ことしは、ことのほか心弾む四月である。学校週五日制が今月から、月二回に拡大されるからだ。一回が二回に増えたというよりも、完全五日制へ近づいたという前向きの受け止め方がほしい。教育の地平を開く新たな段階を迎えて、「なぜ五日制なのか」「なんのための五日制か」を教師や保護者だけでなく社会全体で改めて考え、認識の共有化を図ることが大事だろう。
五日制は、ゆとりを取り戻し個性と創造性豊かな子供を育てようという教育改革の観点から導入された。この理念を生かすには、学校、家庭、地域の三者がそれぞれの持ち味を生かして教育力を発揮することが求められる。言い換えれば、五日制は学校はもちろん、家庭、地域、企業社会に変革をもたらすものでなければならない。
月一回の五日制でも、家庭や地域の風景に変化があった。親子の共通体験や対話が増え、年齢を超えた交わりや行事が目立つようになった。地域が賑やかになり始めたいまこそ、子供たちをめぐる環境整備を急ぎたい。
学校はどうだろうか。知識の量よりも、自ら学ぶ意欲や社会変化に主体的に対応できる能力を重視する「新学力観」に立つ教育が「五日制教育」の柱だが、まだ根付いていない。それどころか、「新学力観」を説く一方で、旧来の学力観(受験学力)による学力向上運動に血道を上げる自治体が少なくない。新学力観の徹底と教育内容の精選が最大の課題である。
学習指導要領の改訂が不可欠だが、それが実現できない現状では、教育課程の自主的な編成を教育現場に期待したい。現行の標準時間にとらわれず、教科や行事などの精選に思い切って踏み込んでほしい。たとえば、教科の枠を超えた「総合学習」の試みや部活動の地域クラブへの移行、教育的意義を考慮した上での行事の廃止、簡素化などである。こうした取り組みは教科の再編、学習形態の多様化と開発につながり、学校改革への夢を広げる。
ただ、「あまりに多くのことを教えることなかれ、されど教えるべきことは徹底的に教えろ」という学校教育の基本は守られるべきだろう。体験・問題解決型学習の「総合学習」や「生活科」はややもすると、系統立った知識の習得がおろそかになりがちだ。戦後一時期の「這い廻る経験主義」の轍を踏まないようにしてもらいたい。
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