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2001/11/07 産経新聞朝刊
「国民の教育」対談 渡部昇一氏Vs八木秀次氏(2-2)
 
◆厳しい父親像が秩序感覚培う
――渡部先生は「厳しい父親像」を求めていられますが。
 
 渡部 秩序感覚が培われるからです。僕が知ってる石原慎太郎さんや竹村健一さん、佐々淳行さんらの家庭の共通点は、父親が奥さんに立てられていることです。この秩序感覚が特に男の子にとって重要な気がします。父親が母親の尻に敷かれている、あるいは尊敬されていないような家庭だと、男の子は心の底にルサンチマンを持ち、それが後で家庭内暴力になるんだろうと思います。父親が立てられている姿を見て育った男の子は、いろいろ不満があっても、秩序感覚が満たされていますから、家庭内暴力には発展しない。うちも男の子が二人いますが、家庭内暴力なんて起きません。自分も父親になることを本能的に知っているからでしょうね。
 
 八木 学級崩壊の原因の一つに家庭教育があることは間違いありません。小学校に上がるまでに、秩序感覚を体で知るという経験がないと、教室で五十分間じっとしていることもできない。家庭でちゃんとしつけておかないからです。戦後教育は、自由がいいとか、個性を大切にとか言うだけで、人間としての型を身につけることをおろそかにしてきた。その結果が学級崩壊という現象です。教育問題というと、とかく学校の問題としてとらえがちですが、教育の基本は家庭にあるということを親自身が自覚しないといけませんね。
 
――男女共同参画の家庭教育は。
 
 渡部 だめですね。三、四十年前までは、男女の別ははっきりしていました。男女共同参画が可能だといわれるようになったのは、最近の自然科学の発達だけによるものです。長い過去を背負っている人類のDNAは変わりっこない。女は母乳が出るが、男は出ない。今はミルクがあるから男も共同参画しようというんだけど、女はせっかく出る乳をなぜ子供に飲ませようとしないのか。これは生物学的にもおかしい。
 
 八木 家庭の中で夫と妻の役割を全く同じにしようという考え方では、家庭内の秩序がなくなります。そういう家庭に育った子供に、秩序感覚が身につくはずがない。しかし、それを今の政府は率先して進めようとしている。笑えない話です。
 
――運動会で男女一緒に徒競走をやっている学校もあるが。
 
 渡部 あれは絶対によくない。生物学的な原則を無視しています。大体、十四、五歳までは、知能も体も女の子の方が成長が早く、その後は男の子がガーッと伸びるんです。そのことを視野に入れないでそんなことをさせると、男の子の方に刷り込みができてしまいます。女は強いとか、頭がいいとかいう刷り込みです。これが怖い。
 
 八木 今の若い人たちのセックスレスもそれと関係がありますか。
 
 渡部 大いにあります。
 
◆歴史への誇りは自然に持つもの
――戦後の歴史教育については。
 
 渡部 ジェフリー・アーチャーの「ロスノフスキー家の娘」という小説は、アメリカのホテル王になったポーランド人、アベルの娘、フロレンティーナの物語です。この娘は学校へ行くと「ダム・ポーラック」とばかにされます。「愚かなポーランド人」という意味です。それでアベルは娘に優秀なイギリス人の女性家庭教師を付けますが、その家庭教師はこう言います。「たった一つ、私に教えられない科目がある。それはポーランドの歴史です。私はイギリス人だからポーランドの誇りを教えることができない。それができるのはお父さん、あなただけです」と。
 そこで、ホテル王は毎朝三十分ほど時間をさいて、娘にポーランドの歴史を教えるわけです。ポーランドが強力なロシアやドイツにはさまれ、ひどい目にあいながらも、いかにアイデンティティーを失わずに頑張ってきたかという歴史です。
 その後、学校の歴史の試験でフロレンティーナが一番いい成績を取り、同級生は「ダム・ポーラックがいい成績を取った」とはやし立てたが、フロレンティーナが「ポーランドの歴史は何千年もあるが、あなた方アメリカの歴史はたった二百年しかない。私がいい成績を取るのは当たり前でしょう」と言ったら、みんなシーンとしてしまったという話です。
 日本の歴史はポーランドよりもっと誇るべきものがあるのに、それを教えようとしない。
 
 八木 今回の本のタイトルはまさに、今の教育で失われているものを示唆していると思います。「国民の教育」、つまり国民を育てる教育です。戦後教育というのは、国民を育てようとしてこなかった。自分が帰属している国家に対する愛情、歴史に対する誇り、先人に対する敬意といったものを教えてこなかった。むしろ、その逆のことを教えてきたといえます。
 子供は自然に育てば、自分の属する共同体への愛着を持つものです。自分の親をよそのおじさんやおばさんから非難されて、心地よい子供は一人もいません。それと同じように、自分の国に対する誇り、自分の国の歴史に対する誇りというものを、ごく普通に持っているのです。
 私の子供はまだ小さいので、「クオレ物語」などを読ませています。あの中に「少年愛国者」という短い話があります。イタリア人の少年が外国人の大人たちからイタリアの悪口を言われ、その前にもらったお金を投げ返すという話です。子供は本来そういうものだと思いますが、戦後教育はそういう素朴な国家に対する愛情を意識的に壊そうとしてきた。日本の歴史では常に虐げられた人々がいて、その人たちが権力に立ち向かったことを繰り返し教えてきた。古墳について教えるにしても、古墳をつくるのにどれだけの民が苦しめられたかと教える。江戸時代は一揆、明治以降になると対外侵略ばかりを強調する。そんな戦後教育はもう犯罪的だとさえ言っていい。
 
 渡部 二十年ぐらい前のことですが、大学当局から入学試験問題には「帰化人」という言葉を使うなという要請がありました。「渡来人」を使えというのです。しかし、大陸から渡来した人はほとんど日本にとけ込み、帰化しています。
 イギリスやオランダにおけるユグノーの歴史を見れば、よく分かります。ユグノーはフランスのカルヴィン派です。勤勉で技能も優れていたが、宗教弾圧でイギリスやオランダなどに追われ、それぞれの国の工業発展に貢献した。フランスから渡来したユグノーは完全にナチュラライズしてイギリス人、オランダ人になった。「ナチュラライズ」は「帰化」と訳すべきであり、「渡来」と訳してはいけません。「帰化人」を「渡来人」と言い換えてもいけないのです。
 
 八木 左翼的な市民運動団体は日本の全体からみるとごく少数です。しかし、その少数の考え方が教科書にそのまま反映され、あたかも真理であるかのように子供たちに教えこまれている。この回路を断ち切らない限り、わが国の教育は正常化しません。
 
◆教育学が悪い 教師の免状要らぬ
 渡部 教育学が悪い。国立大学の教育学部を出た人を進学塾が雇いますか。実力のない先生は雇えないでしょう。だから教育学は要らない。あってもいいが、教育学の単位を取らなきゃ先生にしないなんて、そんなばかなことがあってはいけない。塾や私立学校の責任者がこの人はいいと思ったら先生に雇い、だめなら首にする。それで十分です。塾や私学の責任者がだめな場合は、つぶれますから心配要りません。
 ただ、何を教えているかという透明度は必要です。変なカルト教育なんかやられたらたまりません。透明度が保証され、父母の参観が自由であれば、教師の免状なんて要らないんです。
 
◆素朴な国民感情が何よりも大切
 八木 私は子供を近所の私立学校に通わせていますが、ちょっとした問題があり、理事長と校長と担任の先生の三人に「建学の精神に戻ってください」という手紙を書いたことがあります。子供が入学するときに創立者の書いた本を買わせられたのですが、創立者は実に立派な方でした。「ここにこんな素晴らしいことが書いてあるのに、今は何ですか」という内容の手紙です。そうしたら校長に呼ばれ、「ただちに創立者の本を全教職員に読ませ、リポートを書かせることにしました」と言われ、その後は実によくやっていただいています。公立も、こうした親の監視ないし支援を受けるべきです。親は学校にまるごと子供を託すのではなく、先生に世の中の常識を教えてあげなきゃいけない。社会主義圏がつぶれても、いまだに社会主義がいいと思っている先生もいます。そういう世界に外から風を送って、世間の常識というものを教えてやれば、学校が再生する道はあると思います。
 
 渡部 親は子供を学校に預けるとき、「校長に託する」と明確にすべきです。校長に託したんだから、個々の先生が何を言おうと、校長が「この先生は向かない」と思えば教壇から外す権限を与える必要があります。
 もちろん、国を否定する思想自体を禁じてはいけないんであって、そういう先生たちはそういう私立の学校をつくればいい。そこに子供をやりたい親がいたら、それはしようがない。しかし、そういう親はあまりいませんから、心配ないと思いますよ。
 そういう人たちの歴史観を山本夏彦さんは「引かれ者史観」と言っています。戦前、そういう人たちはコミンテルンの指示に従って皇室を廃止し、ロシア革命みたいなことをやろうとしたために、ひっくくられた。その引かれ者が戦後、大きな顔をして、日本否定の引かれ者史観を唱えている、というわけです。
 
 八木 現在の公教育は学区を決められ、そこに住んでいる限りは決まった公立学校に行くしかない。担任の先生も選べない。たまたま当たった先生が強烈な組合活動家だったら、もうお手上げです。親に選択権を与えるべきです。
 何年か前に私のゼミの女子学生が、自分は小学校低学年のころは日の丸が好きで、「白地に赤く日の丸染めて」という歌をオルガンで歌っていたが、高学年になって先生から「これは戦争の旗」「人殺しの旗」だと教えられ、悲しい思いをしたという話をしたことがありました。子供というのは、よけいなことを先生が教えなければ、素朴に自分の国に対する愛情を持つのです。それをねじ曲げて、自分たちのイデオロギーの色に染めようという教育が、公教育の場で行われてきたわけです。
 
 渡部 犯罪です。オリンピックで日の丸の旗が揚がれば、みんな喜びます。大リーグで野茂やイチローが活躍すると、みんな喜ぶじゃないですか。あれは素朴な感覚です。
 
 八木 イチローに拍手しながら、「中国を侵略しよう」なんて考える人は一人もいません。
 
 渡部 これからの教育は、そういう素朴な国民感情を何よりも大切にしなければなりません。
◇渡部 昇一(わたなべ しょういち)
1930年生まれ。
上智大学文学部卒業。同大学大学院英米文学科修了。独ミュンスター大学大学院英語・言語博士課程修了。
現在、上智大学名誉教授。
◇八木秀次(やぎ ひでつぐ)
1962年生まれ。
早稲田大学大学院博士課程で憲法を専攻。
人権、国家、教育、歴史について、保守主義の立場から発言している。著書は「論戦布告」「誰が教育を滅ぼしたか」「反『人権』宣言」、共著に「国を売る人びと」「教育は何を目指すべきか」など。「新しい公民教科書」の執筆者。フジテレビ番組審議委員。


 
 
 
 
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