日教組の教育研究全国集会(教研集会)が東京で開幕した。昭和二十六年の第一回から数えて五十回目にあたる節目の集会である。闘争路線から柔軟路線に転じたといわれる日教組だが、かつてのイデオロギー性を帯びた反体制教師集団としての体質が再燃しつつあるようだ。
榊原長一委員長は開会あいさつで、五十年前に採択された「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを再確認したうえで、教育改革国民会議が提言した教育基本法見直しや奉仕活動などに反対していく姿勢を示した。来賓として招かれた東京都教育長のあいさつに対しては、会場から「帰れ」コールが起き、さながら成人式騒動のような様相になった。これが教師集団とは、あきれるばかりである。
二十八日から始まる社会科教育や平和教育などの分科会では、日教組から見た歴史教科書問題や東京・国立二小問題、北海道や千葉県での日の丸・君が代反対運動などが報告される。一連の教育正常化の動きに対し、かたくなに反発している。二十一世紀を迎えたというのに、これでは進歩がない。
栃木県日光市で開かれた第一回教研大会(二十六年十一月)には全国から三千人の教師が集まり、平和教育など十一のテーマに分けて話し合われた。基調講演は労農派経済学者の大内兵衛氏ら三人が行った。二回目以降は、矢内原忠雄、南原繁、都留重人、末川博氏ら“進歩的文化人”が講演した。
学校教育の現場では、勤務評定反対闘争(三十二−三十四年)、全国学力テスト反対闘争(三十六−三十七年)、主任制反対闘争(五十年代以降)などを展開した。そのたびに犠牲になったのは児童生徒であった。
「教師は労働者である」「教師は団結する」などとする教師の倫理綱領も改められていない。「日の丸は天皇制国家主義のシンボル」「君が代は主権在民の憲法原理に反する」とする昭和五十年の日教組見解もそのままだ。要するに、日教組の本質はほとんど変わっていないのである。
教師は単なる労働者ではない。聖職として、児童生徒や父母、地域社会からも尊敬される存在でなければならない。賃上げや生活改善要求などは必要としても、一方的な主義主張を教育現場に持ち込み、日本の子供たちの将来を損ねることだけは、もうやめてほしいものだ。
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