2001/07/04 読売新聞朝刊
[社説]学力テスト 低下論の「もつれ」はほぐれるか
文部科学省が来年早々、六年ぶりに全国的な学力テストを実施する。しかし、そこで測るべき学力とは何なのか。論議は、十分尽くされただろうか。
今回の学力テストは昨年秋に出された教育課程審議会の答申を受けたものだ。全国の小学五年生から中学三年生まで計四十八万人を対象に、主要教科について行われる。現在、問題の作成が進んでいるところだ。
学力テストはこれまでも十年に一度程度、学習指導要領の実施状況を見る目的で行われてきた。しかし、今回のテストについては、これとは別にもう一つ「これからの児童生徒にどのような力が必要かを明らかにする」という目的を、審議会答申は挙げていた。
背景には、学力とは何かが整理されないまま進む学力低下論争がある。テストの問題という形で求める学力を示し、継続的にその出来ぐあいを見ていくことでもつれた論議を解きほぐす。そんな狙いが込められている。
来春から実施される新学習指導要領は従来の「ゆとり」路線を引き継ぎ、基礎・基本の定着を目指す一方で、「自ら考える力」を養うことを目的にしている。これに即して言えば、学力にはこの二通りがあることになる。
「読み」「書き」「そろばん」に類する基礎・基本は、学力低下論争の最大の論点と言っていい。精度の高い調査がなかったため、その低下の有無を巡って関係者の意見は対立している。
学力テストでは幅広い設問で、実態を正確につかむことが期待される。低下が事実なら、今後どうやって引き上げて行くか、文部科学省から現場に至るまでが総力を挙げて取り組む必要がある。
自ら考える力については「二十一世紀の日本の活力にかかわり、こちらの低下こそが深刻」との意見が根強くある。しかし、その力が具体的には何なのか、については混乱もあった。
通知表の原簿になる指導要録には「観点別評価」という欄がある。四つある観点のうちの第一は「関心・意欲・態度」だ。これを受けて、授業中に何度手を挙げたかで評価を決めるという例が、以前学校現場にはあった。
考える力だ、知識ではない、と言うあまり、関心や意欲など力を獲得するための手段に目が行き、獲得した力への着目がないがしろにされていなかったか。それが結果的に、現場で「ゆとり」を「ゆるみ」にしてしまわなかったか。
学力低下論の危機感に、学力テストはどんな設問でこたえるべきなのか。まだまだ議論が足りないように思われる。
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