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2001/09/18 産経新聞朝刊
【第二部 学力低下は誰のせい】いま学校は(4)米国の児童中心主義
 
◆学校荒れ教師主導に転換
 《「知識を教え込むことは好ましくない」「子供への働きかけは、指導ではなく支援でなければならない」という誤解が広がっていた》
 鹿児島県教育委員会が指摘した「新しい学力観」は本来、自ら学ぶ意欲や思考力、表現力などを学力の基本とする考え方だ。
 現場への浸透ぶりを示すデータがある。ベネッセ教育研究所(東京)が平成十年に、全国六都県の公立小学校教員(回答者千百六十一人、十項目から複数選択)を対象に行ったアンケート。
 「小学校教員が授業で心がけていること」の問いに対する回答の上位はこうなっていた。
 体験を取り入れる(64・3%)▽表現活動を取り入れる(57・0%)▽(児童が)自分で調べることを取り入れる(45・0%)・・・。いずれも新学力観で重視されている授業形態だ。
 これに対して、教師主導の講義形式▽教科書にそった授業▽自作プリントを使った授業−といった従来のスタイルを選んだ回答は、それぞれ0・8%、14・0%、16・4%と、最下位の三項目を占めていた。
 
 調査結果の分析にあたった樋田大二郎・聖心女子大教授は「(最下位の三項目は)基本的な授業方法。もっと意識して行う必要がある」と話す。
 「基礎・基本を繰り返すドリルなどを使った授業が減っている。『体験』も大事だが、これでは『読み・書き・計算』の基礎学力が定着しない」
 なぜ新学力観は、基礎・基本を軽視する“ゆがんだ形”で広まったのか。
 高橋史朗・明星大教授は「誤った児童中心主義が背景にある」と指摘する。児童中心主義の教育は、かつて米国でも見られた。「子供の本性を自由に発展させる」という進歩主義的教育理念のもと、一九六〇年代後半から七〇年代にかけて「悪いのは生徒ではなく制度である」と、学校の自由化や“人間化”が叫ばれるようになった。「その結果、教師はきぜんとした姿勢を失って学校は荒廃し、校内暴力やいじめ、不登校、学力低下などが進んだ」(高橋教授)
 このため七五年から「学力と規律の向上」を要求する保護者らの草の根運動が起こった。児童中心主義から脱却し、「読み・書き・計算」をはじめとする訓練・宿題の充実やしつけ指導の強化など教師主導型の教育を求め、「back to basics(基本に返れ)」と呼ばれた。運動は、国家主導の教育改革へと引き継がれた。
 「これに対して日本では、自由と放任を混同する戦後の風潮と児童中心主義が結びつき、混乱に拍車がかかっている」(高橋教授)という。
 
 国内の児童中心主義は、学校の教室から教壇がなくなっていった経緯にもみることができる。
 全国四十六の道府県庁所在市と東京都世田谷区の教育委員会に教壇の有無を聞いたところ、四十四市区が「ほとんどない」「一部に残るだけ」などと回答した。残っている所は、「小中学校の九割以上にある」(福岡市)、「ほぼ残っている」(岐阜市)、「多く見積もって小学校の三割、中学校の四割程度」(長崎市)など限られていた。
 「昭和四十年代から五十年代にかけて教壇がなくなった」という証言が多く、なくした理由としては「危険」「オープンスペース型や多目的教室の普及」といった構造上の問題のほか、「教える側(教師)と教えられる側(児童・生徒)の差をなくす」という理念をあげる教育委員会が多かった。例えば世田谷区は「教壇をなくすことで、先生と子供の段差をなくす」、新潟、徳島両市は「児童・生徒と同じ目線に立つ」。
 福岡市も同様の理由で今後は教壇をなくしていくという。「教壇のあるスタイルを続けたい」としたのは岐阜市だけだった。(教育問題取材班)


 
 
 
 
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