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1999/04/28 産経新聞朝刊
【正論】成城学園長 本間長世 「教育論」再検討のとき 教養教育の意義見直そう
 
◆国際的視野での議論
 日本だけのことではないが、初等教育から高等教育に至る学校教育が何を目指し、いかに目標を達成すべきかについて、われわれは現在、良くいえばひとつの転換期に面し、悪くいえば深刻な混迷状態に陥っていると思う。
 一月の英字新聞の記事に、欧州議会のメンバーのひとりが、ヨーロッパの最も危険な弱点は大学が国際競争力を失い、米国に大きく抜かれていることだと憂えていた。ところが、世界のトップ十大学の一つに数えられているシカゴ大学が、米国内の諸大学間の競争に勝ち残るために、進学を志望する高校生をひきつけようと、必修カリキュラムを軽減してレクリエーション施設ないしサービス施設の充実に努めているという新聞記事も、私は読んだ覚えがある。教授および出身者に授与されたノーベル賞の数で他の諸大学を圧しているシカゴ大学が、学生獲得のため必死になっているのだとすれば、これからの大学はいかにあるべきかについて、日本でも国際的視野に立って議論を進めねばならないだろう。
 
◆教育論のキーワード
 この数年間、日本での教育論のキーワードは、「生きる力」であり、「ゆとりある教育」であり、「個性尊重」であり、「創造性」ないし「課題探求能力」だった。「教養」は死語と化すかと思われたが、最近になってやや息を吹き返し、昨年十月に出された大学審議会答申でも教養教育の理念が高く評価されるようになった。けれども、大学卒業生を採用する企業側では、「即戦力」ないし「専門性」を求めるようになっているという。一体、これらのキーワードを矛盾なく盛り込んだ教育プログラムをつくり、実行し、成果を上げることができるものだろうか。「心の教育」はいじめ対策に、「総合学習」は詰め込み教育批判への対応にというような、いわば対症療法を次々と打ち出してきているという印象は否定できないのではないか。
 「ゆとりある教育」を実現するために、学習指導要領を改訂して、学習すべき知識の量を大幅に削減したことは、偏差値偏重による教育の歪みを是正する対策として理解できるが、将来に向けての日本人の人材育成という観点からすれば非常に不安である。日本人が生まれ持った資質が大きく変化したわけではないはずだが、「知識社会の到来」といわれる時代に教育内容をあえて低下させるのは、人材の国際競争力を政策的に落とすことになりはしないか。
 スポーツで良い成績を上げた若者は称賛され、激しい練習に打ち込んでも「ゆとりあるスポーツ」をすすめられることはない。音楽のコンクールに入賞するには、並々ならぬ練習が不可欠であろう。知力に恵まれた子供が、やがて人一倍の努力で学術の研究に励むことができるためにも、基礎学力はしっかりと身につけさせなければならない。さまざまな分野で抜きんでた能力を持つ子供を、悪平等主義で押さえつけてはならないし、やがて一般市民となる大多数の人びとの知性、感性、徳性も十分に培って行くべきであろう。
 
◆世界に貢献できる人材
 大学における教養教育についても、長期的にみて日本が二十一世紀の国際社会で存続し、繁栄し、世界に貢献できるための人材を生み出すための基盤教育として、これまで論じられてきた以上に深く考える必要があると思う。大学カリキュラムの中の教養課程が崩壊し、今になって再び教養教育が重視されかけてきた状況で思い起こすべきは、戦後新制東京大学教養学部の後期課程として設置された教養学科の教育であろう。その教育理念は、旧制高等学校の教育の良き部分を受け継ぎ、専門を深めるのは大学院に進んでからでよいとして、広くさまざまな学問分野について学び、少人数教育で先生および友人との学問的および人間的ふれ合いを深め、外国語学習に力を入れて将来国際社会で活躍する人材を育成することだった。この試みが成功を収めたことについては、かつて猪木正道先生が、戦後の教育改革の中で最も大きな成果を上げたと評されたことがある。
 教養学科の教育は、米国における「リベラル・アーツ・エデュケーション(適当な訳語をつけることが難しい)」に通じるところがある。米国が生んだ卓越した心理学者・哲学者ウィリアム・ジェームズは、二十世紀の初めに行った講演で、大学教育を修めた者は立派な人に会った時それと分かる見識を備えると述べた。知識ではなく見識である。先に述べた東大の教養学科で哲学を教えた大森荘蔵は、「自然万象・人事百般についての優れた意見を持つ。それが教養なのである」と述べ、知識ではなく思想としての教養の意味を説いた。もちろん無知の上に意見は成立しないことを承知の上の話である。
 このような考え方は、企業のいう「即戦力」とは真向から対立するだろう。けれども、私が尊敬するビジネス・リーダーたちの中には、日本のビジネスに求められているものとして、まさにジェームズ流ないし大森流の教養を備えた人材を考えている人びとが多い。教育論の再検討をすべき時ではないだろうか。(ほんま ながよ)
◇本間 長世(ほんま ながよ)
1929年生まれ。
東京大学教養学部卒業。米国コロンビア大学大学院博士課程修了。
東京大学助教授、教授、教養学部学部長を歴任。東京大学退官後、国際交流基金日米センター所長、成城学園長を歴任。


 
 
 
 
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