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2001/09/22 産経新聞朝刊
【第二部 学力低下は誰のせい】いま学校は(7)競争否定の「高校全入」制
 
◆教師も生徒も熱意衰える
 広島県内では昭和三十一年度から広島市内で、五十一年度からは福山市や呉市など五つの学区で、普通科高校の総合選抜制度の入試が導入された。受験競争の激化を避けるため、学校間格差をなくそうという理由からだった。
 総合選抜制では、生徒は特定の学校ではなく複数の学校でつくる高校群を受験する。合格者は機械的に成績順に各校に振り分けられ、結果的に平均点が等しい新入生グループと学校が生まれた。そこで、高校側は生徒にどう力をつけさせるかを真剣に考えるはずだった。
 だが現実は逆だった。教師の指導力、意欲双方の低下をもたらしたのだ。ある県立高校教諭は「補習授業ひとつするにも同僚から反対の声があがった」と振り返る。「隣の学校ではやっていない。総合選抜の学校間に授業の格差があってはいけない」という理由だった。それすら次第に建前になり、「教師が生徒の指導を怠ける言い訳になっていった」という。
 中学生の熱意も衰えた。私立の進学校に届く学力がない生徒は、勉強しても、しなくても大差なく同じ高校に進むことになった。「上位一割と下位一割でなければみんな一緒になった」と、呉市内の中学教諭は当時の生徒の心理を語る。
 旧制広島一中の流れをくむ伝統校、県立広島国泰寺高校(広島市中区)も総合選抜制に組み込まれて、従来の高い教育力を失った学校のひとつだった。
 教師は生徒の指導よりも教職員組合の活動にエネルギーを注ぐようになった。生徒の遅刻は常態化し、校風は乱れた。
 安森譲・現校長は「数年前の国泰寺高は教職員のエネルギーが生徒に向かっていなかったのではないか」と語る。
 
 高校の教育力低下に拍車をかけたのが平成七年度に始まった「選抜III」(二次募集)の入試だ。推薦入試にあたる「選抜I」、一般入試の「選抜II」を経ても定員に満たない高校で実施された。選抜I、IIで不合格になった受験生の「進路の保証」が目的だった。
 「定員内の不合格者は出さない」と県教委が指導し、志望校を問わなければ高校進学希望者が全員入学できるよう定員枠も拡大された。成績が悪くても、高校を卒業できるだけの力や勉強する意思がなくとも、不合格にはならない。だれでも高校進学できる実質上の「高校全入」制だった。
 受験に対する中学生の不安解消になるはずだったが、選抜IIIで定員割れする高校は荒れ、そのうわさが中学生と保護者に広がり、次の年にも定員を割るという悪循環に陥った。校内暴力は激化し、教員は生徒指導の意欲をますます失った。
 大手予備校によると、大学入試センター試験の都道府県別成績で、広島県内の受験生は二年の二十一位から八年には四十五位まで落ち込んだという。
 
 十年度、広島の教育に問題があるとして、文部省の是正指導が入った。定員内不合格者を出さないという「呪縛(じゅばく)」は、総合選抜制度とともに十一年度入試からなくなり、実力が一定レベルに満たない受験生は校長判断で不合格にできるよう改められた。
 国泰寺高校にも変化が現れた。十一年度からは教職員の異動が積極的に進められ、今春までに、ほとんどの教職員が入れ替わった。昨年度には学力向上指定校になり、来春には理数コースを新設する。
 公然と難関国公立大学の合格を生徒に目標として掲げることになった。「組合立高校」とまでささやかれ、競争を否定する沈滞ムードに支配されていたころには考えられないことだった。
 「教員の仕事は、生徒の夢を実現させてやること。高いレベルの大学に行きたいという子供がいれば、時間も労も惜しまず勉強を教えてやるのが教員だ」と安森校長は言い切った。(教育問題取材班)


 
 
 
 
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