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2003/01/29 産経新聞朝刊
【正論】評論家・秀明大学教授 西部邁 教育改革の要諦とは何か
 
◆アメリカは一種の左翼国家
 敗戦の翌年にアメリカから教育使節団がやってきて、その意向を受ける形で教育基本法が作られたことはよく知られている。そうであればこそ、その法律の前文には、アメリカ製の日本国憲法と同じ趣旨が、つまり「個人の尊厳」や「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化」を教育においてめざすべきことが、高らかに謳(うた)われている。
 さらにその第一条では「人格の完成」、「個人の価値」そして「自主的精神」が持ち上げられ、第二条でも「自発的精神」の大切さが強調されている。総じていえば、この法律によって示されている教育理念は、アメリカ流の「個人主義と自由主義」を普及させる点にあるといっても少しも過言ではない。
 いわゆる日教組教育における左翼的偏向が反左翼の牙城ともいうべきアメリカによって推奨されてきたのだ。この思想上の矛盾はどうすれば解かれるのか。答えは簡単であって、アメリカは一種の左翼国家であるとみなせばよいのである。それもそのはず左翼とは、自由・平等・博愛をはじめとする近代主義の人工的な観念をできるだけ純粋に追求しようとする立場のことにほかならない。そしてアメリカは、その純粋の近代化をよしとする左翼的偏向を個人主義と自由主義の方向に求めたのである。したがって冷戦構造なるものも、左翼の内部における個人主義・自由主義と社会主義・統制主義とのいわば内ゲバとみなければならない。
 
◆自主性の尊重と伝統の尊重
 教育基本法に顕著にみられるアメリカニズムとしての左翼主義がいわゆる「構造改革」の全域を覆ってきた。そんなことは、たとえば市場機構を礼賛する動きのなかで「個人の自由」がどれほど尊ばれたかをみれば、一目瞭然(りようぜん)であろう。そうならば、教育基本法に根本的な改正を加えることと構造改革を相も変わらず推進しつづけることとのあいだに、大きな矛盾があると察知したらどうなのか。
 その改正の骨子は「日本国の伝統の尊重」という条項を付け加えることであるらしい。第一に問われるべきなのは、構造改革運動が、たとえばグローバリズムへの迎合にみられるように、日本国の伝統を破壊することに精出してきたのに、子供たちに伝統を尊重せよと教えるのは、二枚舌あるいは分裂症の振る舞いではないかという点だ。
 第二に問われなければならないのは、自主性(あるいは自発性)の尊重と伝統の尊重のあいだに、両者を単に並記しただけでは、矛盾が生じるということについてである。伝統の乏しいアメリカでは、「人格の完成」などという夢想にふけって、立派な個性を立派に発揮するのが自主性であるとする偽善的なヒューマニズムが通用している。必要なのは、「健全な個性は堅実な伝統のなかで育つ」とみる視点である。その視点を確立するには、まず、アメリカニズムという名の左翼主義に骨がらみに染みついている反伝統的な傾向に根本的な疑念を寄せなければならない。
 
◆独創性教育という空語
 そうわきまえれば、「独創性教育」などを軽々しく口にするな、ということになる。オリジナリティー(独創性)とは、原義としては、「物事のオリジン(源泉)であること」にほかならない。問題はその源泉を、社会という空間や歴史という時間から独立した個人の自由な発想に求めるか、それとも歴史のなかを流れ来たり社会のなかに保存されている伝統の(現在の状況における)引き受け方に求めるか、ということである。旧ソ連型のであれ現アメリカ型のであれ、左翼主義から訣別するものはもちろん後者をとる。
 独創性教育は、少なくとも世間に流布されている種類のものは、アメリカ型の人間観に立っている。その観念にもとづいて、いわゆる創造的破壊のことを「破壊から創造が生まれる」ことと解し、それに熱中するヴェンチャー・スピリット(向こう見ずの精神)と称してもてはやしてきた。それが構造改革のいつわらざる姿であった。
 創造的破壊とは、その語の創始者であるシュムペーターにあっては、「創造は破壊を伴う」ということにすぎなかった。ここでも再び問われなければならないのは、創造の源泉が個人の欲望にあるのか、または(欲望の優劣を判断する基準のことも含めて)歴史の伝統にあるのかということである。
 アメリカニズムへの批判精神を愚かしくも持ち合わせない、あるいは臆病(おくびよう)にもひた隠す連中の教育改革論は願い下げである。(にしべ すすむ)
◇西部 邁(にしべ すすむ)
1939年生まれ。
東京大学経済学部卒業。
東京大学教授を経て、現在、秀明大学教授。評論家。


 
 
 
 
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