日本財団 図書館


2002/12/02 毎日新聞朝刊
[論点]どうする「学力低下」と「階層格差」
 
■ゆとり教育、学習内容の削減で学力に不安 塾通い増え、低所得層にハンディ?
苅谷剛彦(東京大教授)
 
◆環境の差、克服努力を
◇家庭環境の違いによる格差こそが問題−−解消に向け学校への財政支出を増やせ
 新しい学習指導要領の実施を受けてか、公立校に子どもを通わせる親の間で、我が子の学力を心配する声が上がっている。子どもを塾に通わせたり、私立校を目指すといった「我が子の学力」対策の動きが生じている。
 一方、文部科学省は、微妙に政策変更を図り始めた。「確かな学力」の向上策である。指導要領は最低基準だとされ、範囲を超えた発展的な学習を教えることが奨励されるようになった。内容を減らしすぎた教科書への批判をかわすかのように、「できる子の学力」対策ともいえる動きが始まっている。
 だが、そもそも表立った反応を示さない「声なき声」を忘れてはならない。私立はおろか、塾に行かせることも家で勉強を見ることも難しい家庭の子どもの「学力低下」である。分数のできない大学生からヒートアップした学力論争だけに、学校の授業にしか頼れない家庭の子どもの問題には目が向かない。教育改革論議のテーマにもならない。しかし、今問題にすべきは、学校にしか頼ることができず、それでも義務教育の早い段階から授業がわからなくなり、学習意欲を萎(な)えさせてしまう子どもたちである。我が子の学力対策も、できる子向けの対策も、こうした子どもたちの問題には届かない。
 基礎学力についての私たちの二つの大規模な調査によれば、学習の定着度や意欲、さらには自分たちで調べ発表する授業の取り組みにおいても、小学校段階から家庭環境(階層)の違いによる大きな格差が生じている。しかも80年代と比べ、学習定着度がもっとも低下しているのは、学習に困難を感じている層の生徒である。できる子の学力低下より、勉強の不得意な子の低下の方がずっと深刻なのだ。
 「誰でも同じように学ぶ意欲を持っている」は幻想にすぎない。授業の理解度や意欲にも「階層」の影響が出ることを前提に、学校の役割を考え直す必要がある。それというのも、私たちの調査対象校のなかには、階層差を克服している学校もあるからだ。そうした学校では、「総合」の時間を使って学ぶ目的を子どもに明確に伝える工夫をしている。と同時に、きめ細かな指導を通じて家庭学習の習慣をつけさせ、さらには授業での学習の理解や定着にもしっかり目配りしている。並大抵の努力ではないが、旧学力か新学力かの二分法にとらわれない「全力型」の学校である。
 こうした学校を増やしていくには、教師の努力頼みにするのではなく、それを可能にする学校の基盤づくりが不可欠だ。首相が「米百俵」というわりには、財政当局は教育改革に十分な支出をしていない。日本が子どものうちから階層的に分断された社会にならないためにも、将来への公共投資として、学力格差問題に真剣に取り組む時期にきている。地方の実情と判断によっては月2回程度の土曜日に再び授業をしてもよいだろう。人・金・時間の有効な資源活用を求めつつ、学力格差問題を放置しないことが、今必要な「米百俵」の使い道である。
◇苅谷 剛彦(かりや たけひこ)
1955年生まれ。
東京大学教育学部卒業。米ノースウェスタン大学大学院修了。
東京大学教育学部助教授を経て現在、東京大学大学院教育学研究科教授。
………………………………………………………………………………………………………
 
寺脇研(文化庁文化部長)
 
◆子育ては社会全員で
◇世界的にみれば「格差」の問題は少ない−−地球全体に目を向けるのが総合学習だ
 思えば長いこと「学力低下」を論じ合ってきたものだと、専ら矢面に立つ任にあった者として感慨深い。始まりは、新学習指導要領実施に先立つ4年前、98年あたりからのことになる。過去の学習指導要領改訂の際にはなかった活発な議論が行われたことは、教育課程の論議を行政や専門の教育学者に任せきりにせず広く国民の皆さんが参加した証しであり、すばらしい変化だと感じている。
 そうした中で、学ぶ意欲が低下している点については誰もが痛感せざるを得なくなった。だからこそ、総合的な学習の時間を導入して自ら学び自ら考える力を特に育成しようとしたのであり、それは4月以来着々と成果を上げつつある。私自身、実際にいくつかの学校で授業をお手伝いし、調べ発表する学習を通して学ぶ意欲が育つ姿を目の当たりにしている。
 さて、「学力」だ。新指導要領実施前なら、これから学力がどうなるか予測する抽象論でよかった。しかし始まった今は、子どもたち総体よりも一人一人の学力を意識しなければならない。親も教師も、目の前にいる子どもの学力がどうかをしっかり見据えてほしい。もちろん、他人より上か下かの「相対評価」でなく、その子に必要な力がきちんとついているかどうかの「絶対評価」で。
 学力低下論の大半は経済大国の夢に酔った過去との比較である。未来に求められる力をつけるのが教育なのに、過去と比べてばかりでいいのか。未来を思えば、地球全体の環境や平和を主体的に考える力なくして21世紀を生き抜けるわけがない。そのために必要な新しい学力を具体的に示すと、(1)自分で考える力(2)考えを他者に上手に伝える力(3)異なった考え方を認め合い調和させる力。これらに注目していきたいものだ。
 結果の平等のみを求め個性を埋没させてきた教育から、機会を広く開いて個々の得意な面を伸ばす方向に変えるというのが大方の国民的合意のはず。いわゆる不平等論は、それをふりだしに戻すような話だ。「格差」ではなしに「違い」を認めていくのだという根本を誤ってほしくない。
 親の所得や学歴と子の学力を相関させてみるやり方は、それらの格差が激しかった時代の発想だろう。20世紀、われわれは格差をかなりの部分解消してきた。全世界でいえば最上位に集中しているこの国の「階層」をさらに細分化した強引な議論より、むしろ地球全体の階層問題にこそ目を向けるべき時だ。その意味でも、総合的な学習の役割は重要なのである。
 家庭環境の格差が大きくなったのは所得ではなくむしろ、子どもに対する愛情や関心の面だ。親だけでなく大人全員が、子どもは社会全体で育てるのだという大前提を改めて認識しなければならない。子どもに愛情や関心を注ぐことは、所得などに関係なく誰でもできる。そうやって「社会で子どもを育てる」心こそが、われわれの社会が取り戻していくべき真の文化ではないだろうか。
◇寺脇研(てらわき けん)
1952年生まれ。
東京大学法学部卒業。
文部省入省。生涯学習振興課長、大臣官房政策課長、文部科学省大臣官房審議官を経て、現在、文化庁文化部長。
………………………………………………………………………………………………………
 
橋爪大三郎(東京工業大教授)
 
◆大学全入、卒業難しく
◇大学入試の全廃、教育ローンの充実で−−機会の平等を保証する仕組みを作ろう
 新学習指導要領は、「学力低下」を招くのだろうか。結論を出すのは、まだ早すぎると思う。いまの段階ではっきり言えるのは、次のことだ。
 第一。そもそも「学習指導要領」は、一定の学力を保証するものではない。カリキュラム(教師が何をいつ教えるか)を定めているだけで、いわば定食のカロリー値のようなもの。生徒が消化しなければ栄養にならない。いま問題なのは、半分近くの生徒が教室で退屈しているいっぽう、残りの生徒が授業が難しくてついて行けなくなっていることだ。学力低下を心配するのなら、出口管理=高校卒業の時点で学力証明を求めるべきで、それで必要かつ十分だ。途中で何をどう教えるかは自由(学習指導要領は廃止)にすべきである。
 第二。新学習指導要領でよくなったところがあるとすれば、現場の自由度を少し増やした点。でも、この程度ではまるで不十分だ。
 第三。新学習指導要領のよくない点は、公立学校では十分な学力がつかないと、親がますます思うようになったこと。その結果、私立中学受験者が増え、塾や予備校への依存度も高まっている。要するに、もっと教育に費用がかかり、所得の低い家庭ほど教育の機会(進学のチャンス)が制限されるようになった。
 結論として、新学習指導要領が、教育の現状をよりよくするとはとても言えない。
 所得の低い階層の生徒ほど大学に進学しにくく、そのためなかなか所得の高い職業に就けないようでは、階層格差が固定してしまう。決して好ましいことではない。では、どうしたらよいか。
 これは、費用のかかる私立の中高一貫校や塾・予備校が有利になる、受験というシステムに原因がある。新学習指導要領は、それをもっとひどくするかもしれないが、その原因ではない。もちろん新学習指導要領をいじくっても、問題は解決しない。
 解決の手段の一つは、大学入試をなくすこと。もう一つは、奨学金・奨学ローンを充実させ、志望者は誰でも大学に行けるようにすること。
 所得格差や階層格差はなくならないし、なくす必要もないだろう。親の所得や職業の違いによって、子どもの進学の機会が奪われさえしなければよい。それには階層格差と、進学のメカニズムを切り離すことが大切である。
 この点、入試システムは、費用をかけて準備すればするほど合格しやすくなる。学力を測っているようで、実は階層格差が反映しやすい、不公平な制度である。大学には誰でも入れるかわりに、卒業を難しくしたほうがいい。成績のいい学生に与える奨学金や、親の所得に関係なく学生本人に貸し付ける奨学ローンは、機会の平等を保証するようにはたらくだろう。
 このような改革を進めないで、ゆとり教育や新学習指導要領に文句を言うだけでは非生産的である。学力低下を心配するなら、社会を生きるうえで必要な学力を、どうやって提供するのか、その仕組みを提案しなければならない。
◇橋爪 大三郎(はしづめ だいさぶろう)
1948年生まれ。
東京大学大学院修了。
東京工業大学助教授を経て現在、東京工業大学大学院教授。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION