1997年7月号 正論
検証・中学校社会科教師用指導書 慰安婦と教科書騒動をめぐって
明星大学教授●高橋史朗(たかはし・しろう)
今春から使用されている中学校社会科の教師用指導書が昭和五十七年の教科書誤報事件と「従軍慰安婦」問題についてどのように記述しているか、七社の公民及び歴史的分野の指導書を検証してみたい。
まず教科書誤報事件について記述しているのは、清水書院一社で同教師用指導書(公民的分野)は「教科書問題」に関する「事項の解説」として次のように述べている。
日本の教科書が、植民地支配やアジアヘの侵略を、文部省の検定により「進出」と書き換えさせられたことについて、一九八二年、歴史事実を歪曲していると中国・韓国をはじめ、アジアの諸国から批判されたこと。これに対し、日本政府は、それが侵略だったかどうかは「後世の史家の判断をまつ」と表明し、アジア諸国からの激しい反発を呼び起こした。・・・教科書問題も、このような日本政府の歴史認識から引き起こされたものである(三一二頁)。
ちなみに、同教科書は「教科書問題」について次のように記述している。
文部省の検定によって中・高生向けの社会科教科書のアジア侵略などの歴史の記述が書き換えられたことに対し、一九八二年アジア諸国から「歴史的事実の改ざんは許されない」と、批判があがった(二二六頁)。
いずれの記述も事実を正確に述べたものとはいえない。ところが、琉球大学の高嶋伸欣教授は、この教科書の「記述は、きわめて正確なのです。それなのに、『産経』は、これを八二年夏の『教科書事件を指すとみられるが』と勝手に読み換えて事実に反するとしている上杉千年氏の主張を大きく報道したのです。・・・『侵略→進出』の書き換え事例があったことを『産経新聞』が知らないはずはありません。読者にその事実を隠し続けている『産経』こそ、悪質で教科書を論じる資格なしです。この件で『産経』に同調している藤岡氏、高橋史朗明星大学教授・・・なども同様です」(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会編集・発行『教科書から消せない戦争の真実――歴史を歪める藤岡信勝氏らへの批判――』青木書店)と批判している。
しかし、「勝手に読み換えて事実に反するとしている」のは一体どちらのほうなのか。昭和五十七(一九八二)年のアジア諸国からの批判は、明らかに後述するマスコミの誤報によって生じたものであり、前年度の検定対象には中学校教科書は含まれていなかったから、「中・高生向けの社会科教科書のアジア侵略などの歴史の記述が書き換えられたことに対し」批判があがったというのは、明らかに事実に反している。
問題の核心は誤報にあった
高嶋氏はさらに、次のように主張する。「八一年度検定でも『侵略→進出』と書き換えさせられた事例があったのです。それは世界史教科書(帝国書院)の東南アジア戦線の記述部分です。この事実は、八二年八月九日の文部省見解でもはっきりと認識されています」
この文部省見解は、「中国が例示している『侵略』を『進出』に改めた例は、日本の新聞には報道されたが、昨年度の検定にはない。・・・東南アジアについては、昨年度においても『侵略』→『進出』の検定例はある」というものであった。
しかし、高嶋氏が「『侵略→進出』と書き換えさせられた事例があった」と指摘する帝国書院の『新詳世界史』に対する検定意見は「南方進出、仏領インドシナ北部に進駐、東南アジア侵略は、不揃いなので統一したほうがよい」という改善意見(あくまでも要請にすぎず、記述を変えなくても検定に合格する)にすぎなかった。
この改善意見を受けて、出版社側が自主的に表現を「進出」に統一したのであるから、「『侵略→進出』と書き換えさせられた」とはいえない。
高嶋氏は、「八二年までに、十年以上前から、小・中・高校の教科書検定でそのように書き換えをさせてきた」として、その事実を隠し続けている『産経』や筆者らを「悪質で教科書を論じる資格なし」と厳しく非難しているわけである。
しかし、昭和五十七年九月八日付「産経新聞」は、「『“侵略”を“進出”に』といった改善意見はすでに二十年以上も前から出されていたものである。それをいま『軍国主義化の表れ』と非難するのは、マトはずれというもの」と述べており、「その事実を隠し続けている」という批判は当たらない。
当然筆者らも、そのような改善意見が以前から出されていたことは承知しているが、それは強制力をもった修正意見ではないから、「書き換えさせた」とはいえないと認識しており、次に紹介する日本記者クラブにおける「修正意見で『華北に侵略』が『華北に進出』」とさせられたという誤ったレポートに基づく誤報によって生じた教科書誤報事件とは明確に区別して考えなければならない。
渡部昇一氏の言う「萬犬虚に吠えた」教科書騒動において、中国は党、軍、総工会、共産主義青年団の機関紙をはじめ、全マスコミを動員して大キャンペーンを展開したが、次に紹介する「産経新聞」の“おわび記事”によって、以後ピタリと抗議が止まったことからも、問題の核心は誤報にあったことがわかる。
問題をすりかえる卑劣な報道
すなわち、「産経新聞」同年九月七日付の「読者に深くおわびします」「教科書問題『侵略』→『進出』誤報の経過」と題する“おわび訂正記事”は、次のように述べている。
X社(日本テレビ、筆者注)が提出した世界史教科書のレポートに問題の「“日本軍が華北に侵略すると・・・”が、修正意見で、“華北に進出する・・・”になり、“・・・中国への全面侵略”が“全面侵攻”となってしまった」とあった。・・・X社のレポートを“うのみ”にしてしまった・・・7月26日、中国政府が教科書問題で正式抗議をしたのを受けて、28日付朝刊「特報」欄で次のように報じている。
《検定前も「日本軍が華北に進出すると・・・」であり、「中国への全面的侵攻を開始した」である。検定で変わってはいないのだ。これは一部の新聞が検定で「華北への侵略」が「進出」に、「全面的侵略」が「侵攻」に――と報道したため、中国が誤解したらしい》
文部省が「侵略」を「進出」にした事実は、今回はなかったことを公式に表明したのは、この直後だった。7月30日に行われた参院文教委員会で、小川文相は「今回の検定ではそうした例は見当たらない」と答弁した。
つまり、高嶋氏の主張は悪質な問題の“すりかえ”を意図した暴論であり、昭和五十七年九月十九日付「朝日新聞」の「読者と朝日新聞」という目立たぬ扱いの記事で問題の“すりかえ”を図った、次のような姑息な報道姿勢と相通じるものがある。
今回の検定では、日中戦争に限定すると、「侵略→進出」と書き換えさせたケースはなかったらしい、との懸念が生じました。ここで考えてみたいのは、中国、韓国との間で外交問題に発展したのは、この誤解だけが理由なのかという点です。・・・つまり、ことの本質は文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか。
「この誤報だけが理由なのか」というのは、みずからの誤報の責任を反省もおわびもしないで、責任を「文部省の検定の姿勢や検定全体の流れ」に転嫁しようとする悪質な問題の“すりかえ”以外の何物でもない。
このような朝日の報道姿勢は、「従軍慰安婦」の「強制連行」について証言した吉田清治氏の著書『私の戦争犯罪、朝鮮人強制連行』(三一書房)の内容が全くデタラメなものであることが千葉大学の秦郁彦教授の現地調査によって明白になった今日においても、同証言を宣伝報道してきたみずからの責任を反省もおわびもすることなく、平成九年三月三十一日付の二面にわたる大々的なスクープ報道記事において、次のように述べているのと通じるものがある。
吉田清治氏は八三年に、「軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行い、女性二百五人を無理やり連行した」とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。
済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は「自分の体験をそのまま書いた」と話すが、「反論するつもりはない」として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる。
政府の見解も吉田氏の証言をよりどころとしたものではない。・・・「強制」を「強制連行」に限定する理由はない。強制性が問われるのは、いかに元慰安婦の「人身の自由」が侵害され、その尊厳が踏みにじられたか、という観点からだ。
今や吉田清治証言の真偽は明白であるのに「真偽は確認できない」と逃げ、「朝日新聞などいくつかのメディアに登場した」などという白々しい表現で同証言を積極的に宣伝報道してきた自己の責任を相対化し、「政府の見解も吉田氏の証言をよりどころとしたものではない」として、もはや信憑性を完全に失った吉田証言の重要性をさりげなく否定しておいて、最後は広義に「強制性」を拡大解釈して問題を“すりかえる”という実に卑劣な報道の仕方だ。
なぜ核心部分の資料が省略されているのか
さて、話を教師用指導書の記述に戻そう。前述した清水書院の中学校社会科公民教師用指導書も、「教科書問題も、このような日本政府の歴史認識から引き起こされたものである」という岩田功吉氏の指摘を引用して、問題を高嶋氏と同じ手口で“すりかえ”、「植民地支配やアジアヘの侵略を、文部省の検定により『進出』と書き換えさせられたことについて、一九八二年、歴史事実を歪曲していると中国・韓国をはじめ、アジアの諸国から批判された」と解説している。
しかし、前述したように、表現が「不揃いなので、統一したほうがよい」という改善意見を付けられたことを根拠に、「文部省の検定により『進出』と書き換えさせられた」とはいえない。
誤報の新聞記事に引用された「日本軍が華北に進出」という表現を使っているのは、実教出版の世界史教科書だけであり、これは検定を受ける前から「進出」となっていたのである。つまり、アジア諸国の批判の引き金となった新聞の誤報記事が報じたような「華北に侵略」を「華北に進出」と修正させられた教科書は一冊もなかったのである。
次に、「徒軍慰安婦」問題をめぐる中学校社会科教師用指導書の記述の分析に移ろう。
まずはじめに目についたのは、女子勤労挺身隊と「従軍慰安婦」とを混同した記述がほぼなくなったことである。たとえば、「日本・韓国・朝鮮・中国・台湾・フィリピン・インドネシアなどから、『女子挺身隊』などと偽ったり、強制的に連行したりして、多くの女性たちを従軍慰安婦として戦地にかりだした。その数は10万とも20万ともいわれ、ほとんどの女性は、日本の敗戦後、軍に撃ち殺されたり、現地に遺棄されたりした」と記述していた教育出版の指導書は、次の「従軍慰安婦に関する書籍」を紹介しているだけである。
○従軍慰安婦〈岩波新書〉吉見義明 岩波書店
○従軍慰安婦 正・続〈三一新書〉 千田夏光 三一書房
○従軍慰安婦資料集 吉見義明 大月書店
○「従軍慰安婦」にされた少女たち〈岩波ジュニア新書〉 石川逸子 岩波書店
○朝鮮人従軍慰安婦〈岩波ブックレット〉 鈴木裕子 岩波書店
○従軍慰安婦のはなし―十代のあなたへのメッセージ 西野留美子 明石書店
また、「43年からは『女子挺身隊』の名の下に約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万〜7万人が慰安婦にされた」(『朝鮮を知る事典』)と記述した大阪書籍の指導書は書き改められ、平成四年一月十一日付の朝日新聞がスクープ報道した次の史料が、「朝鮮などの若い女性たちを慰安婦として戦場に連行しています」という教科書記述の内容を解説する「指導上の留意事項」として掲載されている。
1、なぜ、慰安婦を戦場に連行したのか。
○「軍人軍隊ノ対住民行為ニ関スル注意ノ件」
二、斯ク如キ強烈ナル反日意識ヲ激成セシメシ原因ハ各所ニ於ケル日本軍人ノ強姦事件ガ全般ニ伝播シ予想外ノ深刻ナル反日感情ヲ醸成セルニ在リト謂フ
四、右ノ如ク軍人個人ノ行為ヲ厳重取締ルト共ニ一面成ルヘク速ニ性的慰安ノ設備ヲ整へ設備ノ無キタメ不本意乍ラ禁ヲ侵ス者無カラシムルヲ緊要トス(一九三八年六月二七日 北支那方面軍参謀長)
しかし、この通牒の核心部分ともいうべき次の史料が省略されているのは一体なぜなのか。恣意的な史料選択に疑念を抱かざるをえない。
三、(前略)各地ニ頻発スル強姦ハ単ナル刑法上ノ罪悪ニ留ラス治安ヲ害シ軍全般ノ作戦行動ヲ阻害シ累ヲ国家ニ及ホス重大反逆行為ト謂フヘク部下統率ノ責ニアル者ハ国軍国家ノ為泣テ馬謖ヲ斬リ他人ヲシテ戒心セシメ再ヒ斯ク行為ノ発生ヲ絶滅スルヲ要ス若シ之ヲ不問ニ附スル指揮官アラハ是不忠ノ臣ト謂ハサルヘカラス
同指導書は続いて、西野留美子著『従軍慰安婦のはなし』(前掲書)を次のように引用する。
2、「強制」ということをどうとらえるか
○強制連行は、本人の同意に基づかないいっさいの連行をいうというのが自然な考え方だと思うんですね。その場合には、だましたり脅したり人狩りのような方法で連れてこられたという場合は、いずれも強制連行であるとはっきりしているわけです。ところが・・・親にお金を払って身売りのような状態にされて連れていかれた場合はどうなのかということです。これは本人の立場からすれば、お金による拘束が含まれているわけで、これも同じように考えていいだろうと思います。また、・・・軍の慰安所に連れていかれてそこでどういう状態であったのか。強制によりその後何年も慰安所で暮らさなければならなかったわけですが、そこに拒否する自由があったのか、やめて帰国する自由があったのかということです。例えばそこで借金漬けにされて逃げられないような債務奴隷状態にされていたというようなことも含めて、強制があったのかということを考えなくてはいけないと思います。
これは一月三十一日深夜のテレビ朝日の「朝まで生テレビ」において、西野・上杉・吉見氏らが主張した「広義の強制連行」論であるが、「本人の同意に基づかないいっさいの連行」を「強制連行」と拡大解釈するのは、当時の実情を踏まえぬ架空の倫理に基づいて断罪することによって悪質な問題の“すりかえ”を狙う暴論といわざるをえない。
国内法を無視した“こじつけ”論
彼らの主張する「広義の強制連行」論によれば、以下の三点が問題になるという。
(1)未成年者を徴募し使役したこと(婦人・児童の売買禁止に関する国際条約違反)
(2)成年者の場合には徴募時にだますとか拉致するなど本人の意志に反する広義の強制があったこと
(3)慰安所で強制があったこと(外出・廃業・帰国・接客拒否などの自由がなかった)
(1)に関連して、同教師用指導書は続いて、次のように述べている。
3、慰安婦問題は子どもの問題でもあるのか。
当時の日本は、国際条約で未成年(21歳未満)の売春・人身売買・拘束を禁じられていたが、この条約は植民地である朝鮮・台湾には適用されなかった。未成年の朝鮮人女性を慰安婦として連行したのは、軍関係者が性病をおそれたため、といわれている。
○「(前略)『従軍慰安婦』にされた朝鮮人女性のなかには、10代になりたての女の子もいたと聞いたの。私はいま12歳。・・・『従軍慰安婦』は、私と同じぐらいの年齢の子どもたちのことだと知ったとき、だまっていられなくなった(後略)」(『従軍慰安婦のはなし 十代のあなたへのメッセージ』)
しかし、まず(1)については、昭和十三年二月二十三日に内務省警保局長が各庁府県長官(東京府知事を除く)宛に出した「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(内務省発警第五号)に明らかなように、慰安業を目的とした渡支には、年齢が二十一歳以上という制限を設け、身分証明書の発給には本人自らの出頭を要し、しかも原則として近親者の承認が必要であり(つまり、本人の同意が大前提になっている)、特に「婦女売買又ハ略取誘拐等ノ事実ナキ」よう求めており、「婦女売買ニ関スル国際条約」に反しないようにという認識が明確にあったことは疑う余地がない。
このように日本は国際条約を遵守しており、出国時も現地での営業も国内法に基づく手続きがとられていた。そもそも国際法の規定は「精神規定」であり、具体的規定は各国の国内法に委ねられており、彼らの主張は、国際法の精神をねじ曲げ、国内法を無視した“こじつけ”論にすぎない。
(2)については、漫画家の小林よしのり氏がくり返し強調しているように、朝日の前述したスクープ報道の「軍関与を示す」目玉史料ともいうべき「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(陸支密第七四五号、昭和十三年三月四日)は、民間の業者による「強制連行」を軍が警察と協力してやめさせようとしていた事実を示している。
(3)の「廃業」の自由については、昭和十七年三月の「陸支普大日記・第九号」によれば、軍人から「慰安婦ヲ廃業スベキ旨ヲ要求」しており、慰安婦は廃業できるものであったことがわかる。
「帰国」の自由については、昭和十九年九月の「石兵団会報・第五八号(後方施設ニ就キ左ノ件注意セラレ度)」によれば、「帰リ度キ希望」がある場合には、証明書を持たせて乗り物の便宜を与えていたことがわかる。
また、昭和十九年十月のアメリカ戦争情報局の「心理戦チーム報告書・第四九号」には、「帰国を許された慰安婦がいた」と明記されている。
「接客拒否」の自由についても、同報告書は「慰安婦は客を断る特権を与えられていた」と明記している。
「外出」の自由についても、同報告書は、ビルマでは慰安婦は町に買物に出ることを許されており、スポーツ、ピクニック、娯楽、夕食会にも参加した、と述べている。
朝日新聞は平成四年七月六日付のスクープ報道(タイトルは「誘拐まがい・・・派遣軍が統制し・・・」等)において、昭和十七年十一月の「慰安所規定」(第一慰安所・亜細亜会館)送付イの件」の「七、慰安婦散歩ハ毎日午前八時ヨリ午前十時マデトシ其ノ他ニアリテハ比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所長ノ許可ヲ受クベシ尚散歩区域ハ別表一ニ依ル」を引用し、「慰安婦の散歩時間まで管理し、『散歩区域は別表による』と図入りで指示した」としている。
しかし、この慰安所規定の「六、慰安所ヲ利用セントスル者ハ左記事項ヲ厳守スヘシ」には、「慰安婦及楼主ニ対シ暴行脅迫行為ナキ事」「イロイロ出張所長ノ許可ナクシテ慰安婦ノ連出シハ堅ク禁ズ」などと規定されており、この規定と慰安婦の散歩時間・区域を制限した「七」の規定は“セット”として規定されたものといえる。
つまり、兵士の風紀が悪いのでそれを戒めるとともに、慰安婦の安全上の理由から散歩時間・区域を制限したものと解釈される。前述した朝日報道は「六」の規定を掲載していないために、読者にはそのことがわからない仕組みになっている。
以上、総じて言えることは、慰安婦に対する軍の関与は、小林よしのり氏のいう「いい関与」、産経新聞(教科書問題取材班)のいう「善意の関与」を多く含むものであったということである。
首相の「おわびの手紙」を紹介
次に、東京書籍の教師用指導書の分析に移ろう。「本時の要点」の一つとして書かれていた「従軍慰安婦(女子挺身隊)」という両者を混同した表現は「従軍慰安婦」に改められたが、新たに「補充資料」の形で、〈「従軍慰安婦問題」を扱った授業展開例〉の「内容と学習方法」として、次のように述べている。
(前略)「慰安婦」とさせられた女性たちが、性的交渉を仕事とさせられたことを暗示する程度でよい。本人の意思に反して、「慰安婦」とさせられた女性の悲しみ、怒りを生徒とともに考えたい。慰安婦問題の本質が、「女性に対する暴力、人種・民族差別、貧しい者への差別が重なった重大な人権侵害であった」点を押さえることが重要である。
さらに、「展開例」として、「戦後五十年に当たっての首相談話」と歴代首相の戦争認識発言を紹介し、「女性のためのアジア平和国民基金」の呼びかけ文やアジア女性基金事業実施に際しての総理の手紙の資料提示を行い、基金の一部がすでに慰安婦に対して支給され始めていることを知らせた上で、「アジアの国々とこれからどのような関係を築いていきたいか」というテーマでミニ作文を書かせる、としている。
また、元慰安婦の姜順愛(カンスネ)の証言「世界に問われる日本の戦後処理(1)〈従軍慰安婦〉等国際公聴会の記録」を提示し、「戦争中だし、軍隊にはそういうものはつきものだという意見を紹介し、それについてどう思うかをたずね、議論させ」「考える材料のひとつとして」吉見義明著『従軍慰安婦』(岩波新書)の中の「各国軍隊と従軍慰安婦」に関する次の文章を提示する、としている。
ここで、第二次世界大戦中、従軍慰安婦に類する制度をつくったのは日本だけだったのかどうかを検討しておきたい。・・・重要な問題は、女性の強制連行・強制使役、未成年者の使役などがあったかどうかであり、また問題があきらかになったとき、その閉鎖命令を出したかどうか、という点である。・・・何より、軍の中央が計画し、推進したという点で、イギリス軍やアメリカ軍と日本軍では、決定的に異なっていた。・・・
ちなみに、清水書院の中学校社会科公民教師用指導書も、「元従軍慰安婦・マリア=ロナ=ヘンソンさん(フィリピン)」の証言と「女性のためのアジア平和国民基金」の「元従軍慰安婦への償い金の支給」及び〔元慰安婦への首相の「おわびの手紙」全文〕を紹介している。
吉見氏と韓国の元慰安婦の「支援団体」が「資料的価値」が高いと認めているのは、『証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』に掲載されている十九名にすぎず、このうち「官憲による強制連行」について証言しているのは四人にすぎない。
このうち二人は慰安所がない韓国の釜山と日本の富山県で連行されたと証言しており、日本政府に対して損害賠償を請求する訴訟を起こしている他の二人の訴状には「強制連行」の記述が全くなく、「強制連行」証言の信憑性は疑わしいといわざるをえない。
次に、日本書籍の中学校社会科歴史教師用指導書は、以前の指導書と同様「授業に役立つおはなし」として、「元朝鮮人慰安婦らが慰霊祭」と題する平成四年三月二日付「朝日新聞」の次のような記事を掲載している。
第二次世界大戦中、日本軍に駆り出された元朝鮮人従軍慰安婦二人を含む韓国教会女性連合の二八人が、抗日独立運動の記念日にあたる三月一日、沖縄県・渡嘉敷島で慰霊祭を開いた。渡嘉敷島は一九九一年に亡くなった元朝鮮人従軍慰安婦が連れられてきた島である。・・・元慰安婦の証言は、沖縄の市民にも波紋を投げかけた。二九日の集会で、元慰安婦が約二五〇人の聴衆を前に、「あなたたちも加害者の二世、三世。過去をきっちり清算してほしい」と叫ぶと、会場は静まり返った。
さらに、〔「従軍」慰安婦〕の用語・解説として、次のように「強行連行」について断定的に記述している。
アジアの各地に設置された「慰安所」では、二〇歳前後の女性が「慰安婦」として兵士の性の相手をさせられた。日中戦争の全面化とともに中国の各地に開設され、アジア太平洋戦争にともない東南アジア・太平洋地域に拡大。軍直営や民間業者経営のものがあり、軍の管理・統制下におかれた。慰安婦には日本人もいたが、多くは朝鮮人女性で、だまされたり、強制されて集められた。・・・
また、「従軍慰安婦」問題に「日本政府は、敗戦にさいして組織的に公文書を破棄・湮滅していたため、国家が関与した証拠がないとして、うやむやにしてきた」と明記している。
しかし、石原信雄氏にインタビューした櫻井よしこさんは、『文藝春秋』四月号の論文「密約外交の代償――慰安婦問題はなぜこじれたか――」において、次のように述べている。
世に言われているように資料は敗戦時に燃やされてしまったのか。石原氏も内務省の先輩から中庭で山のような資料を燃やした話を聞いたそうだ。だが、慰安婦の強制関連の書類を全て焼却したことはあり得ないと、石原氏は言う。
「終戦当時は(慰安婦について今日のような厳しく批判的な)問題意識はなかったんですから、理論的に考えにくい。米軍に狙われたのは特に特高警察、思想犯に関する資料ですね。炭鉱などへの労働者の強制連行の資料も、焼かれたものもあったようですが、これでも労働省や厚生省、それに地方の役所などから出てきてますからね。慰安婦関連で、強制募集、強制連行の部分だけを全て処理したことはあり得ないと思います」
笑い事ではすまされない「評価の観点」
新教師用指導書で注目される点は、数社において「評価の観点」が加わったことである。たとえば、教育出版の中学校社会科歴史教師用指導書の「太平洋戦争」についての「評価の観点」には、次のように書かれている。
まず第一に、「関心・意欲・態度」の項目についての観点としては、(1)「なぜ東南アジアに進出し、住民たちを苦しめたのかという疑問をもち、その疑問を解決しようとする」こと。
第二に、「思考・判断」の項目についての観点としては、(2)「中国、東南アジアなど、アジアを植民地として支配しようとしていた日本のねらいを考えることができる」こと。
第三に、「技能・表現」の項目についての観点としては、「日中戦争で勝利を得ようとする日本が、やがては東南アジア侵略で英米との対立を深め太平洋戦争となったことに気づく」こと。((1)(3)は傍観点、(2)は主観点)
ちなみに、大阪書籍の同教師用指導書の「評価の観点」で目を引くのは、「思考・判断」の項目で「ロシア革命の歴史的な意義を、帝国主義諸国の革命への対応を通して、考えることができたか」、「知識・理解」の項目で「ファシズム対反ファシズムの戦争が大戦の基盤になり、帝国主義国と共同しあう形で世界大戦が起こったことを理解できたか」、「技能・表現」の項目で「日本の侵略がアジアにあたえた被害や具体的な事実を、資料や写真から読みとることができたか」、「関心・意欲・態度」の項目で「南京大虐殺事件や三光作戦を歴史的事実として関心を持ち、積極的に調べ、発表しようとしたか」「『成金』の写真のなかの言葉から、作者の皮肉を読みとるなどの関心を示し、積極的な態度で臨んだか」などの記述である。
「成金」の写真のなかの言葉に「関心を示し、積極的な態度で臨んだか」という記述には思わず笑ってしまったが、これが「評価の観点」とされる生徒の側に立って考えれば、笑い事ではすまされない。
同教師用指導書は、「第二次世界大戦が、侵略と抑圧に反対し、平和と民主主義を求める反ファシズム勢力の勝利に終わった」と総括し、「ABCD包囲網」によって「資源獲得の必要に迫られ、日本は南方に進出することになった、という意見がある」が、「イギリス・オランダ・中国には日本を包囲するだけの戦力はもっておらず、包囲網の実体はなかった・・・(アメリカは)日本が仏領インドシナを占領したことに対する処置として、行った」と述べている。
一体どこの国の教師用指導書なのか。自国の立場を弁護する論への反論に指導書の一頁の三分の一のスペースを割いて「授業を深めるために」とタイトルをつける反日的姿勢が教師用指導書でますます顕著になっている。
大阪書籍の中学社会科歴史教科書の「さくいん」を見ると、「共産党」が七頁(回)も登場し他を圧倒しているのが目を引くが、「従軍慰安婦」記述のみならず、全体的に教科書にも増して反日的・自虐的記述に拍車がかかっていることは、全ての教師用指導書に共通している。ただ、日本文教出版の中学校社会科歴史教師用指導書が、「いわゆる従軍慰安婦の問題については種々の議論がなされていることをふまえ、扱いにはじゅうぶんに留意したい」と良心的に記述していることだけが救いであった。
◇高橋 史朗(たかはし しろう)
1950年生まれ。
早稲田大学大学院修了。
スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、明星大学助教授を経て現在、明星大学教授。
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