、私はそれらを「海外任務」と一括することにしている。
そういう海外任務に赴く自衛隊を送り出す際の政府の姿勢には、その最初のケースだった湾岸戦争(一九九一年)後のペルシャ湾への掃海部隊派遣の際のそれに較べると、隔世の感がある。なにしろ往時は政治がそれを命じるというのに、首相官邸から激励らしい激励の言葉を掛けられるでもなく、まるで裏門からこそこそと仕事に出掛けるといった風情だった。今日ではそれが一変した。総理大臣も防衛庁長官も派遣式典で立派な激励の辞を述べる。聴き入る派遣自衛官および送り出す家族は感銘の表情を浮かべている。出発に際しては日の丸の小旗が振られる。
テレビでその光景が写し出されるごとに、海外任務に就く自衛隊への国民の共感度は高まるといってよい。自衛隊は節度に満ちているからだ。その結果、賛否両論で割れたイラク派遣問題でも世論調査で派遣是認論が反対論を上回ることになった。かくて、自衛隊が海外任務に就くこと自体に関しては、国民の認知度は高まった。
だが、いうまでもなくそれは楯の片面でしかない。「国防在務」に関してはどうか。ほぼ一年前には「武力攻撃事態安全確保法」が成立した。長年の宿題だったいわゆる有事法制の中核的部分である。しかもそれは、民主党という大野党の賛成票をも獲得し、衆議院で九割、参議院でも八割超の多数で可決された。わが国の防衛法制史上前例のない壮観であった。「武力攻撃事態」とは、要するにわが国が武力侵略を受ける事態を指す。だから、その際の安全確保法とは外部からの侵略に対してわが国を防衛する際の、つまりは国防の法的手続きを定めたものだ。換言すると、自衛隊の国防任務を規定する中核的法制が、自衛隊法の制定(一九五四年六月)から五十年を経てようやく誕生したのだ。少なくとも法制面で自衛隊の国防任務は本格化の段階を迎えたのである。
制定された「武力攻撃事態安全確保法」についてまったく注文がないわけではなく、そのことは筆にもしてきたのだが、しかし、その成立を私は歓迎した。だから、それから一年もたっていないのに、私が「自衛隊を国防任務から解き放て」などと主張するわけがないではないか。本誌編集部は、同法成立を私が歓迎した事実を単純に知らなかっただけなのかもしれない。それで、拙文に先のような表題が間違って打たれたのかもしれない。けれども、四月号の拙文中で私はわざわざ、「とくに自衛隊は海外任務専念組織ではなく、『国の防衛』を片時も忘れるわけにはいかない」と書いている。その個所だけからも、私が「自衛隊を国防任務から解き放て」と主張しているかのように読み取るのが見当違いであることは明らかだろう。むしろ私は「ボイス往来」欄に書き送ったことだが、「自衛隊を国防任務から解き放っては、絶対にならない」と主張する。よって私は編集部がなぜ見当違いの「勇み足」をやったのか、正確には理解できない。だが、その背後には次のような事情があったのではあるまいかとの想像はつく。
日本人の意識は変わった
右に述べたように、自衛隊について昨今とみにクローズアップされるのは、海外任務に就く姿である。何年か前には災害派遣の出番が多くて、それに挺身する自衛隊の姿に国民の共感が集まった。そのころ、「自衛隊は何に最も役立っているか」といったたぐいの世論調査をやると、「災害派遣」という答えがトップで、自衛隊関係者を苦笑させることが多かった。なぜかといって、「自衛隊法」第六章の「自衛隊の行動」に見るように、「災害派遣」(「地震防災派遣」を含む。同法第八三条および同条二)は、「治安出動」(同第七八、七九、八一条)、あるいは「民生協力」と概括される諸活動と並んで、自衛隊のとるべき行動としては数え上げられていても、自衛隊の「主たる任務」とは位置づけられていないからなのである。
自衛隊の「主たる任務」とはあくまで国防である。それは「自衛隊法」第三条に、次のように明らかだ。「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする」。生真面目な自衛官であればあるほど、自衛隊はもっぱらこの「主たる任務」との関連で国民から評価されたいと望んでいるだろう。だから、「国防」ではなく「災害派遣」の面で最も評価されているという世論調査結果を知ると、彼らは苦笑する。しかし、国民によるこの評価ぶりには、やむをえない面がある。なぜなら、災害派遣で活動する自衛隊の姿は実際に見えるが、「国防」に挺身する自衛隊の姿は、平時には普通、国民の目には見えないからだ。平時の自衛隊は「防衛出動」することなく、古風な表現を使えば、静かに「一剣を磨く」ことに徹している。見えないものを評価しろと国民に要求してみても、それは無理というものだ。
昨今の「海外任務」ブームにも、右の事情と似たところがある。とにかく、その自衛隊の姿は見える。しかも、「災害派遣」時の自衛隊は武器を携行しないが、「海外任務」の場合は多かれ少なかれ――過去の事例では過少ケースがほとんどだが――武器を携行する。つまり、自衛隊らしさがより強く印象に残る。しかも、「海外任務」に就く自衛官たちには押し殺した苦笑の表情はなく、むしろ使命感に燃えている風情がある。そのため、世間の目には「海外任務」がなにか「主たる任務」まがいのものと映っても、無理からぬところがある。だとすると、自衛隊を「目に見えにくい国防任務から解き放ち、目に見える海外任務専念組織とせよ」という声が生まれてきても、さほど驚くには足りない。四月号拙論などは、そのはしりと映ったのだろうか。
さなきだに、野党である民主党では海外任務専念組織ともいうべき国連待機部隊創設論が有力である。私がこの民主党構想に賛成でない理由は四月号で略述したのでここでは繰り返さない。ただ、民主党構想からも重要な推論を引き出すことができる。それは、その組織が「国連待機部隊」と呼ばれようと「自衛隊」と呼ばれようと、必要に応じて武装した日本の組織が「海外任務」を引き受ける必要があるという国民的認識が生まれていることである。これは、一九九一年の掃海部隊ペルシャ湾派遣当時には、予想するだに難しい光景であった。時代は、そして日本人の意識は変わった。 「他山の石」としてのドイツの議論
しかし、重要な問題が残されている。それを次の二点に要約することができる。すなわち、(1)「海外任務」に関する法的位置づけに問題がある、(2)「海外任務」が自衛隊にとり常態化していくと予想されるのに、そこから生じる実務上の負担、影響などに関する評価が十分にはなされていない、の二点である。この二点はじつは密接に関連するものである。(2)の評価いかんによって(1)にいう法的位置づけも変わりうるし、逆にいうと、(1)で軽い位置づけをやると、(2)の作業はおろそかにされがちとなろう。四月号の拙稿では、紙幅が限られていることもあったので、最近のドイツの例をも援用して(2)の問題を軽視すべきでない点にだけは触れた。
もっとも、その点については本誌編集部によって「ドイツ軍に学べ」との小見出しが打たれた。これも私の意に沿うものではなかった。なぜなら、そこで書いたように、「安保環境好転のため・・・国防任務からほぼ解放され、国際協調介入派遣に専念する」ドイツ軍にストレートに学べなどとは、「海外任務専念組織ではなく、『国の防衛』を片時も忘れるわけにはいかない」わが自衛隊にとうてい薦められる事柄ではないからである。私が最近のドイツの議論は「参考になる」としたのは、「海外任務」を重視する場合にはそれが当該軍事組織にとり全体として実務上どの程度の負担、影響をもつと評価すべきかで、ひとつの「妥当な国際的基準」を示していると考えるからなのである。
この点に関してより細部を知りたいと望む読者にはぜひ、拙稿「ドイツの連邦軍改革」(拓殖大学海外事情研究所報告、第三八号、平成十六年三月三十一日発行)の参照をお願いしたい。いわゆる「海外任務」に立ち向かう態勢をどうするかは米欧主要国で共通の関心事項となっていて、多くの国が派遣兵力、後方兵力の規模、役割についてそれぞれ議論しているが、軍を国防任務からほとんど解放することになったドイツでは今後、財政面での裏づけを伴って軍改革が着実に進むとすれば、「海外任務」こそが軍の「主たる任務」となる。それだけに、この新たな「主たる任務」の個々に従事する兵員の規模、それに回転率を加味した「海外任務」要員総数、装備などについては、他の米欧主要国の場合よりも突っ込んだ計算がなされている。ゆえに参考になるのである。
大まかにいうと、ドイツは軍の総兵力を二四万二五〇〇として、うち三万五〇〇〇を「介入兵力」に、七万を「安定化兵力」に割り合てる。「介入兵力」とは、国際的な高強度(ハイ・インテンシテイー)作戦への参加能力をも備え、全世界での紛争で平和強制活動を共同で担うとされる兵力なので、現行憲法のもとでのわが国の制約を考えると、これはまったく参考になりえない。だが、七万という大量要員を計上している「安定化兵力」は「紛争当事勢力の引き離し、停戦合意の監視、平和撹乱諸勢力の排除、禁輸措置の実施、および他の諸措置」に当たる能力をもつべきものであるから、わが国でいう国連平和維持活動(PKO)、同維持部隊(PKF)をやや背伸びさせたところまでを扱う。ゆえに、これは参考になる。ドイツは任意のある時点で一万の「安定化兵力」が派遣任務に就いている状態を想定している。だとすると、常時一万を派遣するためには、ローテーションなどを考えて、このカテゴリーでは全体で七万を用意しておくという仕組みになる。繰り返すが、一対七である。
わが国では今後、自衛隊の「海外任務」活動がより重視されていくことは、ほとんど疑いがない。しかし、それに取り組むうえでの右のような評価、ないし見積もりを、防衛庁・自衛隊という組織としてはやっていない。実際にはゴラン高原にしても東ティモールにしても、はたまたイラクにしても個別派遣部隊の滞在期間は決まっているから、後続、後々続の要員についての事前の手当はそれなりになされている。しかし、私はこれと思う関係者に接するたびに、ある派遣事案につき交代や任務進度を考慮に入れた事前の予測、評価、見積もりはどうなっているのか、いやそもそも、そういったものが内部了解としてでもあるのかと問いつづけてきたが、個人的な見解を別にして、組織として「それはある」と聴かされたためしがない。厳しくいえば、それは内部でのやり繰りに委ねられているのである。
「雑則」と「特措法」ばかり
私は自分の勤務する拓殖大学海外事情研究所の月刊誌『海外事情』二〇〇四年四月号掲載の「石破茂防衛庁長官インタビュー」で、このままだと自衛隊の「海外任務」は悪しき精神主義に頼ることにはならないかと懸念を述べた。とにかく国民の目に見える、ゆえにやり甲斐のある任務なので、「ここは少々無理してでも頑張ろうや」の連続になりかねない。しかし、それは本来、よくないやり方なのだ。ただ、この悪しきガンバリズムを払拭するのに、現状では大きな具体的障害がある。それは、先に(1)として挙げた「海外任務」に関する法的位置づけの問題である。
自衛隊の「国際緊急援助活動」をも含めて、「海外任務」と一括される活動(「国際平和協力業務」、「在外邦人等の輸送」)は、その発生経路を問わないでいえば、奇妙なことに「自衛隊法」第八章の「雑則」中に、より正確にいえば同第一〇〇条中に規定されている。ために第一〇〇条は一(項)から一〇(項)まである。「海外任務」だけではない。わが国の安全に密接に関連する「周辺事態安全確保法」にいう自衛隊による「後方地域支援」は「海外任務」と見ることはできないが、これもそこに突っ込まれて、「第一〇〇条の一〇」を形成している。もっとも、疑いの余地のない「海外任務」であるテロ対策特措法(インド洋での給油活動)やイラク特措法での自衛隊の活動は第一〇〇条中には突っ込まれていない。それは、この二つのケースの場合、それぞれの国連安保理決議に依拠した法律となっているからだが、それを裏返せば、当該の安保理決議なくしてはこれら特措法は生み出せないわけであるし、無理に生み出そうとすると、「第一〇〇条の一一」、「同一二」が必要とされたことであろう。
かくて第一〇〇条は「自衛隊法」における最大の大部屋となっている。もともと、日本の自衛隊は海上自衛隊の遠洋航海を別にすれば、組織として海外に出ることはないと考えられていた。しかし、「海外任務」が出現するに及んで、それは「自衛隊法」において規定されねばならず、その活動は次々と第一〇〇条中に盛り込まれることになった。その結果、第一〇〇条には事柄の軽重、難易の差とは関係なく、たとえば「運動競技会に対する協力」と「国連平和維持活動」とが同居するという奇観が生まれた。今日、ある種の「国連平和維持活動」がどれほど重要であり、どれほど国益に大きく関わるものであろうと、法制上の位置づけは「雑則」中の一事項なのである。
この位置づけから出てくる当然の帰結は、それらの業務ないし活動が行なわれるのは、あまりにも有名な制約規定のもと、すなわち「自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度において」なのだということである。これは、第一〇〇条マターではない「テロ対策特措法」、「イラク特措法」についてもまた同じだ。それらは法制上、自衛隊の本来的な任務と位置づけられていない。ゆえに、前掲「インタビュー」において石破長官が語ったように、海上自衛隊によるインド洋給油活動がいかに有意義なものであろうとも、「自衛隊の任務遂行に支障が生じる」と判断されると、給油艦もイージス艦も呼び戻されることになる。これを意地悪くいうと、それらの活動は「自衛隊の任務遂行」だとは見られていないのである。
こう見てくると、新たな「海外任務」を、「雑則」中で扱ったり、特措法で処理するというこれまでのやり方が改められなければならないことは、もはや明瞭だろう。ではどうするか。わが国の安全保障環境に照らして、国防が自衛隊の「主たる任務」であることは動かせない。そのうえで、私は立法技術に関してはまったくの素人だが、素人論を承知でいえば、自衛隊の「海外任務」を「主たる任務に準ずる任務」とか、「本来任務の一つ」とかのかたちで位置づけるべきであろう。そういう位置づけを確定して初めて、「海外任務」は内部でのやり繰りで処理されるのではなく、それの件数、個別ケースの必要要員、ローテーションによる持続性を考えての全体調整といったことが合理的に検討されることになろう。そのためには、「雑則」追加方式や特措法方式に頼るのをやめ、自衛隊の「海外任務」に関してだけでも一括法の制定を急ぐべきである。
それを主張すると、前掲「インタビュー」で石破長官はほぼ頷きつつも、一つの重要な悩みを語った。「海外任務」はたとえ国連安保理決議で裏打ちされていようと、なんでもかんでも引き受けるべきものではない。国益を考慮して取捨選択が必要である。ところが、この「国益」への言及は法制化するのが至難なのだ、と。それはそのとおりだ。しかしあえて私見をいえば、「雑則」追加方式や特措法方式も、現実には国益を考量したうえで採られてきた。その都度、国益をめぐる激論もあった。だから、「海外任務」一括法でも出番の取捨選択に関しては「国益の見地」からの検討が必要であるとでも書いておいて、やはり一括法下で個別的激論をやればよい。要は取捨選択のもとで引き受ける「海外任務」が法制上「重要任務」だと位置づけられていることである。
自衛隊・防衛庁は議論を避けるべきでない
私が本稿で書いていることは、本来、自衛隊・防衛庁の側からも語られてしかるべき事柄である。制服組が、いわんや背広組が私見と同じような意見をもっている場合、それを表明することは、シビリアン・コントロールの原則に抵触するものではない。わが国の防衛・安保政策については制服組も背広組ももっと活発に意見表明すべきだと私は考える。なぜなら彼らはその道のプロであり、プロには「タタミの上の水練」派に望むべくもない専門知識と経験とがある。たとえば、ある「海外任務」に五〇〇人の自衛官を派遣する場合、「自己完結性」をもたせようとすれば、差し当たり自衛隊のどの範囲にまでどの程度の影響が及ぶか、また、その任務がどれくらいの期間継続されるか、交代を考慮すると延べどの程度の要員を必要とするかなどは、もっと世間にも聞こえるかたちで議論されるべきだ。それによって国民は、「海外任務」とは言うは易しくして実行には苦労が伴う仕事だということをよりよく理解するはずである。
ところが、その点では防衛庁も自衛隊も広報はうまくない。具体例を出そう。自衛隊の「海外任務」を述べる場合、強調されるのは自衛隊のみが「自己完結性」をもつ組織だという点である。四月号拙稿でも書いたように、それはウソではない。ただ注釈が必要である。自衛隊は駐屯地や基地ごとに「自己完結性」をもつのではない。各地から適性をもつパーツを集めて初めて「自己完結性」が組めるのである。派遣部隊にこの「自己完結性」をもたせるために、自衛隊はあちこちでそうとう苦労し、しわ寄せもある。だが、その側面はほとんど広報されない。だから、世間の側には自衛隊には「自己完結性」がつきものだといった信仰が生まれかねない。これはよくない。
もっとよくないのは、派遣先で自衛隊が「自己完結性」をもちうる存在だと強調されるあまり、じつは「派遣任務」全体で見れば「自己完結性」伝説は怪しいものだという点が暖昧化されている事実である。好例は、自衛隊の長距離空輸能力の貧弱さだ。専守防衛方針下、わが国はそんな能力を必要としなかった。ために現在保有するC-130型機では、中東へ行くのに四泊五日の行程となる。そこで装甲車輛等の空輸のため、ロシアの業者のアントーノフ超大型輸送機が商業ベースでリースされて、日本からクウェートまで無着陸で飛んだ。もう一例挙げるとすれば、派遣自衛官の防弾衣の問題がある。わが国のそれは、基本的に警察仕様のものであった。だが、ピストルではなくライフルが使用されることを考えると、国際基準の軍用防弾衣が必要なことは明らかであった。こういった欠陥は、「海外任務」がますます頻繁化すると予想される今日、国民にもっとよく理解されていなければならない。そういうことは、防衛庁・自衛隊が広報せずして誰が広報するというのか。
わが国に対しては、欧州諸国に対するのとは違って、米国は能力ギャップを指摘することがない。これは、憲法解釈上の理由から、わが国は集団的自衛権の行使は許されないと言い続け、米国の専門家もその点は承知しているので言い出さないまでなのだ。他方、NATOやEUでは米国の単独主義的行動を抑制するためにも、欧州勢が対米軍事能力ギャップの縮小に努めなければならないというのが、合言葉になっている。日本では米国からのそういう風圧が働いていないため、国防を主任務とする自衛隊が持ち合わせている国内装備を――車輛に多少の追加装甲を施したりするものの――そのまま持ち出し、それで「海外任務」に当たろうとしている。しかし、それは必ずしも適策ではない。
いずれ集団的自衛権は行使不可という政府見解は「周辺事態」との関連でも変更されざるをえないし、それは「海外任務」にも影響してくることだろう。そして「海外任務」の難度はレベルアップされることはあっても、その逆ではあるまい。とすれば、「海外任務」用に適した能力という問題は、やはり議論せざるをえなくなる。防衛庁・自衛隊はその議論を避けるべきでない。
佐瀬 昌盛(させ まさもり)
1934年生まれ。
東京大学大学院修了。
成蹊大学助教授、防衛大学校教授、現在、拓殖大教授・海外事情研究所長、防衛大名誉教授。
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