2003年7月号 Securitarian
国防は『自然権』として存在する
博報堂特別顧問・岡崎研究所所長 岡崎久彦
◆国防という概念
――はじめに、国防の概念についてお聞きしたいと思います。そもそも国防という概念はどのように発生してきたのでしょうか。
国防というのは『自然権』です。従って、どうやって発生したか、といえば生命が誕生して以来でしょうね。生命が誕生して以来、個体というものは自己防衛や種族防衛という意識を持っている。つまりDNAに組み込まれているということでしょう。
自然権とは、憲法以前の憲法より強い権利。
自然権とはなにかといいますと、憲法以前の、憲法より強い権利です。人間は呼吸をして食事をして、危険が迫ったら排除する、これが自然権です。これらは法律をもって止められません。当然あるものなのだから、法律でいくら書いたって無意味なんですよ。
これまで、自衛隊は違憲ではないのかという訴えに対して、裁判所はいくつかの判決を出しています。内容は『わが国は独立国として固有の自衛権を有する』。固有とはもともとあるということ。憲法が固有の自衛権を持つといっているのですから自然権を認めたということです。だから自衛隊の根拠法規というのも――もちろん自衛隊法と防衛庁設置法はあるのですが――自然権なんです。
国連憲章の憲章51条にも『加盟国は個別的及び集団的自衛権を持つ』と書いてありますが、英語では"the inherent right of individual or collective self-defence"です。英語というのは難しい言語で、この英文を『個別的または集団的自衛の固有の権利』と訳したから何のことかわからなくなってしまった。それに対して英語とともに国連憲章正文であるフランス語では"droit naturel de defense legitime"と、明確に『正当防衛の自然権』となっています。
――DNAが関係あるのでしょうか。
DNAに関して言えば、シマウマはライオンに襲われると頭を中央に向けて円陣を組み、一致団結して一斉にけ飛ばして抵抗するそうです。本当かどうか知りませんが、この場合の比喩としては適切です。円陣を組むなんていうのは自分たちの仲間を守るというDNA以外には考えられない。
そのときに一頭だけ逃げてしまうと、そのシマウマは四六時中ひとりぼっちで自分を守らなくてはならない。そしていつか食べられてしまう。つまり仲間と一緒に守らないというDNAを持ったシマウマは自然に淘汰されてしまう。
結局、種族とか国家とかを守ろうという概念は、生命が生まれ群れをなして暮らし初めて以来のことです。だから国防意識というのは誰でも自然に持っているものだと思いますよ。
――では日本人と外国人の比較をした場合、根本にあるものは一緒であると・・・。
一緒だと思います。愛国心は誰にもあるんですよ。だって松井選手が大リーグでホームランを打つと嬉しいでしょう(笑)。愛国心がなければ高橋尚子選手が優勝したってあんなに喜ばない。去年のワールドカップサッカー大会の熱狂も同じです。
ただし、子どもの頃から「ライオンだって子どもがいるんだ、たまにはシマウマを食べないと生きていけないんだから、抵抗しないでライオンに食べさせなさい」、とか「シマウマもライオンも平等だからライオンのことも考えなさい。後足でけ飛ばさずに話し合いで解決しなさい」と教え込まれると、素直な者はそうするかもしれない。けれどそれは本来のDNAに反している。そんな考えがDNAに入り込んだら、シマウマはたちまち絶滅してしまいます。
――確かに愛国心の発露は見ることができますが、それが国防意識には結びついていないようにも思えます。
本来は結びつくんですよ。DNAでは(国防意識を持っていることは)間違いない。また、税金を取って国民の治安を守る、軍を持って国民の安全を守るという意味では現実には国家しかない。それは数千年間の歴史上の事実であり、今後何世紀も変わりそうもない現実です。数千年も続くとDNAにも組み込まれているのではないですかね。
国家なるものが唯一有効な防衛の単位。愛国心がない、国防に関心がないというのは教育の部分が大きい。
例えば国家のために死ねるか、といったら死ねる人がいると思いますよ。でも東京都のために死ねる人はいないだろうし、地球のためにとなったら何のことかわからない。つまり国家なるものが唯一有効な防衛の単位なんです。
そうならなくなったのは20世紀に入ってからでしょう。それは結局、愛国心以外の価値があるというイデオロギーが入ってきたからですね。国家や国益中心に考えるか、左翼リベラリズムの言うように個人中心に考えるかということで国防意識が違ってくる。
愛国心がない、国防に関心がないというのは教育の部分が大きいと思いますよ。本来あるものを消しているんですから。
◆国防と、政治・外交・経済との関係
――まず国防と政治についてお聞きします。先生は日本の対外政策について「国際情勢の流れの中で政策決定をすべき。そのためには情勢判断が重要」といった趣旨の発言をされていますが、なぜ日本にとって情勢判断が最も重要なのでしょうか。
物事というのは、筋道がきれいに見えていれば戦略も政策もいらないんです。問題点が全部見えていたら結論はひとつしかないんです。見えている中でいちばんいい道筋を選べばいい。
そう考えると、どうしても情勢判断が優先するんですよ。
大事なことは、大きな流れを見極めて情勢を分析し、その中で日本国民の安全と繁栄をどう最大限に実現するか、という方策を判断する。 これが国家戦略。
日本は戦争に負けるまでは世界情勢を主体的に動かす力があったのですが、今の日本には自分で情勢を作る力がない。日本が何を言ったって何も変わらないですよね。イラク戦争の前でも、真の同盟国ならアメリカに忠告してやめさせろという意見がありましたが、なんの意味もないことです。その結果、日米関係を傷つける恐れがある。
政策とは、極めて簡単にいって国家と国民の安全と繁栄を維持できればいい。それに自由とか独立という概念を加えてもいいんですけど、安全の中に自由も独立も入る。例えば他国に占領されたら自由も独立もないですからね。
そのために大事なことは、大きな流れを見極めて情勢を分析し、その中で日本国民の安全と繁栄をどう最大限に実現するか、という方策を判断する。これが国家戦略です。
――それでは国防という観点から、政治的な判断の元となる外交の果たすべき役割はなんでしょうか。
国防と外交というのは対外政策という意味では一体です。平時の活動としては、外交が情報を収集して、見極めて判断する、ということが重要です。その中で究極的に重要なのが情勢判断なんです。情勢判断というのは、恐らく人類の叡智の中で最高のものでしょうね。時流の流れが全部見えて、天下の大勢の先行きが見える。これはもう韓の張良、諸葛孔明、そういう人物がわかりえたことです。外交の役割とは、どうやってそこに達するかということです。
――先生は著書の中で、いろいろな失敗談を披露されていますが、情勢判断とはそれほどに難しいものなのでしょうか。
確かにいろいろ失敗しましたなあ(笑)。まだ未熟だったんだと思いますよ。若い頃は経験が少ないですから、なんとかして図式的に捉えようとするんですね。理屈と理屈でつなげていく。こうでこうだからこうに違いないとか。これしかあり得ないとか。しかしそれだけでは世の中は動かない。流れが見えればプロなんですよね。今はもう失敗しません。
大きな流れを読んで、次はイラクだという判断がついた。それが9・11直後。
今度のイラク戦争の話をしましょうか。私は、9・11のテロが起こってすぐに次はイラクだとわかりました。しかし、なんでも詳しく読んでいないとわからない。
それはまずアメリカのネオコンサバティブ、特にポール・ウォルフォウイッツ(国防副長官)の記者会見を聞いているとわかったはずです。日本ではアメリカ大統領の記者会見も抜粋しか読まないことが多く、ましてや国防副長官の記者会見まで読む人はいない。ウォルフォウイッツは頭のいい人で、言っていることが論理的で面白いので私は一種のファンとして注目していたのですが、同時に政権の中での発言力も知っていた。だから読んでいた。これだけでも情報のプロでないと分からない話なんです。
その中で大きな流れを読んで、次はイラクだという判断がつきました。それが9・11直後です。
また、大きな変わり目には歴史観とか哲学がいる。それがないと判断を間違えてしまいます。
歴史観で言うと、東大教授の田中明彦氏が冷戦が終わってすぐに出した名著『新しい中世』に詳しいですが、現存の国際法というのは1648年にウエストファリア条約ができて、国家主権、信教平等、内政不干渉でここまできた。その時代がここへ来て変わったのではないだろうかという考えです。つまり、ほんの10年前までは共産主義と資本主義が平和共存していたのに、自由主義的民主制を共通理念とした国家群を形成しようという流れです。こうした認識を持っていないと、正確な情勢判断は難しいでしょうね。
――では経済ですが、最近は日本の不況や中国の台頭など経済地図の変動も起きつつあります。経済は国防にどのように関わり、影響を与えているのでしょうか。
経済と国防というのは、本来無関係です。第一次世界大戦の前にノーマン・エンジェルというイギリスの経済学者が、ヨーロッパ諸国の経済関係、特にイギリスとドイツの経済関係が密接不可分になり、これだけ相互依存関係になってしまったら戦争はもうないと予言しました。しかし実際には戦争になってしまった。
なぜなら、ロンドンでもパリでもベルリンでも、戦争を決めた指導者の頭の中に「経済相互依存関係」などというのはかけらもないからですよ。
国家というものは、自由と独立を守るためには経済関係ぐらいパッと切り捨てる。
だから中国と台湾の関係でいえば、台湾の資本がどんどん中国に流れ、台湾経済が空洞化してしまって、その経済力の差で中国に飲み込まれるという人もいますが、そういうことはない。国家というものは、自由と独立を守るためには経済関係ぐらいパッと切り捨てますよ。 マクロにおいて経済と安全保障は関係ないです。そんなことをいったら、石油をアメリカに依存している日本がアメリカと戦争したんですからね。戦後の反戦平和主義が経済偏重でそういう議論を持ち出したことはありましたけれど。
◆安全保障と防衛力の関係
――世界の安全保障の枠組みはどのように評価されていますか。また日米安保はなぜ重要で、また今後どうあるべきなのでしょうか。
極東の安全保障を考えると、アジアはまだまだ不安定な地域です。ヨーロッパなどは50年間変わっていない。これから50年経ってもNATOの加盟国が増えているかどうかくらいしか変わらないでしょう。
しかし東アジアは不確定要素が多い。中国の将来がまったくわからなくて、朝鮮半島の行方もわからない。それから極東ロシアが復活する可能性もありますからね。いわば独立変数が多い多次元方程式なんですよ。
ところが、その独立変数の中で日米同盟の値が圧倒的に大きい。日米共通の防衛力、それからこの地域の国が必要とする資本も技術もマーケットもほとんど独占状態ですから断然強い。
いかに独立変数が多い複雑な方程式であろうと、ある変数が圧倒的に大きくて安定していれば他の変数を重視する必要はありません。だから答えはひとつしかなくて、中国政策、統一朝鮮政策、ロシア対策をどうするのかと聞かれたら、『日米同盟強化』といっておいたら間違いないんです。つまりいちばん大きな値を安定させると言うことです。
東アジアの安定のためには日米同盟の強化、そして集団的自衛権についてきちっと考えることが必要。
東アジアの将来の安定は、日米同盟対中国の軍事力で考えなければなりません。そこで問題となってくるのが集団的自衛権です。
東アジアでは日本の防衛力はゼロで考えられています。これが集団的自衛権を行使できると決めておけば計算に入ってくる。そうすると東アジアの軍事バランス、あるいはペルシャ湾に至るまでのシーレーンの軍事バランスは、圧倒的に日米同盟が有利になり、それによって地域が安定します。日本の軍事力をゼロで考えて、アメリカがいつ引っ込むかわからないとか言っているから不安定になる。東アジアの安定のためには日本の集団的自衛権についてきちっと考えていく必要がある、それが結論です。
◆現代の国防の概念
――国防の概念は例えば冷戦後、あるいは9・11以降、その時々の世界情勢や出来事によって変化していくものでしょうか。
国防の概念は変わりませんよ。新しい戦争でテロリスト対策が大事であるということはありますけど、むしろ日本の安全を脅かすものはテロだ、と考えてアメリカと付き合うのではなく、日本の最大の同盟国である日米同盟のパートナーがこれだけテロに悩まされているんだからともに戦うということです。同盟の信頼関係ですよ。
――日本における国防の意識は、北朝鮮の拉致問題をきっかけに、今回の米英軍のイラク攻撃を経て動き始めていると思われます。先生は、今後国民の「国を守る」という意識はどう推移していくべきだとお考えですか。
自然体でいいんですよ。例えばイラク攻撃でも小泉首相のアメリカ支持の表明で支持率は上がっていますし、拉致問題でも北朝鮮がどういう国かという認識が深まりました。
ただ、本来日本人が持っている愛国心を意図的に抹殺するようなことはやめなければなりません。男は社会に出ると現実的に判断するようになりますけれどね。「民は賢にして愚、愚にして賢」。民の心の動きは一概には言えません。
――最後に自衛隊と他省庁との連携についてお聞きしたいのですが、国として省庁間のあるべき姿とはどのようにお考えですか。
非常に乱暴なことを言えば、役人がもっと自由に酒を飲まなければダメだな(笑)。役人の特権とは何かというと、お国のことを考えることなんですよ。会社に入ったら会社のことを第一に考えるでしょ、それと同じ。
酒を飲んで国事を論じること、これが結論。
外務省、防衛庁、警察庁、海上保安庁のお国のことを考える志のある人間が、一緒に酒を飲んで国事を論じる。昔はそういうことがあったんですよ。でも最近役人は酒を飲んじゃいけないことになっている(苦笑)。酒を飲んで国事を論じること、これが結論です(笑)。
(取材/長谷部憲司 撮影/井本弘徳)
岡崎久彦(おかざき ひさひこ)
1930年生まれ。
東京大学法学部中退。英ケンブリッジ大学大学院修了。
東大在学中に外交官試験合格、外務省入省。情報調査局長、サウジアラビア大使、タイ大使を歴任。
現在、岡崎研究所所長。
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