2001/02/14 産経新聞朝刊
【自分の顔相手の顔】曽野綾子(411)奉仕活動 したことのない人は反対する
日本を離れてシンガポールで一週間か十日を暮らすようになると、とたんに本が読める。東京では家事をしてくれる人がいて秘書も通って来るのだが、ここでは私が家事一切をしてしかも本が読める。理由は多分、郵便と電話がないからである。Eメールなど持っていなくて本当によかったと思う。
ここにおいてある本は限られているが、そのおかげで杉田玄白などを読むと、その元気のよさに改めてびっくりする。
「昔、日本国中が争乱に明け暮れていた時、ひとり対馬の国だけは離れ島だったため、武士たちは戦争ということを知らず、みな柔弱で、物の役に立ちそうな者は一人もいなかったのである。ところが豊臣秀吉が、朝鮮と戦争を始めた時、対馬藩に先陣の命が下ることになった。そこで時の領主は智恵を働かせ、古い城を取り壊して、現在の城を急遽造らせ、武士たちに土運びや石運びをさせられたのである。すると四、五日の間に、みな武士たちは見ちがえるように立派になり、他国の者たちと同じように、朝鮮で立派に戦ったと、今なお対馬の人たちは語り伝えているそうである。
昔も今も、この天地は変わりなく、また同じ月日がめぐっていて人にも変わりはないから、教え方いかんで、どうにでもなるものだと言えよう」
だから教育改革で奉仕活動を行わせると、また戦争に駆り出される、というのが反対派の意見だが、玄白が言うように四、五日のうちに変わるかどうかは別としても、普段したことのない肉体労働をさせれば、それを体験した人間は、肉体的にも精神的にも変わって逞しくなる例が多いのはほんとうである。しかも今は結果として「朝鮮出兵」に行かなければならないわけではないのだ。
「奉仕」という言葉が嫌いな人が多いらしく、それはそれで家風でもあろうから結構なことだが、私は子供に、人に奉仕できる人になることを第一に願って来た。動物は決して奉仕をしない。病弱なら奉仕はしたくてもできない。少しくらい成績など悪くても、無償で人を助けられる気持ちを持つ人間になってくれることこそ、私の第一の願いだった。
理由は簡単である。受けるだけなら、大人ではない。それは赤ん坊か老人である。受けて与えることの双方を、喜びをもってできることが、大人の条件だからだ。肉体的には大人なのに、精神的に子供のままだという人が増えたのは、家庭でも学校でも社会でも「与える機会を与えられなかった」からである。
もちろん人にもより、例外もあるが、奉仕活動に関しては、したことのない人ほど反対するようである。したことのある人は、それなりに自然におもしろがっている。ゴルフと同じなのではないか。たいていのことはそんなものだ。奉仕活動をやってみて真っ平だと感じたら、自分の一生をその路線で決めればいいのだから、無駄ではない発見なのである。
◇曽野綾子(その あやこ)
1931年生まれ。
聖心女子大学卒業。
作家。日本財団会長。
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