2001/04/23 産経新聞朝刊
【正論】慶應義塾大学教授 榊原英資 教科書問題 検定制度を廃止すればいい
◆歴史の解釈違うのは当然
常々日本の歴史・公民教育を批判していただけに、今回、新しい視点から、歴史と公民の教科書が作られたことを歓迎している。
中国と韓国が抗議しているようだが、問題にする必要は全くない。日本が中国と韓国の事実上の国定教科書について一度でも干渉しただろうか。国によって、あるいは個人によって、歴史の見方と解釈が違うのは当然のことである。中国及び韓国との友好関係は今後の日本にとって極めて重要だが、そのことと中国や韓国の公式見解と異なる歴史の教科書を発行してはいけないということは全く別問題だろう。日本は言論の自由が存在する民主国家なのだから異なる意見の発表を圧殺する訳にはいかないという正論を根気強く主張し、理解をえる以外に道はない。
しかし、それにしてもどうして日本と中国そして韓国の間にだけ教科書問題が起きるのだろうか。第二次世界大戦中あるいはそれ以前の植民地主義等のつけではあるのだが、それでは同じような状況にあったイギリスと中国又は日本とオランダの間に教科書問題がどうして存在しないのだろうか。
◆なぜ論じない検定の是非
この問いに対する一つの解答は、中国、韓国、日本では欧米先進国と異なって、政府の教科書に対する規制あるいは影響力が圧倒的に大きいからである。中国及び韓国では国定あるいは事実上の国定、日本では文部科学省の厳しい検定が行われている。学校教育法二十一条及びその準用規定によって、教科書検定は文部科学省による小、中、高等学校の教科の規制の柱となっているのだ。
筆者にとって不思議なのは、教科書問題の議論のなかで、この教科書検定及び、文部科学省による教科の完全な規制の是非がほとんど論じられていないことだ。教科書検定をなくしても、各地の教育委員会における教科書選定の権限は残っているのだから、質の悪い教科書が出回る可能性は少ない。教育委員会の権限もなくして、各学校にその選択を委ねることも考えられる。文部科学省はその結果としての学力を全国試験で調査し、それを公表することによって、各教育委員会、学校を評価すればよい。
実は、検定だけでなく、文部科学省の教科書に関する統制は非常に厳しく、又、時代遅れなのである。昭和二十三年、まだ紙不足が深刻な頃成立した「教科書の発行に関する臨時措置法」がまだ生きており、この法律によって文部科学省は「教科書の需要供給の調整をはかり」(第一条)教科書の定価を認可している(第十条)。
いまどき、官庁が需給調整をはかり、定価を認可する商品が一体どれだけ存在するだろうか、又、教科書にこういう規制をあいもかわらずもうけておく根拠は一体どこにあるのだろうか。統制経済の時代の臨時措置法が恒久化し、時代遅れの文部科学行政を支えているという構図は象徴的である。
◆教育を政治問題化するな
こうした議論に対して、日教組等の左の側からの特に歴史や公民教育についての歪んだ言論支配に対しては文部科学省の権限を強化あるいは、維持し、これに対抗すべきだという意見がある。しかし、学問や教育の問題を政治や権力の問題としてとらえること自体が、左であれ、右であれ不適切なのではないだろうか。
もちろん、特定の歴史的事実についての政府の公式見解は、もし、それが必要であれば、表明すればよいが、その公式見解と異なる解釈をもった教科書が発行されることは、民主主義国家では、当然のこととして受け入れられるべきだろう。ましてや、中国や韓国の公式見解と異なるから問題だという議論は全く論外である。
文部科学省の統制を基本とした権力行政と、評価と責任を回避した談合型の学校運営の奇妙な結合が、現在の日本の教育を崩壊寸前にまで追い込んでしまっている。そして、教科書問題はこのどうしようもない閉塞状況にある日本の教育の数多い末期現象の一つである。
検定制度をその重要な一つの構成要素とする文部科学省による小、中、高校での教科の完全な規制を維持する合理性は今やほとんどない。各教育委員会あるいは学校に責任を持たせ中央がその結果としての学力の評価を正確に行い、それを公表すればよい。当然のことながら、検定制度がなければ、教科書問題は起こりえない。(さかきばら えいすけ)
◇榊原 英資(さかきばら えいすけ)
1941年生まれ。
東京大学大学院、ミシガン大大学院修了。経済学博士(ミシガン大学)。
大蔵省入省後、国際金融局長、財務官を経て退官、現在、読売新聞調査研究本部客員研究員、慶応義塾大学教授、慶応義塾大学グローバル・セキュリティ・リサーチ・センター(GSEC)ディレクター。
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