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2000/05/10 産経新聞朝刊
【正論】臨教審の「個性重視」路線を見直せ 本来の姿に立ち戻るために  高崎経済大学助教授 八木秀次
 
◆目を覆うばかりの現状
 教育への関心は高いのに教育の根本が忘れられている。つまらぬ虚栄心より子供を幼児期から「お受験」に駆り立てる親はごまんといるが、我が子を人たらしめようとしている親は少ない。親のみではない。教師も、社会も、教育行政を預かる文部省も、次世代の国民である子供たちを人たらしめようとは考えていない。
 古来、教育は知育・徳育・体育からなるものと言われている。しかし今日、何れの面においても子供たちの現状は目を覆うばかりである。学力は著しく低下し、簡単な漢字が書けなかったり計算ができない若者に出くわすのは一再でない。活字はおろか漫画さえ「読む」のが苦痛な若者も増えている。「学級崩壊」は今や当たり前に見られる現象となってしまった。少年犯罪は凶悪化し、毎日のように報じられている。街や電車には怠惰そうな中高生が溢れ、傍若無人に振る舞っている。基礎体力も低下し、睡眠不足なのか、子供たちは朝から疲れ切っている。
 子供たちはどうしてこんなふうになってしまったのだろう。何よりそれは大人自体が子供への関心を失っているからではないのか。大人は実は自分のことにしか関心がなく、子供たちを次の時代を託す存在だと認識しなくなっているのだ。
 親は子供のことを自分を飾るアクセサリーか、自分を癒してくれるペットのような存在としか考えなくなっている。子供を一人前の人間として自立や社会化させるのではなく、文字通り「猫かわいがり」し、自分の手元に置いて、その一時だけ「かわいい」と感じる存在であればいいと思っている。子供の欲望に寄り添い、欲しいと言う物を買い与え、食べたいと言うものを食べさせる。そしてそれを子供への「愛情」だと思いなしている。あるいは子供の欲望をコントロールできずに、子供の前に立ちすくんでしまっている。
 
◆勤勉性、忍耐性の減退
 教師も社会も同様である。子供の「人権」を声高に唱える一部勢力の主張を恐れて、結果として子供のやりたい放題の欲望に迎合してしまう。また「所詮他人の子供のすること」と無関心でいるのが社会の了解事項になってもいる。
 しかしこれらは大人としての責任の放棄でしかない。大人には少し先を生きるものとして子供たちを一人前の存在にするよう導く責任がある。しかし今の世の中、責任逃れの口上はいくらでも用意されている。「個性尊重」はその最たるものである。
 「個性尊重」という悪しき人権主義は今次の教育改革の基本理念でもある。昭和六十年六月、臨教審第一次答申は「教育改革の基本方向」として「個性重視」を打ち出した。現在文部省が推し進めている教育改革はこの路線を更に発展させたものである。そこでは「生涯学習」社会における「ゆとり教青」の推進が提唱されている。
 ここでいう「生涯学習」とは何も学齢期に勉強しなくとも生涯のどこかで学びさえすればよいという考え方だ。皆が共通に学ぶ事項は大幅に減らして「ゆとり」を設け、それ以上学ぶも学ばないも子供たちの「自己決定」に任せるというものである。
 「個性重視」も「ゆとり」も言葉としては耳に心地よく、多くの人が好意的に受けとめている。しかし「個性重視」路線が子供たちにもたらしたのは学力低下とともに、勤勉性と忍耐力の急激な減退である。東京都の調査によれば中学二年生で家で全く勉強しない子供の割合は平成四年には二七%だったものが、平成十年には四三%にも上昇している。学齢期に勉強せず、大半の子供たちは「ゆとり」をもてあましてテレビとゲームに費やしている。平成十四年四月より「ゆとり」教育は一層推し進められ、義務教育での学習内容は現在より三割も削減されることになる。
 
◆免罪符を与えるなかれ
 森首相は就任の所信表明演説で教育問題を内閣の最重要課題と位置づけ「教育の目標は、『学力だけが優れた人間』を育てることではなく…」と述べている。しかし首相の発言はそうでなくても勉強しなくなっている子供たちに免罪符を与えるだけだ。首相の認識とは異なり、現下の問題は、子供たちから社会生活を送っていく上での必要最低限の基礎学力でさえ(それを身に付ける勤勉性や忍耐力とともに)急速に失われ、規範精神も失われているということである。
 そもそも人を人たらしめることを旨とする教育にはむやみに「個性重視」なぞ持ち込んではならなかったのではないか。「個性」とは野放しで育つものではなく、厳しい試練の末に花開くものでもある。矯正しなければならない「個性」もある。その意味では大人は子供たちにたとえ嫌われても将来のために必要と思えば無理に強いて教え込むということも厭ってはならない。
 今、教育を「再生」させなければ子供たちの荒廃は一層激化し、取り返しのつかないことになるだろう。前内閣から引き継がれた「教育改革国民会議」には臨教審以来の「個性重視」路線を大幅に見直し、人を人たらしめるという教育の本来の姿に立ち戻ることを期待したい。(やぎ ひでつぐ)
◇八木秀次(やぎ ひでつぐ)
1962年生まれ。
早稲田大学大学院博士課程で憲法を専攻。
人権、国家、教育、歴史について、保守主義の立場から発言している。著書は「論戦布告」「誰が教育を滅ぼしたか」「反『人権』宣言」、共著に「国を売る人びと」「教育は何を目指すべきか」など。「新しい公民教科書」の執筆者。フジテレビ番組審議委員。


 
 
 
 
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