2003/06/22 読売新聞朝刊
[社説]大学教育評価 「知の時代」の学力が問われる
大学全体の教育レベルを序列化することに、直接的にはつながらない。だが、優れた教育をしているかどうかの、判断の目安にはなる。
文部科学省の「特色ある大学教育支援プログラム」の募集要領がまとまった。大学教育に対する初めての、本格的な評価システムの導入である。
教育課程や教育方法、学生の学習への支援策など五つのテーマごとに、全国の大学、短大から実績のある取り組みを募集し、有識者らによる評価委員会が優秀校を選考する。選ばれた大学には、予算や補助金が重点配分される。
客観的で公正な評価を実施し、大学の教育力の向上につなげてほしい。
大学教育の充実が、今ほど求められている時はない。二十一世紀は、「知の時代」とされる。企業内での教育に限界が指摘され、大学教育への要請も高まっている。明確な進路意識を持ちにくい学生への対策も、課題となっている。
学生は自分で学ぶのが本来の姿で、大学の教育システムはそれほど重要ではない、とされた時代もあった。自発的な学習は大切だが、それが教育環境整備の遅れの言い訳にされてはならない。まして同世代の半数近くが大学、短大に進学する大学大衆化時代だ。学習の動機付けに大学側がかかわることも必要だ。
個々の教員がばらばらに自分の専門を教える「たこつぼ型」の教育であってはならない。卒業までに学生にどのような力をつけるべきかを明示し、教員はそのために自分の役割を果たす「統合型」の教育に方向転換することが大切だ。
体系的な履修のための科目のランク表示、一年生対象のゼミ、学部を超えたカリキュラムによる授業の実施、共通の外国語教科書、成績評価の基準の作成、授業の研修など、既に様々な事例がある。しかし十分ではない。支援プログラムを、大学人の意識改革の契機としたい。
教育内容や方法が国の機関に評価されることに対して、大学教員には「受験生の自由な判断に任せるべきだ」「大学教育への国の介入だ」との反発もある。だが、市場原理が働くためには、十分な情報公開が前提となる。大学教育について事前規制をできるだけ外し、結果で評価するのは、世界的な傾向でもある。
問題は、置かれた条件が違う大学、短大の取り組みを、どれだけバランスよく評価できるかだ。地方の大学、短大の工夫も、正しく判定せねばならない。
評価が信頼を得るには、審査、選考の過程の公開が不可欠だ。
透明な選考を実施し、国際的な高等教育競争に勝ち抜く手立てとしたい。
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