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1998/11/04 産経新聞朝刊
【正論】武庫川女子大教授 新堀通也 「危機に立つ国家」と教育改革
 
◆教育の役割と責任
 この六月以降、文部省の重要な審議会の答申が次々に出され、今後の教育改革の方針がほぼ出そろった。後はそれに沿った法改正や学習指導要領改訂を待つことになる。代表的な答申は中教審、教課審(教育課程審議会)、教養審(教育職員養成審議会)、大学審などのそれだが、一貫して感じ取れる不満は「危機に立つ国家」という視点の(不在とまではいわないにしても)希薄だ。
 いうまでもなく「危機に立つ国家」とは一九八三年、米国で出された教育改革に関する報告書のタイトルである。当時の米国の特に経済的な危機を打開するため、教育を「凡庸」から「卓越」にシフトするよう力説し大きな衝撃を与えた。このタイトルを借用するなら、今日の日本はまさに「危機に立つ国家」に他ならない。着実に進行する高齢化、激化する国際競争、経済・産業・金融の危機、そして何よりも道徳の頽廃など。こうした危機を打開するのに教育の役割や責任は極めて大きいといわなくてはならないのに、どうも教育関係の審議会には国家的危機意識が希薄のように思われる。経済、産業、人口、科学技術など、他省庁の審議会では国の将来についての危機を切実な問題にしているのに比べて、いかにものんびりしている。
 もちろん教育関係の審議会も、今の子どもが受験競争や管理主義、有害情報の中で息苦しい生活を送り、いじめや暴力におびえており、「危機」に直面していることは十分に意識してはいるが、子どもたちを待ち受け、やがて自ら切り開き支えていかねばならぬ日本の「危機」という点から教育の在り方についてはほとんど目をそらしている。
 
◆楽天的な教育改革案
 「危機に立つ国家」を救うための究極的な条件は、少子化のためますます「希少価値」をもつようになる今の子どもたち、すなわち将来の日本の担い手の質的向上だ。端的にいえば知的水準(知性)と道徳水準(徳性)の向上だが、教育関係の諸審議会の答申の「目玉」とされている改革も、よほど用心しないと、この両者の水準をかえって低下させる恐れがある。審議会はそうした恐れがあることを、積極的に警告するような答申形態を採用すべきであろう。
 例えば学校週五日制の完全実施、授業時間と教育内容の大幅削減、教科のわくを越えて教師や子どもが「主体的」に取り組む「総合的な学習」の時間の新設、選択科目の拡大、保健室や適応指導教室の「出席扱い」、上級学校入試における科目の削減、指導要録などにおける「絶対評価」の導入、通学区制の弾力化、教育の地方分権など。
 こうした「目玉」は何れも規制緩和、末端単位の選択幅の拡大という原則の系だ。たしかにそれによって全国一律の教育がどの学校でもどの教室でも強制されることはなくなる。子どもには自由になる日が週一日増える。登校日にも必修科目が減って選択科目が増えるし、教室で授業を受けなくても保健室にいれば出席扱いになる。無理に学校に行かないでも、適応指導教室に行けばよい。教科の授業が減って、自分の好きなテーマに取り組める時間が増える。入試でも得意な科目だけを選べばよいし、選り好みさえしなければ大学全入時代が到来している。
 こうした状態のもとで、たしかにゆとりは増える。しかしゆとりを有効に使うすべを知らない子ども、あるいはそれを教えられていない子ども、やりたいことのない子ども、あるいはロクでもないことしかやりたいと思わない子どもを野放しにするなら、学力面でも道徳面でもどんな結果が生まれるかは明らかだ。国民として最小限必要な基礎学力、人間として最小限必要な基本的道徳を欠いた若者が大量に生まれる恐れがある。「悪貨が良貨を駆逐し」、教室の秩序が崩壊する恐れがある。
 
◆学級崩壊の重大さ
 どの審議会も見落としている「学級崩壊」という現象が、このような恐れが杞憂でないことを示している。いじめ、暴力、非行、不登校など、いわば特定の個人に出現し、客観的にも「異常」と認定できる病理現象なら、カウンセリング、児童相談所、警察、出席停止などの助けを求めることもできる。しかし授業が始まっても教室に入らない、教室に入っても自分の席に座らず、奇声を上げ、ふざけまわる、勝手に教室から出ていく、教師が注意してもきき流したり口答えする。しかもそれが特定の個人ではなく、クラス全体の常態となっている。教師にとって制御不能、「お手上げ」の状況が「学級崩壊」であり、それが小学校に蔓延しているといわれる。教師にとっては泣くにも泣けぬ深刻な問題だが、当の子どもたちは別に教師を標的にしているわけではなく、罪の意識もない。それだけに対応は難しい。
 「学級崩壊」は子どもたちに基本的な社会生活のルールが欠けているという徳性の欠如を示しているが、こうした学級で学力の低下がもたらされるのも当然だ。「学級崩壊」はいじめや暴力の土壌でもあるし、「危機に立つ国家」のその危機の前兆でもある。(しんぼり みちや)
◇新堀通也(しんぼり みちや)
1921年生まれ。
広島文理科大学卒業。
広島大学助教授、広島大学教授、広島大学教育学部長を経て、現在、武庫川女子大学教授。


 
 
 
 
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