1997/02/25 産経新聞夕刊
【日刊じゅく〜る】461号 エリート教育のすすめ(中)
◇21世紀の日本を支える人材とは
エリートのいない国はない。そして、大国といわれる大抵の国にはエリート教育を行っている学校がある。大国を引っ張っていくだけの能力や資質を持ったリーダーの育成が必要だからだ。一方、日本にも「エリート」と呼ばれる人たちがいて、日本のリーダー役を務めている。だが、彼らはエリート教育は受けていない。「エリート教育を受けたエリート」と「エリート教育を受けていないエリート」の差は何なのだろうか。
「日本には、世界に通用するような『真のエリート』はいない」
フランスのエリート養成機関に留学した経験のある通産省の八幡和郎・情報管理課長は言った。
「エリートとは、その社会において必要と思われるような人を育てるために行われる教育や訓練を、組織的に受けてきた人ではないか。フランスでは、世界を動かせるような人間を育てるための教育を、若いうちから徹底して行っている」と、八幡課長はフランスのエリート教育の印象を語った。
フランスにおいて、社会を実質的にリードしてきたのは、主に十八世紀ごろに創立したエリートを養成する高等学校群「グランド・ゼコール」の出身者たちで、パリ大学の卒業生たちではない。そして、「グランド・ゼコール」の中でも、「ENA(エナ)」という略称で一般的に呼ばれている「国立行政学院」は、数多くのリーダーを輩出している。八幡課長が人事院の行政官長期在外研究員として二年間留学したのも、この「ENA」で、卒業生にはジスカールデスタン元大統領やジャック・シラク現大統領がいる。
「グランド・ゼコール」の入学者選抜について、八幡課長は「フランスの仕組みを精密に考えて作り上げられた試験が実施されており、その試験でいい成績を取ったら、恐らくりっぱな公務員になるだろうとだれもが納得するもの」と高く評価する。
例えば、「ENA」の場合、定員は外国人留学生を除いて百十人ほどだが、ここに入学するためには、まず全国一律に行われる「バカロレア(大学入学資格試験)」を極めて優秀な成績で突破しなければいけない。「バカロレア」では個人の思考力が試され、正解のない論述試験が中心になっている。この「バカロレア」をクリアすると、有名高校に付属する準備学級に入る。準備学級は全国に約二百四十校あり、約四万六千人が「グランド・ゼコール」を目指して学んでいるという。そこでは一、二年間、寝る暇を惜しんで勉強しなければいけない。
猛勉強をして受験することになるENAの入学試験の中身は、一般教養、公法、法律的文書作成、経済、国際問題、社会問題、財政、外国語、総合面接、体育、専門科目に関する論文−と幅広く、このうち、幾つかの科目は口頭試験だ。口頭試験では、人にわかりやすく説明する能力が求められる。
そして、競争倍率十倍ほどの難関を乗り越えてENAに入学すると、公務員として給与が支給される。卒業後いきなり、中央官庁の管理職や県の副知事に任命されることになるため、ENAの教育は県庁や大使館、企業での研修など実務重視になっている。研修の監督に当たるのは知事や大使自身で、徹底したマンツーマンの指導が行われる。行政文書の作成もカリキュラムにあり、八幡課長は「行政文書を論理的にわかりやすく書くということを、徹底的に訓練されたことが、日本で役に立っている」と言う。
また、「指導者は指導者らしくあらねばならない」ことが要求されるフランスでは、指導者としての風格も必要となってくる。ENAにはテレビスタジオの設備があり、学生たちのスピーチやディスカッションをビデオに収め、目の配り方や手の置き方までも指導しているという。
こうした教育環境の中で、「自分が何をしなければいけないかという使命感と、高い志を持った超エリート官僚が育っている」と、八幡課長は話した。
イギリスでは社会や国家に貢献できる人材を、幼児期から行われる一貫したエリート教育の中で育成している。公立学校とは別に、主に上流階級(王侯貴族と大地主)や上層中流階級の子女が学ぶ私立学校が階級社会の中で連綿と続いてきた。
まず、日本の私立小学校に当たるプレップ・スクールでは、考えを押し付けたり、しかりつけたりせずに、自覚を促すことと対話によって自立心と責任感を植え付ける。そして、日本の中学二年から高校三年に当たる生徒が学ぶパブリック・スクール(全寮制私立学校)に進む。イギリスの歴代首相五十人のうち、三十二人がこのパブリック・スクールの出身だ。
詩人のバイロンやチャーチル元首相、インドのネール元首相などが学んだ名門中の名門のパブリック・スクール「ハロー・スクール」で長男を学ばせたビジネスコンサルタントの小山堯志さんは言う。
「教師は生徒を全人格的にとらえ、それぞれ生徒の能力や個性、適性を把握して、その生徒にあったきめ細かい指導を行っていた印象が強く、午後のスポーツの面倒も徹底してみていた。例えば、年配の教師が、厳冬のあられの降る中を、泥まみれになりながら若者たちと走り回る姿をよく目にした。温かい人柄と生徒につけ入られるスキがない毅然(きぜん)とした態度を備えていた」
この言葉から、教師の質の高さがうかがえるうえ、教師一人あたり生徒が五人から多くて二十人という能力別小クラス編成で行き届いた授業が行われている。
「生徒たちは、じつに恵まれた教育を受けていることをよく認識している。ふだん優遇されている分、イギリスでしばしば耳にする『ノブレス・オブリージ』の精神、つまり、高い身分の人や経済的に恵まれている人や、良い教育を受けて優位にたっている人に課せられた道義上の義務を負うことも自覚している」と小山さんは言う。
その表れの一つに、士官軍事教練(カデット・コーポ)に数多くの生徒が積極的に参加していることがあげられる。所定のコースを修了すれば、国家危急の際には直ちに士官に任ぜられるという特権が与えられてきた。第一次・第二次世界大戦では同校からたくさんの戦死者が出たという。
小山さんは「独自な判断力、強固な目的意識、盛んな開拓心、優れた集中力、たくましい肉体と行動力を備えた青年を作り出すための教育が行われている」と、英国のパブリック・スクールで行われている「エリート教育」の特徴を指摘した。
戦前の日本には、このイギリスのパブリック・スクールを倣って設立されたという旧制高校があり、エリート教育が行われていた。後発の日本が列強の植民地とならずに富強を誇れたのも、優れた能力と使命感を持ったエリートたちが、国を強力に引っ張っていたからだ。旧制高校で学んだ京都大学の会田雄次名誉教授は言う。
「旧制高校では、中身は幼稚だったろうが、天下国家、世界を論じていた。国はどうあるべきか、政治はいかにあるべきか、おれはどうすべきかと常に考えていた。しかし今、東大法学部でそういった議論が学生の間で交わされているだろうか」
その東大法学部出身のエリート官僚である八幡課長も、自省を込めて語る。
「今の日本のエリートには、志の高さがない」
日本のエリートに欠けているのは、フランスや英国のエリート教育の中ではぐくまれたリーダーたるものが持っている使命感、倫理観、高度な見識、高潔な人格、指導力といったものではないだろうか。これらは今の日本の教育システムの中では育たない。(水沼啓子)
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