1990/10/13 読売新聞朝刊
[社説]自衛隊海外派遣など海部首相は憲法論議に堂々と挑め
「国連が目指す平和は公正な平和であり、平和国家とは、国際社会の一員として平和を守る責任を果たす用意のある国のことであります」
「わが国は、平和回復のための国際的努力を傍観することなく、わが国ができる役割を積極的に見いだし、それを果たしていかなければなりません」
「世界が平和であり続けることで、はじめて資源小国、貿易立国のわが国は、繁栄を享受していくことができるのです。平和を守るための貢献は、国際社会の中で日本が置かれた立場に伴う当然の、必要不可欠なコストと言わなければなりません」
海部首相が、十二日召集された臨時国会の所信表明演説で示したこのような考え方には共感できる。自衛隊の参加を盛り込んだ、今国会の最大の焦点である国連平和協力法案は、こうした認識を具体化する第一歩だろう。
国際社会の正義を踏みにじるイラクの暴挙によって生じた湾岸危機は、首相も演説の中で指摘しているように、「平和国家としての生き方を厳しく問われる戦後最大の試練」をいま、わが国に課していることは間違いない。
しかし、この試練を乗り越えるためには、戦後の冷戦時代に積み重ねられてきた憲法解釈を見直し、「冷戦後」を見据えた新たな平和路線を確立することが急務だ。
たとえば、集団的自衛権の行使を憲法違反だとする解釈があるが、憲法には、そのような明文規定はどこにもない。あくまでも、歴代内閣の解釈に過ぎず、それは「冷戦」という枠組みの中で論理構成されたものである。
いま、その枠組みが崩れ、憲法が想定していなかった新たな国際情勢に対応する必要が生じた以上、国際的な責任を果たすうえでも、解釈の見直しがあってよい。
集団的自衛権を他の諸国なみに無制限に認めるようにせよ、などと言うつもりはない。しっかりした歯止めは必要だ。しかし、少なくとも、今回のような国連決議に沿って湾岸地域に配備されている多国籍軍への支援を可能とする程度の解釈の変更は、検討すべき課題だ。
国連憲章は、加盟各国が集団的自衛権を行使できることを前提に、国際協力の枠組みを定めている。これまでの憲法解釈は、国連憲章との間に乖離(かいり)を生じさせていた。この点についての調整も必要ではないか。
この国会は、国連協力へ向けての憲法論議の好機だ。冒頭に掲げた首相演説は、その意味で、総論としては異存はない。しかし、各論になると首相の姿勢は不鮮明だ。いや、不鮮明というよりも、これまでの憲法解釈を「国民の合意」だとして、論議を回避しようとしているようにも見える。
社会、共産両党などは、自衛隊派遣に反対し政府を追及する構えだが、首相は自ら先頭に立ち、官僚まかせでなく、政治のリーダーシップによって、平和に向けての新しい国民合意を築いていく決意を示してほしい。
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