2000/04/12 産経新聞朝刊
座談会「教育憲法を考える」(3-2)憲法と基本法は国家の両輪
中曽根康弘(元首相)
西部 邁(評論家)
松井 孝典(東大教授)
松本 健一(評論家)
松本 個人主義とか、デモクラシーとかも強烈なイデオロギーで、国家をデザインする。人間もそういう近代主義共同体から切れた風につくり上げるという設計主義が教育基本法の考え方だと。
西部 第一条に「自主的精神」が持ち上げられ、第二条では「自発的精神」が礼賛される。自主・自発の果てに良きものが生まれるという人間性に対する途方もない楽観主義がある。もちろん人間は自主的で自発的なものだが、歴史的規範から断ち切られたときに、人間の自主性、自発性はある場合には破壊的、退廃的なものになりかねない。もっというと、そういう意味で人間というのは知性と徳性において不完全きわまるのだと知るべきです。
松本 今の教育で育った子供たちは、最終的に守るべきものは何かと突きつけられたら、自らの育った共同体とか、国家とかの共通の価値ではなくて、個人の権利だけになっている。それがこの基本法では肯定されているわけでしょう。子供たちの精神的な退廃、道徳的な腐敗というものは、根っこには教育基本法があると思いますね。
中曽根 だけどね、西部さん。やはり教育の本質を考えると、人間の性善説とか、楽観主義というか、そういうものも大事な要素であると思うんです。人間は、過去を引きずってると同時に未来に対する創造性もある。性善説とか、楽観論とかとつながらないと新しい発明はないし、創造はない。
松井 教育基本法にも「国民」という言葉と「個人」という言葉が出てくる。国民は、近代が規定した。いわゆる個人という意味の人間像ではなく、共同体の中の一員として他とのかかわりで規定されている人間像のはずです。一方、個人は、書いた人がどう思ったかは別にして、人間とはかくあるべきという、そういう理想的な人間像だろうと思います。
第一条をみると国民と書かれている。ここで初めて国民という言葉になるんですね。個人ではなくて。前文では出てこない。国民とか国家は。第一条から国民とか国家という言葉が出てくるわけです。これもなんか構成として矛盾しているように思います。
西部 というより、何も考えていなかったんじゃないですか(笑い)。
松井 個人が主体という「人間圏」を考えると、これはシステムとして非常に不安定。必ずある種の共同体が必要になる。それが国民国家だったわけですね、二十世紀は。人工的につくった国家であるとか、自然発生的なものとかあるけれど、ある種のユニットだった。そのユニットが個まで分解されちゃったら非常に不安定で、崩壊につながっていく。
松本 孤立した人間で考えるのではなくて、共同体の中の人間を考える、そのように教育をとらえるならば、共同体のなかで生き抜くために人間は何をしなければならないのか。国民といわなくてもいい、村共同体も職場も人間関係があるから、そういう他者との関係も含めた形で教育を考えなければならない。
松井 日本国の国民を教育するという視点がない。それが個人と国家という言葉遣いに表れている。
松本 深読みかもしれないけれども、国民教育は戦前のドイツが徹底してやったわけですね。これに対する嫌悪感というか、反発というか、そういう形で日本も人間を悪く育てた。だからその「国民」を全部抜きにしようというか、抹殺した思想で前文は書かれているような気がします。
中曽根 法律に歴史とか、文化とか、あるいは集団生活の中における人間とか個人というものの関連の言葉がなければいけないはずです。
松本 戦後の学問で、例えば大塚久雄さん(注5)や丸山眞男さん(注6)は、共同体を解体しなければ近代的な個人は生まれないし、市民社会は生まれないというテーゼを立てたわけですね。その結果としては、全部砂粒のような個人になっちゃうんじゃないか、と私が大塚さんが生きているときに書きましたらね、「いや、自分はそういう意味で砂粒のような個人をつくるということはまったく考えていなかったんだ」と、ちょっと自己反省的に述べておられました。
中曽根 もう古いものですよ。
松本 三月末に発足した小渕内閣の諮問機関・教育改革国民会議(注7)は内閣が代わりましたが、どう考えますか。
西部 そうですね。中曽根先生からしかられるでしょうが、僕はあまり期待していないんです。平成はもう十二年ですが、政治改革など、この間のさまざまな改革運動は、世界主義と個人主義によって率いられていたんですね。その果てしなき不毛ぶりに対して猛然たる批判が含まれていなければ、あるべき憲法とか教育基本法にたどりつかない。
これまでの数々の改革のいわば「戦後」の延長線上として論じられているから、期待できない。もちろんこの課題を引き受けるべきは、広い意味での知識人のはずなんですが、十中八、九まで、世界主義と個人主義に寄り添う形で改革にコミットしたり、引きずられたりした人々が、今度は憲法を論じたり、教育を論じたりしているわけです。
中曽根 私が首相の時に臨教審を作りましたが、会長に文部省は学者を推薦した。私は学者じゃだめだと。土光敏夫さんがメザシを食べて行革をやって国民が感動したように国民参加型にしないと成功しない。
しかし、私らが推薦した財界人が遠慮してならなかったんですよ。第二番目は、どういう思想、どういう哲学でやるのかを固めなければできない。私は思想、哲学の委員会を作ってくださいと頼んだんだが、だめだった。臨教審の失敗はこうであったから、それを繰り返すなよと激励してます。これから何が出てくるか、刮目(かつもく)してみてようじゃないですか。
西部 少し乱暴なことを言うと、今の改革派はアプレゲール(注8)です。アプレゲールとは大戦後派という意味でしょうが、国民会議のメンバーはほとんどアプレゲールです。自分がアプレゲールであることについての自己批評がないものが教育を論じてはなりません。
松本 あとは文部省の人脈というか、これまでの近代主義路線を引き継いだ形でせいぜい六・三・三制をちょっと手直しするとか教育制度をいじるのがせいぜいではないか、という気がするんですね。
西部 彼らの教育思想はおおむね独創性や自主性を重んじることです。戦後の左翼主義が薄められた形でまん延しているんです。これまでの学校制度は管理主義的で子供たちの自主性、創造力を失わさせてきた、子供たちにもっと多くのチャンスを与えよう、というところで世界主義なり個人主義と結合するという考え方が結局は出てくるんじゃないか。
中曽根 そういう心配はあると思うが、自民党も五年ぐらい文教制度調査会でずっとやってきているんですよ。それは大体、われわれと同じ方向に来ているんです。この自民党の考え方を選挙で示し、連立与党と話し合いをして選挙の結果にもよるけれども、政策として出してくる。そうすると、国民会議はその途中にあるわけで、党でやっているものを無視してはできないと思うんです。
松井 ただ、委員が二十六人もいたら根っこと幹の議論までいかないでしょう。委員の意見のスペクトルが広すぎちゃって。本気でやるなら、もっと人数を絞り込んで、根っこと幹をちゃんとつくらないと。僕の経験からいったら、この人数では本質的な議論のまとめはできないでしょう。
◆注5 西洋経済史家。その共同体論、近代化論は「大塚史学」と呼ばれた。(一九〇七−一九九六年)
◆注6 政治学者。超国家主義批判で戦後の政治運動に影響を与えた。(一九一四−一九九六年)
◆注7 首相の私的諮問機関。今年三月末、江崎玲於奈元筑波大学長を座長に委員二十六人で発足した。
◆注8 第二次大戦後の若者の放縦で退廃的な傾向の人をいう。
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