日本財団 図書館


1993/04/08 読売新聞朝刊
[自衛隊PKO平和への試練]世界と日本第六部(3)人材供給の壁に(連載)
◆「やりがい」誇る声あるが
 カンボジアの選挙啓発活動に携わる国連ボランティアのSさん(36)(兵庫県浜坂町出身)が、プルサット州バカン郡の下宿で、武装集団の襲撃に遭ったのは二月八日だった。
 午後十一時すぎ、花火のような銃撃音と、地響きを伴うロケット砲の発射音で目を覚ました。窓の向こうで、大きな炎が夜空を焦がした。トランシーバーをつかんで必死に呼びかけたが、応答なし。三十分あまり、部屋で息をころしていた。「逃げた方がいい」。大家さんの勧めで家を飛び出た時、手にしていたのは、トランシーバーと目覚まし時計だけだった。
 ブッシュ伝いに逃げ、茂みに身を隠した。銃撃音がやんで下宿に戻ると、部屋の壁やドアに十数発の弾痕が残り、衣類は散乱し、カメラはなくなっていた。
 看護婦だった島田さんは、中国の一人旅で劣悪な医療環境を目の当たりにしてボランティア組織に飛び込んだ。「望んでここに来たんですから。行けと言われて来た人とは違います」。選挙が終わるまで、帰国は考えていない。
 平和のために、文字通り命懸けで汗を流す日本人が増えている。しかし、その数は「世界の期待から言えば、まだ少ない」(伊藤道雄・NGO活動推進センター事務局長)。
 例えば、国連ボランティア。世界各地に展開する二千五百人のうち、日本人はカンボジアで三十人、旧ユーゴスラビア二人、ソマリア一人。合わせて、わずかに三十三人。
 内戦が激化する旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナ。国連ボランティアNさん(28)(横浜市出身)は首都サラエボ南西約八十五キロのヤブラニツァを拠点に、周辺市町村への救援物資の輸送に奔走する。
 中井さんの別名は「トーシバ(東芝)」。ヤブラニツァのオフィスに無線機、コンピューターなどの日本製備品があふれているので、仲間にそう呼ばれている。「それに比べ、旧ユーゴで国際協力に携わる日本人は国連難民高等弁務官事務所職員を含めても、たった五人」。中井さんは自嘲(じちょう)気味に話す。
 日本テレビの「24時間テレビチャリティ委員会」事務局員からの転身。物資輸送中、五メートル後ろで地雷が破裂したこともあるが、「やりがいのある」持ち場を離れるつもりはない。
 国際平和協力本部は五月下旬までに、UNTACの選挙監視要員約五十人をカンボジアに派遣する。読売新聞の調べでは自治体からの推薦者は十三都県二十人と協力本部のもくろみを下回り、「計算外に多かった一般応募」が穴を埋めた。
 カンボジアの情勢不安定を理由に、職員から公募しなかった東北のある県は「大使館などに問い合わせたわけではないが、新聞報道で職員の身の安全が保てない状況がいろいろあった」(人事課)と話す。選挙の監視、啓発や保健衛生など自治体が持つノウハウと技術への期待は大きいが、つきまとう「危険」が、人材供給を難しくしている。
 停戦監視要員の確保も、頭の痛い問題だ。将校クラスが武器を携帯せずに、停戦協定の順守を監視する。「非暴力の軍事行動」というPKOの理念に基づいた多難な任務をこなすには特別メニューの訓練が必要だ。スウェーデンのPKO訓練センターで研修を受けた陸上自衛官は二十九人。うち二十五人はすでにカンボジアなどで任務につき、残るのは四人。輸送調整部隊の派遣が決まったモザンビークでは当初、停戦監視も検討課題に上ったが、交代要員を送らなければならないほど長期化した場合、要員供給面で不安があったことも事実だ。
 カネだけの貢献から、人の貢献へ。出番が増えるPKOとNGO活動にとって、求められるのは、新しいタイプの「国際人」だ。
(社会部 宍戸 隆夫)
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。

「読売新聞社の著作物について」








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION