日本財団 図書館


1998/09/05 産経新聞朝刊
【教育再興】(96)平和教育(14)ディベート 「子供が主人公」の授業
 
 ルワンダ内戦で自衛隊の派遣が論議を呼んでいた平成六年。佐賀市内の小学校に勤務する小宮宏教諭(四三)は「自衛隊は軍事貢献するべきである」という論題で、子供たちを肯定派、否定派に分け、議論を戦わせる「ディベート」を行った。ディベートは、論議が分かれることを、データにもとづいた論理によって話し合う一種の「ゲーム」である。
 小宮教諭が「軍事貢献」という言葉を使ったのにはわけがあった。それまでの社会科の授業では、「平和貢献」や「国際貢献」については、全員がその意義を認めていた。
 「議論にならないことをディベートさせても、本当に子供たちに考えさせることにはならない」
 そう考えた小宮教諭は、「軍事貢献」という用語を(1)民間人やボランティアなどの救助や警護(2)国連の一員としてPKF(平和維持軍)に参加すること−と定義した上で、論題に決定した。
 「わが国は世界から国際貢献を求められている。ところがPKF活動を禁止されていると、民間人やボランティアの救助を行うことができない。わが国で国際貢献のために最大限活躍できるのは自衛隊」
 こんな肯定側の意見に対し、否定側は「自衛隊のPKFは明らかに憲法違反。またPKFは現地の戦争に巻き込まれるおそれがある。アジアの国の中には、日本に対して過去への反省が足りないという声もある」との立場をとった。
 双方の立場にしたがって資料を集めて「証拠カード」を作り、相手側の論理を予想した上での反論材料を組み立てる。最初は「大変だ」「きつい」を連発していた子供たちが、次第に「これではだめだ。もっと証拠を集めないといけない」「新しい資料を探そう」と変わっていった。
 小宮教諭は「証拠集めやカードづくりは『つくる喜び』につながるし、しっかりしたデータにもとづいて自分を主張する経験を通して『議論する楽しさ』を感じることができる。子供たちが、おもしろみをつかんでいくのが手に取るように分かった」という。
 
 「これまでの平和教育は『こんな悲惨なことがありました』『恐ろしいですね』『ごめんなさい』というのが通り相場だった」
 小宮教諭を大学院で指導した小西正雄・鳴門教育大助教授は、従来の平和教育が抱える問題点をこう指摘する。
 平和の尊さを教えるために、戦争の悲惨さを徹底して教え込む従来の平和教育の手法を、小西さんは「お題目主義」と指摘する。「洗脳と教育の違いは、相手(子供)に判断や反論のチャンスを与えるかどうか。『ちょっと待って先生、ぼくはこう思う』という子供のつぶやきのない授業は洗脳でしかない」
 小西さんは授業づくりに対する辛口の論客として知られるが、平和教育についても、「自由に議論させると、教師が考える“落としどころ”にうまく結論が導かれていかないのではないか、という不安がお題目主義に陥る原因」という。
 一方、ディベートは「あくまでゲーム」であり「お題目主義を脱するための方法論」と小西さん。「議論の分かれる論題を、子供たちが話し合うのだから、政治家や歴史学者がうなるようなすばらしい結論が導き出されるなんてことはありえない。『結論=落としどころ』も、あくまでゲームの結果。大事なのは結論にいたる議論の過程なんです」
 
 小宮教諭の授業は公開で行われた。授業後の意見交換で、ある中年の教師が「こんなテーマで授業を教えるなんてとんでもないことだ」と述べた。
 小宮教諭は「それではあなたが考える、教えるべきこととはなんですか」と問い返した。質問者は(1)絶対に戦争はしてはいけない(2)自衛隊の軍事貢献は絶対にいけない(3)日本の侵略の事実を教えていかなければならない−の三点をあげた。
 「私は、子供に価値判断をさせるのが社会科教育だと思います」。小宮教諭はこう答えた。
 もう一人、質問した。「それでも、その論題はちょっと恐ろしいように思えます」
 小宮教諭はこう答えたという。
 「この論題は子供たちの議論の中から生まれてきたものです。それを恐ろしいと思うのは、先生個人の価値観であり、それこそ押しつけだと思います。つまり『子供が主人公』ではなく、『先生が主人公』の授業をしたいということではないですか」
 この小宮教諭の言葉は、平和教育の一つのあり様(よう)をも示している。
 
 教育再興「平和教育」シリーズは終わります。松尾理也、飯塚隆志、守田順一、小路克明、大塚昌吾、安藤慶太、鵜野光博が担当しました。
 
■ディベート
 1つのテーマをめぐり肯定側と否定側が討論するゲーム。一定のルールのもとに質問や反論を行い、どちらの主張に説得力があったかを審判員が判定し、勝ち負けを決める。論理的思考と明快な表現力を養成する手法として、欧米では一般的に行われているが、日本でも最近は教育などの場で取り組むケースが増えてきた。完全学校週5日制の下でのカリキュラムを検討している教育課程審議会も今年7月に出した答申で、国語での詳細な読解偏重を改め、ディベートなどの充実を求める方向を打ち出している。
 
 あなたの周辺で起きた教育問題に関する事例や試みについて、情報や意見を手紙でお寄せください。あて先は〒100−8078 東京都千代田区大手町一ノ七ノ二、産経新聞東京本社(FAXは03・3275・8750)の社会部教育再興取材班まで。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION