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2001/09/26 産経新聞朝刊
【第二部 学力低下は誰のせい】いま学校は(10)居残り授業
 
 ◆「塾いらず」先生にいじめ
 塾いらず。かつて公立学校には、こんな異名を持つ教師がいた。「塾に行かなくても、この先生に習っていれば学力がつく」と信頼されていた教師たちだ。
 大阪・豊中市立小学校の教員だった進学塾講師、本多亮二さん(七一)=仮名=もそうだった。教師になって二年目から退職するまで続けた「居残り授業」は、保護者からも子供たちからも評判だった。毎日、日が暮れるまで担任学級の子供たちは教室に残り勉強した。教材は手作りのプリント。子供たちの習熟度に応じて、ガリ版で刷った。それぞれつまずいているところを丁寧に教える。ほめたり、プリントのわざと間違った点を指摘させて自尊心を高め、やる気を引き出す。
 「ときには、おやつを出したりしてね」と本多さん。当時のことを振り返ると、温和な顔がさらに緩む。
 成果は顕著だった。テストでは、ほとんどの子供が八〇点以上とるため差がつかず、通知表の評価を付けるのがつらかった。塾にも行かずに全国最難関といわれる兵庫県の私立中学校に合格した児童もいた。塾の時間になっても、学校に残る子供が相次ぎ、「頼むから塾に行ってくれ」と本多さんが子供に頭を下げたこともあった。
 
 しかし「居残り授業」には同僚からの批判が絶えなかった。「英才(エリート)教育」「強制」「詰め込み」・・・。
 「いずれも、まと外れな批判だった」と、本多さんと職場が同じだった元教員は話す。「できる子」だけではなく、希望者が残る。分からなかったところが分かるようになると、子供たちは意欲的になり、昼間の休みの時間にも積極的に質問にやってきた。「強制」や「詰め込み」とは程遠い光景だった。
 言葉の攻撃では効果がないとみて、批判はより陰湿になった。緊急時の代替授業を引き受けてくれない。会話の輪に入れてもらえない。学年担任同士の打ち合わせなどで、誤った情報を伝えられたこともあった。
 味方は保護者や子供たちだった。授業参観では、自分の子供のクラスではないのにわざわざ本多さんの授業を見にやってくる保護者もいた。別の教員に「同じように居残り授業をしてほしい」と頼んで断られ、「一緒に残らせて」と言ってくる保護者も相次いだ。教員らが許可しないため実現はしなかったが・・・。
 
 「悪平等」。公立学校の職場の雰囲気を表現するのによく使われてきた言葉である。意欲や能力を適切に評価するシステムがなく、いくら頑張っても報われない。
 教員にも勤務評定があるが、昭和三十三年の導入時に日教組が「権力をもって教師を束縛し、自由を圧殺しようとするもの」として、四年間で全国の教員四千百十七人が懲戒処分され、逮捕者も相次ぐという大規模な反対闘争を展開した。制度は形がい化し、資質向上や適正配置に用いられることはなかった。
 この「平等」が行き過ぎると、「頑張る教員の足を引っ張る」風潮が生まれる。豊中市のベテラン教員も、旧文部省の研究指定を受けようと奔走したところ職員室で一人だけおやつを配られないという“いじめ”にあったことがあるという。
 元教員はいう。
 「本多さんへの批判はへ理屈でしかない。自分たちが同じことをやってくれといわれるのが嫌で、いやがらせをしているとしか思えなかった」
 本多さんは管理職試験を受けようとしたが、教職員組合の反対で断念せざるを得なかった。学校現場への悲観から、一時は教職を退くことも考えたという。
 いまは、塾に通ってくる子供たちの学力低下を肌で感じながら、文部科学省が進める「ゆとり重視」の教育改革に首をかしげている。「組合員たちの言い分に、お墨付きを与えているようなものではないか」(教育問題取材班)


 
 
 
 
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