1996/06/29 産経新聞朝刊
【正論】武庫川女子大教授 新堀通也 教育界におけるバブルの後遺症
◆臨教審答申の時代的背景
学校五日制、新学習指導要領、新指導要録、生活科、単位制高校、大学設置基準緩和、自己評価など、今日広く行われつつある教育改革のほとんどは、臨教審答申の線に沿っている。臨教審答申を受けて教育課程審議会、新中央教育審議会、生涯学習審議会、大学審議会などが、こうした具体的改革を提案、それが制度化されたのである。第十五期中教審の審議のまとめが発表されたが、これもその流れの中にある。
規制緩和といい地方分権というが、こうした状況を見ると教育界では国レベルの審議会や文部省の力は今なお極めて強いといわなくてはならないだろう。「新しい学力」「ゆとり」「生き方」「心の教育」「心の居場所」などというコトバ、リフレッシュ教育、ティームティーチング、インテリジェントスクール、スクールカウンセラー、自然教室、適応指導教室などという制度も、文部省が公式に打ち出してから、短期間のうちに全国至るところで論議、実施されるようになった。臨教審は画一的な「追い付き」型を明治以来の日本の教育の特徴としたが、画一性を打ち破ろうとする改革さえ、今なお「お上」のお達しやお墨付きなしには行われにくいのだ。
そしてその臨教審が精力的に審議を進めたのは、まさにバブル経済が崩壊する直前、わが国が高度成長に浮かれきっていた時代だ。右肩上がりの経済成長に伴う国際摩擦は激化しつつあったものの、若年層の減少による労働力不足は深刻で、今日のような就職難の時代がやってこようとは誰も予想しなかった。若年層減少の波にさらされた高校や大学は「客集め」に懸命になり始めていたものの、卒業生の「売り込み」に苦労する必要はなかった。「客集め」のためには「客」の意向に従い、どんな客でも受け入れなくてはならない。労働市場も人手不足だから、どんな新卒でも受け入れるし、新卒の方は自分の好みにあったところを選ぶことができた。
こうしたバブル経済の時代的背景のもとで出されたのが、臨教審答申だ。それが二十一世紀に向けての教育改革の第一原則として打ち出したのが、「個性重視の原則」である。(ちなみに第二原則は「生涯学習体系への移行」、第三原則は「変化への対応」である)
臨教審や文部省のような公の機関は世論の反発を受けないよう、慎重にタテマエ的なコトバを選ぶ傾向があるし、日本の教育が画一的であること、特に受験競争が「偏差値」という画一基準による相対評価によって子どもの人格形成に大きなひずみを与えていることは、世論が一致して認めている。個性重視は誠にうってつけのコトバだ。
個性重視は子どもの多様性、個人差、特技、長所、自由、人権などの尊重にも連なるから、教育の理念や教師の良心を満足させてくれる。子どもにしても、のびのびと自分の好きなことに打ち込み、自分の得意なところを伸ばすことができるから、大歓迎だ。上級の学校にとっては、従来の画一的な基準からすれば低い評価を受けざるを得ない「客」も個性重視の原則を適用して集めることができるし、画一的なツメコミや強制的な管理という、いやな仕事から解放されるだろう。
◆古きよき時代は終わる
こう見てくると、個性重視は四方八方に好都合で耳触(ざ)わりのよい原則である。どんな個性をも受け入れてくれる学校があり市場があったバブル時代がその背景にあった。しかしバブルの崩壊とともに、この「古きよき時代」は終わった。
それにもかかわらず、個性重視の原則は再検討されることもなく、生きつづけている。教育界におけるバブルの後遺症といえよう。学校は今なお、子どものそれぞれの個性を重視し、どんな個性をもつ子どもも受け入れ送り出すが、市場の方は、企業の求める個性をもつ人間しか受け入れ、雇いつづけてはくれない。どんなに個性的な趣味や特技をもっていても、企業が必要としない者は、管理職さえリストラの対象となる。
いや学校でも教師には同じようなきびしい状況が到来しつつある。経済の影響を比較的受けずにすむ学校も子どもの数の減少によって教員需要が減るので、教師として望ましい個性をもつ者さえ、全員採用することはできなくなる。学校の整理統合が進めば、余剰教員も出てくる。大学では授業の下手な教授、担当時間が減った教授、研究業績を上げない教授は今後、リストラの波にさらされることになろう。
これに対して、同じ学校や大学でも、学生生徒だけは別で、この大切な「お客さま」は絶対にリストラ(入学定員削減、退学処分など)の対象にはならない。そのさい掲げられるのが、個性重視の原則だ。しかし彼らを卒業後、待ち受けているのは、どんな個性でも受け入れてくれるほど、気前と物分かりのよい市場ではない。個性重視の教育を行って、個性では生きていけない者、片寄った者、ツブシがきかず使いものにならない者を作り出すのでは、本人たちにとっても気の毒だ。バブル崩壊後、望ましい個性とは何かが改めて問われている。(しんぼり・みちや)
◇新堀通也(しんぼり みちや)
1921年生まれ。
広島文理科大学卒業。
広島大学助教授、広島大学教授、広島大学教育学部長を経て、現在、武庫川女子大学教授。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|